第7話 市場の狂乱
真壁のアジトを後にした相沢は、その足で会社に戻ることができなかった。近くの公園のベンチに座り込み、何時間も立ち上がれずにいた。
真壁の存在を明かせば、五年前の資料を握りつぶした自分の過去も、遅かれ早かれ明るみに出る。だが黙っていれば、真壁の計画が完成し、都市そのものが機能不全に陥る。
その葛藤をよそに、街の狂乱は加速し続けていた。ノイズ買いの波紋はもはや誰にも制御できないモンスターへと成長し、プロフェットの予測精度は都市部全域で崩壊状態に陥り、証券市場は開場直後から乱高下を繰り返していた。
出社した相沢を待っていたのは、非常事態体制のオフィスだった。会議室のホワイトボードには「信用スコア緊急凍結案」という文字が大きく書かれていた。桐生が主導する強硬案が、正式な採択目前まで進んでいた。
「お前が名前をつけたノイズ買いのおかげで、対象の抽出は驚くほど早くなった」
廊下ですれ違いざま、桐生が言った。
「それは治療じゃない。隔離だ」
「隔離のどこが悪い」
桐生はそこで一度言葉を切った。相沢は、また突き放すような台詞が続くのだと身構えたが、桐生は珍しく、視線を廊下の窓の外に逸らした。
「街が静かになるなら、それでいいだろう」
声のトーンが、いつもよりわずかに低かった。だが桐生はすぐにいつもの平坦な調子に戻り、「なら、その真犯人とやらの居所を、お前は知ってるのか」と続けた。相沢は答えられなかった。答えられない相沢を一瞥し、桐生は小さく息を吐いて立ち去った。
その夜、相沢は帰宅する足取りのままに、繁華街を通り抜けた。ネオンの下で、若者たちが怪しげな自販機の前に列を作っていた。プロフェットが「非推奨」と警告する商品を、あえて選び取って買っていく。
その一角で、相沢は一人の若い女が、財布の中身を数えながら困った顔をしているのを見かけた。ガチャ生きの結果に従って、行ったこともない土地への移住を決めたが、直前になって手持ちの金が足りないのだという。誰かに助けを求めるでもなく、ただ立ち尽くしていた。
相沢は財布を開き、迷った末、持っていた現金の半分ほどを、名乗りもせずにその場に置いて立ち去った。女が驚いて呼び止めようとする声が聞こえたが、相沢は振り返らなかった。プロフェットのアプリを開けば、この行為は「不明瞭な支出」として記録され、信用スコアの何らかの項目に影響するはずだった。だがその時の相沢には、そんなことはどうでもよかった。見返りを求めない行為をするのが、いつ以来だったか、思い出せなかった。
繁華街を抜けながら、相沢は真壁が地下で組み上げている装置のことを思った。あの部品の山は、もうほとんど完成に近づいているはずだった。時間は、確実に、悪い方向へ向かって進んでいた。それでも相沢は、さっき手放した金額のことを、なぜか後悔していなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます