第4話『未来が変わるカガミ』下

 


乃ノ子(えっ? イチさんが此処に来る?)


 乃ノ子の妄想。

 すごくいい声をしたロボットが、がしょんがしょんと歩いて来ながら、

「待ったか? 乃ノ子」

と言う。


 イチからの音声がところどころ途切れはじめる。

「……よね……」

という雑音が混ざる。


乃ノ子「なんか混ざってるんですけど。

 イチさん? イチさん?」

謎の声「あなた……よね?」

イチ「乃ノ子っ。

 おい、暗黒の乃ノ子っ」


 そのイチの声は何故か足許から聞こえてくる。


乃ノ子「えっ? イチさんっ?」


乃ノ子(なんで、下からっ?)


 乃ノ子、下を見る。

 乃ノ子のスマホは地面に落ちていて、乃ノ子が握っているのは、切ったはずの公衆電話の受話器。

 乃ノ子、ぎゃーっと手を離す。


イチ「莫迦め。おかしな電話からかけるからだ。

 早くそこを離れろ。

 大学の門のところまで走れっ。

 俺もできるだけ早く行くからっ」


 イチの電話も切れる。


 乃ノ子、ぶらんと垂れ下がっている受話器をガチャンッと慌ててフックにかけて戻し、走り出す。



 塾の問題集などが入った白い帆布生地のトートバッグを肩にかけ、走る乃ノ子。


乃ノ子(なにかがついて来てるみたいな気配を感じるけど。怖くて振り向けないっ!)


 国道に車は行き交っているが、歩いている人は少ない。

 あのお弁当屋の前。

 その煌々とした明かりにホッとする。

 


 山の方に少し入ると、大学に向かう坂が見える。

 夏だが、もう真っ暗になっている。


乃ノ子(大学はまだ明かりがついているみたいだけど、途中の坂が怖いな。)


 背後からまた気配。

 どんどん近づいてくる。

 ひいっ、と逃げそうになる乃ノ子。


志田「福原」


 聞き覚えのある声に振り返る乃ノ子。

 

乃ノ子(志田先生……?)


志田「なにしてるんだ、こんなところで」

乃ノ子「あれ?

 先生が帰った大学って、もしかして、此処だったんですか?」


乃ノ子ナレーション「そこそこ若く、そこそこイケメンの志田哲郎しだ てつろう先生は中学のときの理科の教師だったのだが。

 私たちが卒業すると同時に、大学に戻ることになって、去っていった。」


志田「なにしてんだ、福原。

 此処受けるのか?」

乃ノ子「先生、私、まだ高校入ったばかりです」

志田「なに言ってんだ。

 目標は早く定めた方がいいぞ」


乃ノ子(何故か突然、進路指導がはじまった。

 一気に現実に引き戻されたな。)


乃ノ子「先生。実は、この大学の部室棟に、見ると、未来が変わる鏡があると聞いたんですが」


 志田、首を捻る。


志田「いや、知らないな」

乃ノ子「そうなんですか。

 もしや、そういう話がある、ということ自体が都市伝説だったんですかね~」

志田「相変わらず、暇なことやってんな、福原。

 もう暗いし、物騒だから、さっさと帰れ……

 とか言っても、お前のことだから、帰らないだろうな」


乃ノ子、苦笑いする。

志田が溜息つきながら言う。


志田「じゃあ、その鏡とやらを見せてやるから。

 見たら、すぐ帰れよ」


乃ノ子、頭を下げる。


乃ノ子「あっ、ありがとうございますっ。

 あっ、でも、ちょっと人と待ち合わせしてるんですよ。

 その鏡を見に行くのに」


 今来た道を振り返る乃ノ子。  

 志田も一緒にその暗い坂道を見下ろす。


志田「いつ来るんだ、その友だち」


乃ノ子(友だち……。

 友だちなのだろうかな、あの人は。)


乃ノ子「それが仕事が押してるみたいで」

志田「仕事? 社会人なのか?」

乃ノ子「はあ。都市伝説を調べてるらしいんですよ、言霊町の」

志田「民俗学の先生か?」

乃ノ子「いえいえ」

志田「地元のタウン誌の記者かなにかか?」

乃ノ子「そんな感じです」


妄想の中のイチ「なに適当なこと言ってんだ、コラ!」


志田「まあ、とりあえず、来い。スマホ持ってんだろ?

 その記者の人には先に見てくるとでも言っておけ。

 俺は呑気に、その人待ってるほど暇じゃないんで」


 乃ノ子、はい、と言いながら、メッセージを送る。


乃ノ子『中学のときの先生が大学にいて、鏡を見せてくださるというので、先に入ってます』


 イチからの返事はない。

 志田について、街灯に照らし出された構内の道を部室棟に向かい、歩き出す乃ノ子。

 なんとなく、街の灯りを振り返る。



乃ノ子(意外と門からが長いな。)


 今はただ緑の葉を茂らせているだけの桜並木を歩く。

 前を行く志田の背中を見て乃ノ子、呟く。


乃ノ子「こういうとき、大抵、先生、霊ですよね」


 またなにを言い出した、という顔で志田、振り返る。


乃ノ子「やっと、助けがっ! と思ってついていった人は大抵、悪霊なんですよ」

志田「……お前、人の親切を。置いてくぞ。

 っていうか、お前、今、やっと助けがというほど困ってたか?

 ただ単にその記者の人がなかなか来なくて、時間持てあましてただけだろ?

 それより、お前、その記者の人と何処で知り合ったんだ?

 なんで急にそんな怪しい取材に付き合うことになったんだ」

乃ノ子「はあ……ちょっと友だちが入れてくれたアプリのせいで、妙な企画に巻き込まれまして」

志田「なんだ。ネットで知り合ったのか? その記者と。

 気をつけろよ。そいつ、本当に記者なのか?

 怪談より、ネットの世界の方がいまどき怖いぞ」


乃ノ子(……いや、もう遅いです、先生。)


 部室棟に着いた。

 扉をガタガタやる志田


志田「もう鍵かかってるな。

 ちょっと待て。鍵とって来てやるから。

 ……此処で待ってるのは怖いよな。

 ついて来るか?」


 部室棟の入り口には明かりがついており、目の前には校舎。

 校舎の方は、まだたくさんの人の気配がある。

 それを確認する乃ノ子。


乃ノ子「いえ、待ちます」

志田「なにか凶器はないのか。

 怪しい奴が来たら、っていいぞ。

 ナンパしてくる男子生徒も殺っていいぞ」


 笑う乃ノ子。


乃ノ子(誰かナンパしてくるくらいまだ構内に人がいるのなら、大丈夫か。)



 一人待つ乃ノ子。

 森の中の大学なので、虫の音が響く。

 街に続く暗い坂を見る。


乃ノ子(イチさん、ほんとうに来るのかな。

 っていうか、ナニが来るんだろう?

 イチさんってAIだよね?

 イチさんを作った中の人が来るとか?)


 乃ノ子、部室棟の玄関扉を振り返る。

 古い部室棟の扉はくすんだ水色で木製。

 大きなガラスが縦に二枚はめこんである。

 そこから中を覗いてみる乃ノ子。

 入り口の外灯がついているせいで、正面奥にある古い鏡がぼんやり見える。


乃ノ子(もしかして、あれ……? 運命が狂って、未来が変わる鏡。)


 自分が映っているようだが、遠いせいもあって、よく見えない。


乃ノ子(いつもとなにか違うような?)


 乃ノ子、扉に張りつき、中を見る。

 鏡の中の自分の後ろに黒い影が映る。


乃ノ子(イチさん? 先生?)


 振り返るが、誰もいない。


乃ノ子(え、今のなに……?)


 もう一度鏡の中を見てみる。

 やはり、自分の後ろになにかいる。

 いきなり耳許で女の声。


謎の女「あなたがなにを恐れることがあるの?

 ……ねえ、……」


イチ「乃ノ子っ!」


 後ろから声がして、ぐい、と腕を引っ張られる。

 よろけた乃ノ子、誰かの胸にぶつかる。


乃ノ子(この声は……っ!)


イチ「なに憑けて歩いてんだ、漆黒の乃ノ子~っ」


 腕をつかんだまま間近に若い男が睨んでくる。

 暑いのに真っ黒なスーツを着込んだ長身の男。

 白い肌、はっきりした目鼻立ち。ジュンペイよりもイケメン。

 独特の雰囲気がある。


 乃ノ子、イチを見上げて訊く。


乃ノ子「……服が黒いから暗黒のイチなんですか?」

イチ「莫迦ばかか、お前は。

 暗黒で漆黒なのは、お前だろ。

 俺は『禁断のイチ』だ」


乃ノ子(自分で言ってる……。)


志田「福原っ

 大丈夫か、福原っ。

 ナンパならっていいと言ったろうっ」


 鍵を持った志田、現れる。


乃ノ子「いや……すみません、先生。

 この人がタウン誌の記者の人です」


 部室棟入り口のコンクリートの階段を上ってきた志田、胡散臭げに上から下までイチを見る。


志田「いや、お前。

 こんな男前のタウン誌の記者とかいるか?」


乃ノ子(偏見がすぎる……。)


乃ノ子「すみません。

 ほんとうはタウン誌の記者さんじゃなくて、猫と都市伝説を集めている探偵さんなんです」

イチ「猫は集めてない。

 あのとき、たまたま探してただけだ」


 志田、まだ怪しんでいるようにイチを見る。


志田「なんで探偵さんが都市伝説なんて集めてるんですか?」

イチ「いや、都市伝説がらみの失踪事件とか起こったりするから、あらかじめ調べておこうかと思って。

 ――だがまあ、この鏡は、別に普通の鏡のようだが」

乃ノ子「え? そうなんですか?」


 鏡を覗き込もうとした乃ノ子の目をイチ、後ろから片手で塞ぐ。


イチ「……鏡は普通だ。

 だが、今、見るな。

 お前はその身に余計なものを貼りつけている――」


乃ノ子(……え?)




 乃ノ子、目をふさがれたまま、イチに訊く。

乃ノ子「よ、余計なものってなんですか」

イチ「その鏡はただの鏡だ。

 少し映り方がおかしいようだが」


乃ノ子(えっ?)


 乃ノ子、振り向こうとするが、イチに腕もつかまれているので動けない。


イチ「だが、お前はよそで余計なものを拾ってきている。

 たぶん、あの公衆電話だ。

 ……うん、よし、いいぞ」


 イチ、乃ノ子から手を離す。

 鏡が遠くに見えるが、おかしなものは、もう映っていない。

 映っているのは乃ノ子だけ。


乃ノ子(映ってない……。)


乃ノ子「あの~……。

 おかしなものが映る以前に、貴方が映ってないみたいなんですけど」


 乃ノ子、イチを振り向き訊く。

 志田は立っている位置の関係で映っていない。


イチ「ああ、すまん。

 気を抜いていた」


 突然、鏡にイチが映る。

 イチは改めて鏡を見て言う。


イチ「なるほど。

 これは女性たちに夢を与える鏡だな」

乃ノ子「えっ?」

イチ「お前の従姉とやらにも、よく話を聞いてみろ」

志田「おい、さっきまで映ってなかったよな? この人」


 志田、青ざめた顔。


志田「……福原、俺は起きたまま夢でも見てんのかな」

乃ノ子「じゃあ、先生と私、同じ夢見てるんですね。

 オソロイですね……」


 はは、と力なく笑う乃ノ子。



 乃ノ子、スマホから従姉の友子に電話する。


友子「なによー。もうひとりで鏡見に行っちゃったのー?

 土曜にオチ話そうと思ってたのにー」


乃ノ子(……オチのある話だったのか。)


友子「いやいや、私の未来が変わったのはほんとうなのよ。

 友だちの道香みちかがさ、あの部室棟の鏡の話を教えてくれたのよ。

 あの鏡、綺麗に映るんだよって。

 なるほど、いつもとなにかが違うなって思って見てたの。

 そしたら、あの鏡、実際よりやせて映る鏡だったのよ。

 私の部屋にはユニットバスにある小さな鏡しかないじゃない。

 身体まで映んないのよね~。

 だから、暴飲暴食しても、あの鏡見ると安心しちゃってさ。

 太っていっている自分に気づかなかったのよ~っ。

 そんなこんなで私が体型崩してる間に、鏡のこと教えてきた道香が相沢くんと付き合いだしちゃってさっ。

 呪いよっ。

 鏡の呪いにして、道香の陰謀よっ」

乃ノ子「……いや~、それたぶん、鏡関係ないんじゃないかなあ。

 友ちゃん、そんな太ってないし」


 乃ノ子ナレーション「――という言葉が、果たして、彼女にとって慰めになるのか、トドメになるのか難しいところだった。

 大抵の場合、女子の言う『すごく太った』は、他人が見たら、

 ……どの辺が?

と首をかしげる程度のことなのだ。

 だから、たぶん、フラれたのは鏡のせいで太ったことが原因ではない」


友子「あの鏡のせいで、私と相沢くんが付き合う未来が消えのたよーっ」


乃ノ子(ま、まあ鏡のせいにして気が晴れるなら……。

 ああ、でもそうか。

 それで、あんたには効果ないかもと言ったのか。

 うちには、全身を映す大きな鏡があることを友ちゃんは知っている。)



 スマホを閉じて、乃ノ子。


乃ノ子「しかし、納得いきませんねえ」

イチ「なにがだ」

乃ノ子「鏡は結局、ただの鏡だったのに、前回より怖い目にあったような……」

イチ「そりゃ、お前が余計なことして、おかしな動きをしたからだろ?

 そうだ。

 この大学に未来が変わる鏡があるとかウワサ流してみろよ。

 そのうち、ほんとうになるかもしれないぞ。

 いわしの頭も信心って言うだろ」

志田「いや、うちの大学のおかしなウワサを流さないでくださいよ、探偵さん~」


 イチ、ふっと笑う。

 その顔に志田と二人見惚れる。


乃ノ子(……センセーまで。

 まあ、同性でも見惚れちゃうよな。)



 志田にペコペコ礼を言って別れ、イチとふたり、夜道を歩く乃ノ子。


乃ノ子「すみません。今回、なんにもならなかったですね。

 ああ、鏡のウワサが広まれば別ですが」

イチ「そうでもないぞ。

 ひとつ手に入れたろ、『此処ではない何処かにつながる公衆電話』」

乃ノ子「あ、そうでしたね……」

イチ「あとでまとめて都市伝説アプリのメモに入れとけ。

 一応、鏡の話も。

 ……ところで、お前。

 なんであの公衆電話のことを知ってた」


 乃ノ子、考える風な仕草をする。


乃ノ子「聞いたからですよ」

「……誰から?」


乃ノ子(トモダチから……。)


 乃ノ子の頭に浮かぶ、陸橋とその向こうに見える夕陽。



友だち「ねえ、知ってる――?

 友だちの友だちが言ってたんだけど……」




               「ムラサキカガミ」完




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