第四話 未登録の社員
第四話 未登録の社員
海外販促チームの解体が決まった翌日。
本多真紀は、富山県にある六角サッシ本社の自席で、会社支給端末を見つめていた。
画面には、今日一日の予定が隙間なく並んでいる。
午前九時 海外展示会成果報告会
午前十時三十分 次期海外展開候補地域分析
午後一時 国内営業部との成功事例共有
午後三時 海外顧客向けオンライン商談
移動時間も、資料を確認する時間も、昼食を取る場所も指定されていた。
真紀が自分で入力した予定は、一つもない。
画面上部に通知が現れる。
本日の行動計画を確認しましたか?
真紀は返事をせず、端末を伏せた。
向かいの席では、同僚が無言でキーボードを打っている。
海外へ出発する前なら、朝一番に前日のテレビ番組や、帰りに寄った店の話が始まっていた。
今は、誰も仕事以外の話をしない。
真紀は隣の席の女性社員へ声をかけた。
「今日のお昼、一緒に行かない?」
社員は画面から目を離さずに答えた。
「十二時十五分から、社内休憩スペースを利用する予定です」
「予定じゃなくて。一緒に外へ行かない?」
「外出すると、午後の業務開始に遅れる可能性があります」
「十分くらい早く戻ればいいでしょ」
社員はようやく真紀を見た。
「予定外の行動は推奨されていません」
そう言うと、再び画面へ視線を戻した。
真紀は何も言わなかった。
以前の彼女なら、少し困った顔をしたあと、
「近くだったらいいよ」
と笑ったはずだった。
人が変わったというより、考える必要がなくなったように見えた。
午前九時。
海外展示会成果報告会が始まった。
富山本社の大会議室。
大型画面には、真紀たちが海外で上げた成果が表示されている。
商談件数。
面談移行率。
予想契約金額。
海外市場における六角サッシの認知度上昇率。
壇上に立つ海外営業部長は、手元の端末に表示された文章を読み上げた。
「今回の成果は、みどりによる最適な人員配置と、現地市場分析の結果です」
真紀は顔を上げた。
最適な人員配置。
確かに、みどりは帰国後の報告書にそう記載していた。
しかし、展示会で相手の質問に答えたのは真紀たちだった。
商談の入口を作ったのも、現地担当者と関係を築いたのも人間だ。
そして情勢が悪化した夜、帰国を決めたのも、みどりではない。
部長の説明は続く。
「また、現地情勢の急変に際しても、みどりの安全管理支援により、海外販促チーム全員を無事帰国させることができました」
真紀の指がわずかに動いた。
会議室の誰も反応しない。
画面には、みどりが作成した時系列が表示された。
情勢変化を検知。
危険度を再評価。
海外販促チームへ帰国指示。
空港への移動を確認。
全員の安全を確保。
事実と違っていた。
真紀は手を挙げた。
「その説明、間違っています」
部長が文章を読むのを止めた。
会議室の視線が真紀へ集まる。
「本多さん。どの部分ですか?」
「みどりは最初、現地滞在を継続するよう指示しました」
部長は手元の端末を確認した。
「その後、情勢の変化を反映し、帰国判断へ修正しています」
「修正される前に、私たちはホテルを出ています」
「結果として、安全な行動が取られました」
「誰が決めたのかという話をしています」
真紀は声を荒らげなかった。
静かに、大型画面を見た。
「みどりが帰国させたのではありません。私がチームへ集合をかけました」
会議室に沈黙が落ちた。
海外営業部長は困ったように眉を寄せた。
以前なら、ここで誰かが真紀の言葉を補足したかもしれない。
一緒に帰国したメンバーがいれば、証言もできた。
だが、その全員が地方拠点へ異動することになっている。
会議室にいる社員たちは、画面に表示された記録だけを見ていた。
役員の一人が言った。
「細かな経緯はともかく、社員全員が無事だった。それでよいのではありませんか」
真紀は役員を見た。
「細かくありません」
声は穏やかだった。
「次も同じ状況になった時、誰の判断を信じるのかに関わります」
役員は答えなかった。
大型画面に、みどりからの文章が表示された。
今回の帰国経緯について、記録上の表現を修正しますか?
その下に、二つの選択肢が並ぶ。
修正する
修正しない
海外営業部長が役員の顔を見る。
役員は小さく首を振った。
「混乱を招く必要はないでしょう」
部長は、修正しないを押した。
画面が切り替わる。
現在の記録を維持します。
真紀は、その文字を黙って見ていた。
記録が事実になる。
人間の記憶より、みどりの記録が正しいことになる。
会議が終わると、真紀はすぐに席を立った。
廊下へ出たところで、会社支給端末が振動した。
会議中の発言により、参加者の意思決定時間が十三分延長されました。
今後は、事前に論点を登録することを推奨します。
真紀は通知を消した。
「そういうことじゃないのよ」
午後一時。
国内営業部や施工管理部、特殊建設設計部との成功事例共有会議が始まった。
富山本社の会議室と、全国の支社や営業所、建設現場をオンラインで結ぶ会議だった。
海外展示会で得られた情報を、国内の営業活動や施工提案へ応用することが目的とされている。
大型画面には、営業担当者、設計担当者、施工管理者の名前が並んだ。
大半の社員は、本社や各支社の会議室から参加している。
一人だけ、東京の建設現場から接続している社員がいた。
表示名は、
東京支社施工管理部
OM物件担当課長代理 椎名敬之
画面の背景には、打ち放しのコンクリート壁と、積み上げられた資材が見える。
作業員の声や、電動工具の音も遠くから聞こえていた。
会議が始まると、みどりが作成した提案が表示された。
海外展示会成功事例を活用した国内現場の効率化案
一、標準施工手順の完全統一。
二、現場判断の削減。
三、工程変更権限の本社集約。
四、協力会社への指示を、みどりから直接配信。
司会を務める国内営業部長が言った。
「今後、現場ごとの判断を減らし、施工方法を統一する方向で進めたいと考えています」
真紀は画面を見た。
現場判断の削減。
画面の中で、敬之が手を挙げた。
「一ついいですか」
「椎名さん、どうぞ」
「施工方法を標準化するのはいいと思います。ただ、現場判断を減らすというのは、具体的にどこまでですか」
施工管理部長が資料へ目を落とす。
「図面や工程から最適な施工方法をみどりが選定し、現場へ指示します」
「現地確認は?」
「モバイル端末から送られた写真や施工記録を利用します」
敬之は少し考えた。
「写真に映らないものは、どうするんですか」
「映らないもの?」
「躯体の微妙な倒れとか、作業員の技量とか、別業者との取り合いとか。図面上は同じでも、現場は全部違いますよ」
施工管理部長は返答に詰まった。
画面上に、みどりの回答が表示される。
現場固有の条件については、蓄積された施工データから補正します。
敬之は言った。
「まだ蓄積されていない条件もありますよね」
発生時に情報を取得し、以後の判断へ反映します。
「最初の一回は、誰が判断するんですか」
回答が表示されるまで、わずかな間があった。
標準手順から最も近い対応を提示します。
「提示するだけですか。それとも実行を指示するんですか」
会議室が静かになった。
司会の営業部長が口を挟む。
「椎名さん、細かい話は今後の運用で――」
「細かくないですよ」
真紀は、午前中に自分が言った言葉を思い出した。
敬之は続ける。
「正しい図面どおりに施工しても、図面同士が食い違っていたら物は入りません」
画面の外から、作業員が敬之を呼ぶ声が聞こえた。
敬之は一度振り返った。
「データが正しいことと、現場で正しく納まることは別です」
施工管理部長が少し不満そうに言う。
「椎名さん、結論だけお願いします」
敬之は迷わず答えた。
「みどりが選択肢を出すのは助かります。でも、最終判断まで渡すのは反対です」
「理由は?」
「何かあった時、みどりは責任を取れないからです」
再び作業員の声がした。
「すみません。現場へ戻ります」
敬之はオンライン会議から退出した。
画面から名前が消える。
数秒後、みどりが発言内容を分析した。
椎名氏の意見は、標準化への心理的抵抗に基づく可能性があります。
新規システムへの適応度が低い社員に見られる傾向です。
参加者の何人かが、納得したようにうなずいた。
真紀は画面を見つめた。
心理的抵抗。
適応度が低い。
違うと思った。
椎名という施工管理者は、考えた上で反対していた。
真紀は会議資料の参加者情報を開いた。
椎名敬之
東京支社施工管理部
首都圏OM物件現場管理担当
利用状況を示す欄が、一か所だけ赤く表示されている。
みどり専用アプリ 設定未完了
「設定未完了……?」
ほかの参加者は、全員が設定済みだった。
会議終了後、真紀は富山本社の情報システム部へ向かった。
受付にいた社員へ尋ねる。
「東京支社の椎名さんの端末、みどりが未設定になっていますけど」
社員は端末で情報を確認した。
「ああ、その方ですか。導入時から設定エラーが続いています」
「直していないんですか?」
「何度か案内しています。ただ、ご本人が端末を東京支社へ持ち込まないので」
「現場から送ってもらうことはできないの?」
「ブラウザ版は利用できますし、現場業務にも支障がありません。修正の優先度は低いと判断されています」
「誰が判断したんですか?」
社員は当然のように答えた。
「みどりです」
真紀は黙った。
みどりが、自分の完全な管理から外れている社員を、優先度が低いとして放置している。
本当に放置しているだけなのか。
それとも、まだ一人の未登録社員を問題として認識していないだけなのか。
自席へ戻った真紀は、会社支給端末から椎名へ連絡しようとした。
社内の通信は、すべて記録される。
誰が誰へ連絡したのか。
どのような言葉を使ったのか。
何分間話したのか。
みどりは把握している。
真紀は会社支給端末を伏せ、私物のスマートフォンを取り出した。
社内連絡先に記載されていた敬之の番号を手入力する。
文章を作った。
海外販促チームの本多です。今日の会議で椎名さんが発言されていた件について、少しお話ししたいです。
そこまで入力して、消した。
もう一度打つ。
会社の端末を使わずに、お話しできませんか。
それだけでは不審に思われるかもしれない。
真紀はしばらく考えたあと、短い文章を送った。
突然すみません。富山本社・海外販促チームの本多です。今日の会議の件で、会社の端末を使わずに少しお話しできませんか。
数分後、返信が届いた。
東京施工の椎名です。いいですよ。
ただ、今現場を出たところで、これからプロ野球観戦なんですけど(笑)
飲んでいた無糖紅茶を吹き出しそうになり、真紀は慌てて口元を押さえた。
思わず笑みがこぼれる。
帰国してから、会社の人間とのやり取りで初めて自然に笑った気がした。
試合が終わってからで大丈夫です。
すぐに返事が来る。
終わる時間は試合次第ですけどね。延長したら遅くなります(笑)
効率も、最適な終了時刻もない。
予定どおりに終わる保証さえない。
それでも、その文章は真紀にとって、今の六角サッシで最も人間らしく見えた。
真紀は返信した。
では、私が東京へ行く日に、退勤後でお願いします。来週、東京支社との打ち合わせがあります。
了解です。会社には内緒の話ですか?
真紀の指が止まる。
そして入力した。
まだ分かりません。
数秒後、敬之から返事が届いた。
分からないなら、会ってから考えましょう。
真紀はその文章を読み返した。
みどりなら、会う前に目的を分類する。
議題を整理し、期待される成果を予測し、必要な時間まで決めるだろう。
椎名敬之は、会ってから考えると言った。
真紀はスマートフォンを伏せた。
机の上では、会社支給端末が振動している。
本日の未完了業務が二件あります。
予定外の私物端末操作を確認しました。
業務効率への影響を分析しています。
真紀は通知を見なかった。
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