第5話 不吉な購買パターン
暗がりの奥へ足を踏み入れる直前、相沢は自分の左手首を見た。生体センサーのバンドが、街灯の光を鈍く反射していた。この先へ入れば、位置情報も心拍データも、根こそぎこの一帯の遮断エリアに飲み込まれて途絶える。それは分かっていたが、相沢は念のため、自分の手でバンドの留め具に指をかけた。外そうとして、指が止まった。外せば、もう誰にも――桐生にすら――自分がどこにいるか分からなくなる。数秒迷った末、相沢はそれを外し、上着の内ポケットに押し込んだ。留め具の冷たい感触が、指先にしばらく残っていた。
異臭が鼻を突いた。錆と埃と、何かの薬品が混ざったような刺激臭。ビルの一階部分をぶち抜いた広い空間に、無数の懐中電灯とランタンの明かりが揺れていた。
最初に相沢に気づいたのは、まだ十代に見える痩せた少年だった。少年は身構えるでもなく、ただ怪訝そうにこちらを見ていた。相沢が「あの」と声をかけようとした瞬間、少年は無言で奥へ引っ込んでしまった。
そこにいたのは、想像していたような荒廃した集団ではなかった。壁際に組まれた棚には、雑多なガラクタが几帳面に整理されて並んでいる。相沢は最初、それを単なる廃品回収の巣窟だと思った。だがよく見ると、その「整理」の仕方が、あまりにも規則的すぎることに気づいた。
棚の一段目には、旧型の加熱用ヒーターユニットがずらりと並んでいた。二段目には、特定メーカーの使い捨てカイロが、封を切られないまま箱ごと積まれている。三段目には、もう十年近く前に生産終了になった型式のWi-Fiルーターのアンテナ部分だけが、丁寧に取り外されて束ねられていた。奥の一角には、製造中止になった業務用の冷却化学薬品の缶が、ラベルを揃えて並べられていた。
相沢は思わず、その棚の一つに手を伸ばした。カイロの箱の角を指でなぞる。ただの日用品の手触りだった。それがこれから恐ろしいものに変わるという事実が、指先の感触とどうしても結びつかなかった。
懐から、独自にまとめてきた購買パターンのリストを取り出す。それを目の前の棚の中身と照らし合わせた瞬間、脳の奥でバラバラだったピースが音を立てて噛み合った。
使い捨てカイロの発熱剤。冷却化学薬品。加熱用ヒーターユニット。特定周波数帯を拾うアンテナ。これらを回路図として頭の中で組み直していくと、答えは一つしかなかった。
これはゴミではない。高濃度の電磁波を発生させる干渉ユニットの部品だ。
全身から力が抜けそうになり、相沢は思わず近くの棚に手をついた。指先に埃の感触があった。上着のポケットの中で、外したばかりの生体センサーが、微かに硬く当たっていた。もう誰も自分の心拍を見ていない。その事実が、恐怖と引き換えに、奇妙な軽さも運んできていた。
「誰だ」
声が勝手に喉から漏れていた。かすれた、自分でも聞いたことのないような声だった。
「誰が、こんなものを」
答える者はいないと思っていた。だが暗がりの奥、棚の陰から、ゆっくりと一つの人影が歩み出てきた。逆光でその顔ははっきり見えない。だが体格と、歩き方と、ポケットに手を突っ込む癖に、相沢は覚えがあった。忘れようとして、忘れきれなかった歩き方だった。
相沢の口の中が、急に乾いた。何か言おうとしたが、声にならなかった。
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