第10話:泣き終わったら、必ず
葬儀の翌日。
リビングに漂う線香の静かな香りの真ん中で、私はただ、視線を床に落としたまま、静かに涙をこぼし続けていた。
目の前のお盆には、手をつけるどころか、箸すら持っていない料理が寂しく冷めかけている。
そんな私の隣へ、おばあちゃんが静かに腰を下ろした。
おばあちゃんは私の小さな肩にそっと手を置き、諭すように、けれど確かな強さを持った声で語りかける。
「あの子はね、どんなに体が辛くても、私たちが悲しまないように最後まで笑って、ご飯を『美味しい』って食べてくれたの」
肩が、ピクリと揺れた。
「結菜がそうやって倒れてしまったら、あの子が命を懸けて通したあの強がりが、全部嘘になってしまうよ。あの子が守りたかった日常を、私たちが壊してどうするの」
おばあちゃんの、厳しくも深い愛に満ちた言葉。
それが、私の閉ざされていた心を激しく叩き起こした。
「お兄、ちゃん……っ」
溢れ出る涙をボタボタと机に落としたがら、私は震える手で箸を握りしめた。
私をおいていってしまったお兄ちゃんへの寂しさと、それでも守りたかったものを壊しちゃいけないという思い。
冷めかけた料理を、自分の意志で口へと運び始める。涙で味が分からなくなっているはずなのに、喉を詰まらせながらも、必死に、必死にすべてを食べ進めていった。
お兄ちゃんの手も、誰の手も借りない。私は自分自身の力で、前を向かなくちゃいけないんだ。
お皿がすべて空になった、ちょうどその時。
おばあちゃんはそっと優しく私の頭を撫で、エプロンのポケットから一通の白い封筒を取り出した。
「これね、あの子から預かっていたのよ。結菜がちゃんとご飯を食べ終わったら、渡して欲しいと」
おばあちゃんの言葉に、私は驚いて顔を上げた。
お兄ちゃんは、自分が逝ってしまったあとのことまで、全部、全部見越して、おばあちゃんにこれを託していたんだ。
私は、受け取った封筒を震える手でそっと開いた。
便箋を広げた瞬間、瞳が大きく見開かれ、再び激しく涙が溢れ出した。
その手紙の冒頭には、普段のぶっきらぼうなお兄ちゃんなら絶対に口にしない、けれど、限界の命の中でどうしても私に遺したかった、本物の愛が綴られていた。
『最愛の結菜へ』
震える文字で書かれたその言葉に続く文章を、私は声を押し殺して読み進めていく。
『この手紙を読んでいるってことは、僕の部屋がさらにからっぽになって、結菜がまた大泣きした後かな。
今まで、僕のサポートばかりさせて、結菜の貴重な高校生活を犠牲にさせて本当にごめん。自分のことより、いつも僕の体調を最優先にさせていたこと、ずっと胸が痛かった。
でも、結菜のその優しさに、僕がどれだけ救われていたか分からない。結菜がいてくれたから、僕は最後まで「普通の高校生の綾瀬湊」でいられたんだ。本当に、ありがとう。
だからもう、僕のための人生はここで終わり。これからは、誰かのためじゃなく、結菜自身の人生を全力で生きて、結菜のために笑ってくれ。
結菜の笑顔が、僕の生きた一番の証だから』
「う、あ……あ、あああ……っ!」
私は手紙を胸に強く抱きしめ、子供のように声を上げて泣き崩れた。
「おばあちゃん! もう少し、もう少しだけ泣かせて……っ! 泣き終わったら、必ず前を向くから……!」
その言葉を聞いたおばあちゃんは、何も言わずに私を優しく、強く抱きしめてくれた。
おばあちゃんの温もりの中で、私は声を上げて泣き続けた。
けれど、それはもう絶望の涙ではなかった。
すべてを見通して、私を縛る鎖を全部解いてくれたお兄ちゃんの想いに応え、これからは自分のために笑って生きるという、再生のための涙だった。
お兄ちゃんが遺してくれたものは、私の中にちゃんと生きている。
私はおばあちゃんの胸の中でしっかりと涙を拭うと、赤くなった目で、けれど確かに前を向いた強い視線で、窓の外をじっと見つめた。
もう、ただの抜け殻じゃない。
お兄ちゃんの強さと優しさをこの胸に灯し、私は涙の向こう側へと、一歩ずつ歩き出していくんだ。
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