クソガキとカピバラ
ぽん&こす
挨拶だけはちゃんとしている
「田淵は、社会的にはズレているが、人間としてはズレていない」
学生の頃、おっさん教師から面と向かってそう言われた。
真面目なカピバラみたいな外見のその教師は、担任ですらない。
廊下でのすれ違いざま、「おはようございます」と挨拶する程度の仲でしかない。
接点も薄いだけにそう評される理由が分からなかった。
そもそも、「社会的にはズレている」と言われてどういったリアクションをすればいいのか。
「……なんですか、それ」
「そのままだ」
カピバラ教師は平然としていた。
「お前は社会に出たら、たぶん苦労する」
「嫌なこと言いますね」
「伊達に歳はくってないぞ」
ひどく楽しそうな感じでガハハと笑う。
「田淵は人として越えちゃいけない線は越えないだろ」
そう言われても、よくわからなかった。
クソガキという自覚があったからだ。
担任にも目をつけられているくらいだ。
「卒業させてやらない」とまで言われている。
ろくな生徒ではないのは間違いない。
家でもそうだ。
酒を飲んでは暴れる父を躊躇いゼロ&グーで殴って応戦するくらいだ。
父に向かって、「純粋に悲しめる心がまだあるうちに死んでくれ」とさえ口にし、真剣に願った夜もある。
それならまだしも、とても口にはできないことも考えたら事もある。
腐っても親は親。
後に残る身内に被害者と加害者を抱える構図を背負わせるのは良くない。
わりかし、自分はどうでもいいとは思う。
それでもこれから進学、結婚、就職やらを控えている身内がいるのに、センセーショナルすぎる話題で土地の有名人になってしまったら生きていけない。
だから、止めた。
父もある意味では同情の余地がある人だったから。
ちなみに、親を殴るというのは本当に気分が悪い。
別の日。
そのおっさん教師は私と同じクラスの生徒を指して、こう言った。
「アイツは社会的にはズレてはいないが、人間としてはズレている」
その生徒がどんな人間であるかは同じクラスなだけによく知っていた。
なので、今回はなんとなくわかったような気がした。
「……先生」
「なんだ」
「私との違い、なんですか」
「お前は自分で考えろ」
結局、その時は分からなかった。
社会的にズレている。
人間としてズレていない。
その二つが別物だということすら、当時の私は理解していなかった。
今なら、少しだけ分かる。
社会の中で要領よく振る舞える人間が、必ずしも他人に優しいとは限らない。
空気を読める人間が、必ずしも正しいとは限らない。
逆に、妙なところで頑固だったり、周囲と同じようにできなかったり、時々とんでもなく浮いてしまったりする人間でも、人として越えてはいけない線を越えない者はいる。
たぶん、あの教師が言いたかったのは、そういうことだったのだろう。
当時の私は、確かに社会的にはかなりズレていた。
そして、今でもたいして変わっていない。
けれど。
何年経っても、あの言葉だけは覚えている。
「人間としてはズレていない」
あの時は意味が分からなかった。
今になって思えば、あれはずいぶんとありがたい言葉だったのかもしれない。
ただ。
あの教師には、もう一つ忘れられない言葉がある。
「歳をとるとな、いやしくなるから食い物の好き嫌いなんてなくなるぞ」
これもまたなんの脈絡もなく、突拍子もない言葉だった。
「……なんでですか?」
「歳をとれば分かる」
そして、私は歳をとった。
けれど。
いまだに分からない。
好き嫌いは、普通にある。
先生。
あれはどういう理論だったんですか。
卒業させないとまで言った担任と、学年主任に公然と抗議するくらいに肩入れする要素が私のどこにあったのかも謎なままだ。
卒業式の後に「内緒だぞ」と言って廃焼却炉で焼いた熱々のじゃがバターを振る舞ってくれた理由も。
しかも、マーガリンじゃなくてバターをどこからともなく取り出してガハハと笑っていた。
「塩辛を載せてもうまいぞ」と言っていたが、それは流石に持ってきていないようだった。
「家でやってみろ。食わず嫌いは良くない」
そう勧められても、塩辛は大人の味すぎて無理だった。
今も塩辛は好きじゃない。
それにしても、ビーカーで飲むコーヒーは妙にうまそうだったな。
そう思う。
風の噂で、カピバラ教師は僻地の学校に飛ばされたとか、飛ばされてないとか聞くが、私が思うに「結構なお話ですな」と言って赴任希望して行ったような気がする。
そしてそこで自由気ままな教師生活をしていそうだ。
クソガキとカピバラ ぽん&こす @Ponkos01
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