第四章 反撃
第二十二話 迂回
第二十二話 迂回
早朝の東京駅。
白い車体に青い帯を引いた新幹線が、ゆっくりとホームを離れていく。
窓側の席に座った
真紀はその画面へ一度だけ目を落とした。
「アイラ」
《はい》
「しばらく長旅になるわよ」
《承知しました》
真紀は小さく笑い、背もたれへ身体を預けた。
誰に見送られることもなく、本多真紀は人知れず東京を離れた。
◇
それから数時間後。
昼過ぎの東京駅に、
帽子を深く被り、朝と同じ服装のまま、北陸新幹線の待合室に座っている。手にしたスマートフォンを時折操作しているものの、なかなか立ち上がろうとはしない。
少し離れた場所では、旅行客を装った男がその様子を見ていた。
男はスマートフォンを取り出し、本部へ連絡を入れた。
「対象、現在も北陸新幹線待合室にいます」
『了解。監視を継続してください』
「了解」
通話を切り、再び帽子の女へ目を向ける。
やがて駅構内に案内放送が流れた。次に発車する北陸新幹線「かがやき」の折り返し運転の準備が整い、まもなく乗車を開始することを告げている。
男は再び本部へ連絡した。
「まもなく乗車するものと思われます」
しかし、真紀は動かなかった。
それどころか、ゆっくりと立ち上がると、乗車口とは別の方向へ歩き始めた。
男が眉をひそめる。
真紀が入ったのは、駅構内のカフェだった。カウンターで何かを注文し、少し大きめのカップを受け取る。
無糖紅茶だった。
空いている席へ腰を下ろした真紀を、男は店の外から見続けた。その間にも「かがやき」への乗車は進み、やがて発車時刻を迎える。
北陸新幹線「かがやき」は、定刻通り東京駅を離れていった。
真紀はまだ、店内で紅茶を飲んでいる。
男は本部へ報告した。
「対象、先ほどのかがやきには乗車しませんでした」
『予定を変更したのか?』
「分かりません。ただ、前回のような行動は取らず、次のかがやきで予定通り向かうものと思われます」
『了解。引き続き監視を』
「了解」
通話を終えた直後、真紀が突然立ち上がった。
カップを手にしたまま、足早に店を出ていく。
男もすぐに動いた。
真紀は北陸新幹線のホームへ向かい、そのまま停車中の「あさま」へ乗り込んだ。
「なっ……」
男は慌てて後を追った。
だが、真紀が乗り込んだ車両へ向かうより先に、発車を知らせる音が鳴り始める。男は仕方なく、最も近い車両へ飛び乗った。
間もなくドアが閉まり、「あさま」は東京駅を離れた。
男は車内を移動し、ようやく真紀の姿を確認した。彼女は指定席に座り、何事もなかったように窓の外を眺めている。
上野を過ぎてしばらくすると、車窓の向こうに
その頃になって、真紀が手元に出していた物を片付け始める。
少し離れた位置から様子を窺っていた男は、その動きを見逃さなかった。
――まさか。
列車は速度を落とし、やがて大宮駅へ滑り込んだ。
ドアが開いた瞬間、真紀は立ち上がってホームへ降りた。
「え?」
男は一瞬、呆気に取られたが、すぐに席を立って後を追った。
ホームへ降りた時には、真紀はすでに先を歩いている。男は歩きながらスマートフォンを取り出した。
「本部。本多真紀、大宮で下車しました」
『大宮?』
「はい」
『その後は?』
男は前を歩く真紀を見た。
「現在追跡中です。ただ……その後の行動予定が読めません」
真紀はホーム上の待合室へ入り、空いている席へ腰を下ろした。
男は少し離れた場所に立ち、視線だけを向けている。
間もなく、次に到着する北陸新幹線「かがやき」の入線を告げる音声案内が流れた。
真紀がおもむろに立ち上がり、会社が手配した指定席のある車両の乗車列へ並ぶ。
それを見て、男はようやく納得した。
――そういうことか。
東京から直接かがやきに乗らず、大宮で乗り換えるつもりだったのだ。
ほどなくして「かがやき」がホームへ入線した。
扉が開き、降車客がホームへ降りてくる。それが途切れると、待っていた乗客たちが順番に車内へ入り始めた。
真紀も乗り込み、会社が手配した指定席へ腰を下ろす。
私服隊員は同じ車両へ乗り込み、通路を挟んだ反対側の少し後方に空席を確保した。
男は座席へ腰を下ろし、対象の様子を確認する。
その時、違和感を覚えた。
真紀と同じ列の数席離れた場所に、もう一人の女性が座っている。
帽子も、上着も、パンツも、靴も同じだった。
見間違いかと思い、もう一度確かめる。
ほとんど完全に同じ服装だった。
――二人?
男の視線が、二人の女性の間を行き来する。
帽子のつばに隠れて顔はよく見えない。体格も似ており、髪型までほぼ同じだった。
しかし男には、声を掛ける権限がない。身分証の提示を求めることもできず、ただ二人を見張るしかなかった。
やがてドアが閉まり、「かがやき」は大宮駅を離れた。
◇
列車は北へ進んだ。
二人の女性は、互いの存在など気にも留めていないように別々の時間を過ごしていた。
一人は窓の外を眺め、もう一人はスマートフォンを操作している。会話を交わすこともなかった。
長野に停車しても、二人とも降りない。
列車が再び走り出すと、私服隊員は何度も二人を見比べた。
どちらが本多真紀なのか。
いや、東京駅から追ってきた女性が本多真紀である。自分は一度も見失っていない。
男はそう言い聞かせた。
列車は富山県へ入り、富山駅まであと数分となった。
その時、一人の女性がもう一人へ顔を向けた。
「ねえ」
もう一人がスマートフォンから顔を上げる。
「何?」
「あなた、なんで私と同じ服装してるの?」
私服隊員の表情が変わった。
二人の会話へ意識を集中させる。
「なんでって、私がいつ何を着ても自由でしょ?」
もう一人の女性が、少し呆れたように答えた。
「確かにそうだけど……」
最初に話しかけた女性が、自分の服装を見下ろす。
「よりによって今日、かぶることないでしょ」
二人の間に一瞬の沈黙が生まれ、やがて同時に笑い声が上がった。
「そんなこと言ったって、知らないわよ」
「もう。朝見た時、びっくりしたんだから」
私服隊員は目を細めた。
――知り合いなのか?
それとも。
列車が速度を落とし始めた。間もなく富山駅へ到着する。
男の意識が一気にそちらへ向いた。
本多真紀の復職面談先は、嶺北本社。富山駅から先は、在来線か車へ乗り換える可能性が高い。
列車が富山駅へ停車し、ドアが開いた。
大勢の乗客が降りていく。
しかし、二人の女性は座ったまま動かなかった。
「……?」
発車を告げる音が鳴り、ドアが閉まる。
私服隊員は慌てて本部へ連絡した。
「本部!」
『どうした?』
「対象、富山駅で下車せず!」
『何?』
「乗り換えませんでした。現在もかがやきに乗車しています!」
『そのまま監視を継続しろ』
「了解!」
列車は富山駅を離れ、市街地が後方へ流れていく。
私服隊員は二人から目を離さなかった。
やがて富山市街が遠ざかり始めた頃、先ほど話しかけた女性が楽しそうに言った。
「さて、綾香。金沢の温泉、楽しみだね」
もう一人の女性が笑顔を返す。
「そうなの、絵麻。久しぶりにのんびりできるんでしょ?」
「うん。山奥の温泉で、何もしないで過ごそう」
「最高ね」
二人は笑い合い、同時に帽子を取った。
その顔を見た瞬間、私服隊員から血の気が引いた。
知らない顔だった。
少なくとも、どちらも本多真紀ではない。
男は震える手でスマートフォンを取り出した。
「……本部」
『どうした?』
声が出なかった。
乾いた喉から、ようやく言葉を絞り出す。
「対象を……対象を見失いました」
一瞬の沈黙があった。
『いつだ?』
男は答えようとした。
東京駅なのか。
大宮なのか。
それとも、もっと前なのか。
分からない。
自分は一度も目を離していないはずだった。それなのに、追い続けていた二人のどちらも本多真紀ではなかった。
「……分かりません」
男は力なく答えた。
その直後、本部側へ別の通信が割り込んだ。
『本部!』
私服隊員にも、その切迫した声が聞こえた。
『対象を確認しました!』
『誰だ?』
『本多真紀です!』
男は思わず顔を上げた。
『場所は!?』
わずかな間があった。
そして、通信の向こうから答えが返ってきた。
『六角サッシ
男は何も言えなかった。
走り続ける「かがやき」の車内で、ただ帽子を脱いで笑い合う二人の女性を見つめていた。
《人物照合――本多真紀 海外販促部(休養期間中)》
《予定移動経路との不一致を確認》
《再計算中……》
《再計算中……》
《別経路からの移動と推測》
《北国警備保障による追跡を回避した可能性――高》
《想定外の行動を確認》
《観測レベルを上限へ変更します》
《本多真紀が組織最適化を崩す起点となる可能性――85%》
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