第4話 消えたログ
ノイズ買いの発生地点を都市地図にプロットする作業を、相沢は誰に命じられるでもなく続けていた。ある晩、その分布を眺めていた相沢は、奇妙な空白に気づいた。
特定の一区画だけ、赤い点がまったく現れない。そのエリアに足を踏み入れたユーザーの通信履歴と位置情報そのものが、ある時刻を境にぷつりと途絶えているのだ。
相沢はその空白のエリアを拡大した。かつて電気街として賑わっていた一角。再開発計画が二度立ち消えになり、老朽化した雑居ビルがそのまま放置されている旧市街だった。
翌朝、相沢はその地図データを桐生に見せようとして、結局見せなかった。共有フォルダにアップロードする寸前で指を止め、自分のローカルフォルダに移した。
その週の水曜、相沢は帰り道、駅前の歩道橋の下で座り込んでいる老人を見かけた。プロフェットの街では、見知らぬ他人に手を貸すという習慣自体、もうほとんど消えていた。信用スコアに影響しない行為には、誰も時間を割かなくなっていた。相沢は迷ったが、足を止め、コンビニで買ったばかりの缶コーヒーを、黙って老人の前に置いた。
老人は驚いた顔で相沢を見上げた。何も言わず、ただ頭を小さく下げた。相沢もそれ以上は何も言わず、その場を離れた。歩きながら、自分がなぜそんなことをしたのか、うまく説明がつかなかった。プロフェットはこの行動を評価しない。むしろ「非効率な寄り道」として記録に残るだけだ。それでも、缶コーヒーを置いた重さの分だけ、自分の手が少し軽くなった気がした。
その感覚を抱えたまま、相沢はさらに調べを進め、その一帯に潜伏する集団の噂に行き当たった。自ら端末のGPSを破壊し、決済アカウントを解約し、行動ログを一切残さずに生きる者たち。彼らはネット上の匿名掲示板で、自分たちをこう呼んでいた。
デジタル野良。
相沢はこの情報を、上司にも桐生にも報告しなかった。報告すれば、対応は間違いなく桐生のチームに回される。桐生の提案していた「信用スコアの制限」が即座に発動し、真相にたどり着く前に、証拠ごと踏み潰される。相沢はそう直感していた。
自分のデスクの引き出しから、私物の予備機を取り出す。相沢はその電源を落とした。次に、会社支給の端末の電源も落とした。手が微かに震えていた。
夜の秋葉原に足を踏み入れたのは、その週末のことだった。かつて電気街として世界的に知られていたこの一帯は、プロフェットの経済圏からこぼれ落ちて久しく、シャッターの下りた店舗が延々と続いていた。相沢は途中、道に迷っている観光客らしき外国人に呼び止められた。地図アプリの繋がらないエリアだったのだろう、困り果てた様子で地名を指差していた。相沢は自分も詳しくない土地だったが、覚えている限りの道順を、身振り手振りで伝えた。相手は何度も頭を下げて去っていった。ほんの数分の寄り道だったが、相沢はその数分間だけ、自分がプロフェットの推奨する誰でもない自分ではなく、ただの相沢晶として誰かの役に立てた気がした。
地図アプリを頼らず、自分の足と記憶だけを頼りに歩いた。何度か道に迷い、何度か引き返した。ようやくたどり着いた路地裏の奥に、目当てのビルはあった。ゴミの匂いが漂う裏通り。看板もない、灯りの消えたビルの隙間。人の気配が確かにそこにあった。相沢は一度深呼吸をしてから、その暗がりへと足を踏み入れた。
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