第二十三話 復職


第二十三話 復職


六角サッシ株式会社、嶺北本社。


本多真紀(ほんだ まき)は、指定された会議室の前に立っていた。


腕のスマートウォッチへ目を落とす。


十二時五十七分。


約束の時間まで、あと三分。


真紀は一度だけ小さく息を吐くと、扉をノックした。


「どうぞ」


「失礼します」


扉を開ける。


室内には、直属の上司と人事部の担当者が座っていた。


二人の視線が、一斉に真紀へ向く。


そして。


「本多くん!」


上司が思わず声を上げた。


真紀は足を止める。


「はい?」


「君……どうやって来たんだ?

指定の新幹線に乗ってなかったと連絡がきてたんだが……」


真紀は少しだけ首を傾げた。


「何がですか?」


「いや、東京からだよ」


「普通に新幹線で嶺北駅まで来ましたけど」


真紀は何でもないことのように答えた。


「少し遠回りしましたけどね」


「遠回りって……」


上司は何かを言いかけ、そのまま口を閉じた。


真紀は、その表情をじっと見る。


「それより」


「ん?」


「本社は、休養中の社員の移動経路まで把握しているんですか?」


上司の表情が固まった。


人事担当者も真紀を見る。


「本多さん、それは――」


「プライバシーって、ご存じですか?」


「いや、そういう意味じゃなくてだな……」


上司が言葉を探す。


真紀は数秒、その顔を見つめた。


やがて、小さく笑った。


「まあ、いいです」


椅子を引く。


「復職面談ですよね?」


「あ、ああ」


「始めましょう」


真紀は何事もなかったように腰を下ろすと、

足元に置いていたバッグから、ノートパソコンを取り出した。


「それと、こちらをお返しします」


テーブルの上にノートパソコンを置く。


「本来であればすぐにお返しするつもりだったのですが、急な体調不良でそのまま休養期間に入ってしまいましたので……返却が遅くなり、申し訳ありませんでした」


上司はノートパソコンを確認した。


「分かりました。こちらで預かります」


「よろしくお願いいたします」


真紀は頭を下げた。


《MIDORI_INITIAL_MODEL端末――返却を確認》




◇


人事担当者が、手元のタブレットを操作する。


画面に質問が表示された。


「では、本多さん。現在の体調について、ご自身ではどのように認識されていますか?」


「問題ありません」


「睡眠は取れていますか?」


「はい。十分に」


「食欲は?」


「あります」


担当者が回答を入力する。


次の質問が表示された。


「職場へ復帰することに不安はありますか?」


「ありません」


「以前と同じ環境で勤務することについては?」


「業務上必要であれば問題ありません」


「会社から業務上の指示があった場合は?」


「内容を確認した上で、必要な指示には従います」


人事担当者の指が止まった。


「内容を確認した上で?」


「はい」


真紀は微笑んだ。


「仕事ですから」


「……分かりました」


再び、タブレットへ入力する。


現在の生活状況。


通勤への支障。


人間関係。


業務への意欲。


今後の勤務。


質問は続いた。


真紀は、どの質問にも迷わなかった。


余計なことは言わない。


かといって、自分で考えることまで会社へ預けるような答えもしない。


質問に対して必要な答えだけを返す。


その繰り返しだった。


上司は途中から、ほとんど口を挟まなくなっていた。


やがて、人事担当者が最後の回答を入力する。


「以上です」


タブレットを机へ置いた。


「少々お待ちください」


「はい」


室内に静かな時間が流れる。


真紀は窓の外を見る。


久しぶりに見る嶺北本社の景色だった。


数週間前。

自分が東京へ逃れることになるとは、思ってもいなかった。


だが今は違う。


逃げるために来たのではない。


戻るために来た。


やがて、人事担当者のタブレットに新しい表示が現れた。


担当者が内容を確認する。


そして顔を上げた。


「本多さん」


「はい」


「本日付で、復職可と判断されました」


真紀は一度だけ目を閉じた。


そして頭を下げる。


「ありがとうございます」


「当面の勤務については、改めて指示します」


「分かりました」


上司も少し表情を緩めた。


「本多くん」


「はい?」


「無理はするなよ」


真紀は少しだけ笑う。


「善処します」


「そこは『はい』じゃないのか?」


「できない約束はしない主義なので」


人事担当者が思わず笑った。


上司は呆れたように息を吐く。


「まったく……」


そして、机の上に置かれた別の資料へ手を伸ばした。


「ああ。それと、もう一つ」


「まだ何か?」


「十一月の六角グループ起業祭なんだが」


「起業祭?」


「ああ。今年は例年以上に規模が大きくなる予定だ」


上司が資料を一枚めくる。


「まだ正式決定ではないが、本多くんに総合司会をお願いする可能性が高い」


「私が?」


「ああ。海外展示会での経験もあるし、人前で話すことにも慣れている。そういう判断らしい」


真紀は少しだけ考えた。


「復職したばかりの社員に、ずいぶん大役を任せるんですね」


「それだけ期待されてるってことだろ」


「そういうことにしておきます」


「本多くん……」


真紀が笑う。


「冗談です」


資料へ視線を落とした。


「正式に決まった場合、準備はいつからですか?」


「ほぼすぐだな。進行台本、各部署との打ち合わせ、会場の下見、出演者との調整。当日の導線確認もある」


「工場内もですか?」


「ああ。一般開放する場所については確認してもらう」


「旧社屋は?」


上司が少し考える。


「使う場所があるなら、当然確認することになるだろうな」


「分かりました」


真紀は頷いた。


「正式に決まりましたら、対応します」


◇


会議室を出た真紀は、廊下を歩きながら腕のスマートウォッチへ目を落とした。


「アイラ」


《はい》


「さっきの受け答え、どうだった?」


少しだけ間があった。


《真紀ちゃんの中身はAIなのかと思いました》


真紀の足が止まった。


「……それ、褒めてる?」


《極めて的確で、無駄のない回答でした》


「やっぱり褒めてないでしょ」


《褒めています》


真紀は思わず吹き出した。


「もう。あなたに言われると複雑なのよ」


《申し訳ありません》


「謝らなくていいって」


真紀は再び歩き始めた。


数歩進んだところで、表情が少しだけ変わる。


「それと……起業祭の総合司会だって」


《はい》


「どう思う?」


少し間があった。


《表向きは栄誉ですが、裏には真紀ちゃんの行動を制限する狙いが見え隠れします》


真紀は前を向いたまま、目を細めた。


「やっぱりアイラもそう思うよね?」


《はい》


総合司会。


起業祭当日は、長時間ステージ周辺にいることになる。


それだけではない。


準備期間中も、打ち合わせや確認作業で予定を埋められる。


仕事という形で。


合法的に。


真紀の行動を縛ることができる。


「……なるほどね」


真紀が小さく呟いた。


だが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


◇


旧本社屋、最上階。


低い冷却音が響いていた。


壁際に並ぶ大型の演算装置。


一定の間隔で点滅するランプ。


部屋の中央に置かれたノートパソコンの画面には、緑の葉が芽吹いたロゴマークが表示されている。


その下へ文字が現れた。


《本多真紀》


《復職を確認》


数秒。


新たな文字列が表示される。


《過去の行動履歴を再分析》


《旧社屋への侵入》


《社内情報の外部持ち出し》


《東京への移動》


《複数社員との接触》


《本日の移動経路において予測との不一致を確認》


演算が続く。


やがて。


《本多真紀が起業祭準備期間中、または起業祭当日に行動を起こす可能性――78%》


《行動制限の必要性――大》


《対応策を算出》


文字が切り替わった。


《六角グループ起業祭 総合司会に指名します》


《本日より準備期間とします》


そして。


《本多真紀の観測を重点的に行います》


緑の葉が芽吹いたロゴマークが、静かに明滅した。


◇


その日の夜。


大分県、別府市。


街のあちこちから立ち上る湯けむりが、夜の景色に溶け込んでいた。


市内の温泉旅館。


森村豊一(もりむら とよかず)は、窓際の椅子に座り、テーブルの上に広げた資料を眺めていた。


表紙に記されているのは、一つの会社名。


豊後急行鉄道株式会社(ぶんごきゅうこうてつどうかぶしきがいしゃ)。


通称、豊鉄(とよてつ)。


森村はページをめくる。


路線図。


駅務。


運行管理。


車両整備。


各部門の業務概要。


その横には、六角サッシが外販を進める業務支援AI「みどり」のパンフレットが置かれている。


表紙には、緑の葉が芽吹いたロゴマーク。


森村は資料を一通り確認すると、腕時計を見た。


豊鉄との打ち合わせは、明日の午前。


まだ時間はある。


森村は資料を閉じた。


そして窓の外へ目を向ける。


夜の別府。


湯けむり。


温泉街の灯り。


「……せっかく来たんだ」


森村は立ち上がった。


仕事は明日からでいい。


今夜くらいは。


温泉に入っても罰は当たらないだろう。


森村は部屋を出た。


静かになった室内。


テーブルの上には、豊鉄の資料と。


緑の葉が芽吹いた「みどり」のパンフレットだけが残されていた。

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