【短編】どうやら俺は、『ガチ』のメイドカフェに来てしまったらしい。

ろぉぉど

どうやら俺は、『ガチ』のメイドカフェに来てしまったらしい。

 最悪だ。電車を寝過ごしてしまった。


 いや。降りる気力が最後の一滴まで枯れ果てて、魂だけ先に帰らせてしまったというのが正しいだろうか。


 気づけば見知らぬ駅の改札を出て、ネオンも疎らな路地を幽霊のように歩いていた。


 残業、残業、また残業。

 今月の有給消化率は、驚異のゼロパーセント。

 上司の『遅くまで良く頑張ってるね』は、

 『キミはノロマだな』という意味。


 ああ、癒やされたい。

 誰でもいいから、優しくしてほしい。


 『頑張ったね、えらいね』、その一言でいい。

 とにかく人間扱いされたい。


 行く当てもなくさまよっていたそのとき、路地裏に灯る小さな看板を見つけた。


 『Maid Café — 深窓』


 秋葉原でもあるまい、こんな寂れた街に、ぽつんとメイドカフェがあるものか、あっていいものか。しかし、そんなことを考える間もなく、地下へと続く階段に導かれるように足が動いていた。 


 萌えとか、キュンとか、あるんだろうなぁ。


 こういう店には行ったことがないせいで具体的にイメージできず、情けないことに桃色の煙として、それが脳内で渦巻いていた。


 重厚なオーク材の扉。押し開けると同時に流れ込んできたのは、パイプオルガンの荘厳な旋律だった。天井は高く、シャンデリアが控えめに光を落としている。


 立派な机や椅子、ソファが並んでいるが、人の姿はない。ひょっとしたら、まだ開店前なのかもしれない、そう思うほど気配がなかった。


 壁際に並ぶ調度品を眺めながら歩く。年季の入った柱時計は、振り子がやけに重々しい音を立てている。近くの飾り棚には、色褪せた革張りの本がずらりと並んでいた。タイトルを見ると、外国語の背表紙ばかりで、一文字も読めない。


 試しに一冊、そっと指先で触れてみる。表紙の革がひび割れていて、明らかに『それっぽく加工した安物』の質感ではない。妙に緊張しながら手を離した。


 喫茶店ですら、内装でここまで本気を出すものがあるか?


 壁の隅、少し陰になった場所に、これまた古めかしく、口ひげが立派な男の顔のデカい画が一枚。ご丁寧に『1984年、イギリスより』という小さなプレートが添えられていた。


「……びっぐぶらざー……?」


 デカデカと書かれた文字を読んでも、誰なのかは分からない。だが、目つきがやけに鋭くて、なんだかジッと見られているような気がしてくる。そそくさと離れた。


 柱の陰から、隣の部屋がちらりと覗けた。薄暗い光の中に、これまた年代物らしき暖炉と、無骨な鎧が一体、静かに佇んでいる。


 ここ、どこだよ。


「ご主人様」


「ひっ」


 背後から、突然の声。思わず跳び上がった。これほどまで近づかれるまで、全く気づかなかった。いや、気づけなかった。冗談でなく、本当に殺されるかと思った。気配が暗殺者のそれだ。


「あまり調度品に触れられると困ります。

 全て本物ですので……」


「アッ、ハイ、スミマセン」


 何はともあれ、そのメイドが席へと案内してくれた。黒を基調としたクラシカルなお仕着せ。思わず見惚れてしまったのは、カワイイというより、カッコイイからだ。所作がまるで流れる水のようで、一切の無駄がない。名札には『クララ』と控えめな筆記体で書かれていた。


 案内された席は革張りのソファ。腰を下ろした瞬間、体が沼のように沈み込み、あァ〜なんて変な声が出る。


「これ、立ち上がれなくなるやつ……」


 高級すぎる。

 英国貴族の別荘に迷い込んだ気分だ。


 クララが差し出してくれたグラスを受け取る。喉がカラカラだった俺は、礼儀もへったくれもなく一気に呷ろうとした。


「軟水・硬度32でございます。

 喉への負担を最小限に抑えるため、

 当館では地下水を独自にブレンドしております」


 水に人生かけてる……。


 心の中で思わずツッコみながらも、俺はこう考えずにはいられなかった。──水道水と、こんな高級ぶった水に違いなんてあるわけがない。所詮は水、エイチ・ツー・オーだ。


 一口。 


 ……美味い。


 なぜか、悔しい。めちゃくちゃ、悔しい。


「……あの、この写真って」


 まだ、負けを認めたくなかった。話を逸らすように、壁に飾られた金縁の写真を指差す。白黒で、いかにも「歴史」を感じさせる一枚。


「当館は伝統と格式を重んじております。

 創業当時の理念を忘れぬよう、

 ああして飾っているのです」


「へぇ……いつ創業なんですか?」


 コップを傾け、残りの水を口に流し込む。


「一昨日です」


 ぶっ、と美味い水を噴き出しそうになった。


 気を取り直してメニューを開く。

 開いて、絶句した。


 値段が、どこにもないのだ。


 代わりに載っているのは、卵の生産者の顔写真とプロフィール、トマトの契約農家の紹介文、そしてニワトリがどれほど自由に育てられているかという長文のエッセイ。


「あのぅ……値段は」


「仕入れ状況により変動いたします」


 時価かァ。ってなるかい。

 高級寿司屋でしか聞かないぞ。


 恐る恐る聞いてみる。


「じゃあ一番安いのは……」


「当館では、すべてのお料理に

 同じ熱意を注いでおります。

 ですので、優劣をつけることは致しかねます」


 なるほど。答えになっていない。


 だが、これ以上粘る気力もなく、俺は賭けに出るような気持ちでオムライスを注文した。メイド喫茶といえばオムライス、とマンガか何かで見た気がする。


 運ばれてきたそれを見て、俺はしばらく言葉を失った。


 皿の中央に鎮座していたのは、黄色いラグビーボール状のものではない。


 白い泡と、バルサミコソースで幾何学模様の描かれた、球体状の『ナニカ』。


「なんですかこれ」


「オムライスでございます。

 中央の球体状のものが、

 朝採れ卵のムースとなっておりまして。

 中にライスが入っており、

 ケチャップ味のソースを絡ませております」


「あの、おまじないとかって……

 美味しくなる魔法みたいなのって……

 そんなものはないんですか……?」


「おまじない、ですか」


 クララがすっと背筋を伸ばした。

 何かを悟ったような、静かな深呼吸。


「ではご主人様。ご所望なのであれば。

 『美味しくなるおまじない』

 を施させていただきます」


 きた、きた、ようやくきた!

 これだ。これを待っていたんだ!


 萌え萌え〜〜とか、そういう、俺が今夜ずっと求めていた『らしさ』が、ついに。


 俺は思わず身構えた。


「──卵は、徳島県産地鶏の

 有精卵を特別に使用しております。

 スプーンを十五度の角度で差し入れ、

 自家製ケチャップ風味の完熟トマトソースと

 黄金比率で……」


 おいぃぃぃッッッッ!!


 萌えはどこに行った。

 角度と比率しか出てこなかった。

 図形問題じゃねぇんだぞ。


 ふと視線を横にやると、奥のテーブルで新人らしきメイドがカップを運んでいるのが見えた。その動きを、クララが手で制止する。


「カップの角度が、ずれておりますよ」


 新人メイドが──と言ってもクララも文字通り一日の長であろうが──はっとした表情で姿勢を直す。


「す、すみません!」


 ……ここ、道場ですか?


 ツッコみ疲れた腕で、俺は指示通りフォークとスプーンを持ち上げようとした。


 って、重い!


 ダンベルだろうか、これは。ずっしりとした重みに、手首が持っていかれそうになる。


「英国式にこだわり、純銀製ですので……」


 見かねたのか、クララからフォローの言葉。

 ありがとう。でも納得できないよ。


 なんとか、ひと口を口に運ぶ。


「美味ぁ……」


 悔しいくらいに、美味い。角度も比率も、なるほど、意味があったのかもしれない。そう思わされてしまう自分が一番悔しい。


「でも、なんで普通の形じゃないんですか?」


 この腕前なら、普通に美味いオムライスが作れそうなものだが。


「実は、純銀は卵と触れると

 黒く変色してしまうのです。

 卵に含まれる硫黄化合物が銀と反応して……」


 そこから先は、ちょっと理解できなかった。


「……変色を防ぐために、四年の歳月をかけ、

 遂にこのようなオムライスを……!」


「か、開店準備に四年ですか……」


 うーん、食器を変えれば一発なんだがなぁ。そんな言葉をいう理性は、ものすごく誇らしげに語ってくれるクララの前には、吹き飛んだ。



 ほんのちょっぴり懐に厳しい会計のあと、俺は紋章入りの封蝋がされた一通の手紙を渡された。中身は、店のパンフレットだそうで。


 さらに、羊皮紙とインクペンが差し出される。


「本日のご感想を、宜しければこちらに」


 軽い筋肉痛になってしまって震える手でなんとか『美味しかったです、でも食器は軽くして』とだけ書き殴った。


 ふと、気づく。


 この数十分。

 一度も、仕事のことを思い出していなかったことに。


 理不尽なまでの本気度に振り回され続けた結果、頭の中はやけにすっきりしている。『萌え』は一つもなかった。だが、頭の雑念は『燃え』て消え去った。


 あったのは、謎の達成感。

 気持ちいい適度な疲労感。


「またのお越しをお待ちしております」


 斜め四十五度の完璧な一礼で見送られ、気づけばこう告げていた。


「また、来ます」


 自分の言葉に、自分で驚いた。

 そして、自分で納得した。


 夜の街へと戻る足取りは、軽かった。

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【短編】どうやら俺は、『ガチ』のメイドカフェに来てしまったらしい。 ろぉぉど @rodoro

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