第5話:最後の週末の約束

綾瀬くんと付き合い始めて、2週間が経っていた。

学校の中では、周囲の目を気にしてお互いほとんど話さない。けれど、放課後になれば私たちは必ず並んで校門を出る。


(私、いつの間にか……この帰り道を、すごく楽しみにしてる)


今日も、夕暮れに染まるいつもの坂道を歩いていた。アニメの最新話の話や、今日あったくだらない授業の話。どうということのない会話をしているだけなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。この心地よさは、カースト上位の人たちといる時には決して味わえないものだった。


ふと、隣を歩く彼の横顔を見つめる。

オレンジ色の夕日に照らされた彼の肌に、私は奇妙な違和感を覚えた。

(……え? もしかして、ファンデーションを塗ってる……?)

よく見なければ分からないほど薄く、けれど確かに、彼の端正な顔立ちには不自然な化粧の跡があった。外に遊びに行けないという謎の事情、そして時折見せる大人のような達観。彼はいつも、どこか遠い世界を見ている気がする。


私は少し悪戯っぽく微笑んで、彼に探りを入れてみることにした。

「ねぇねぇ、綾瀬くん。私に隠していること、あるでしょ? そのファンデーションも、何か関係あるのかな?」


綾瀬くんは一瞬、弾かれたように目を見開いた。図星だったのだ。けれど彼はすぐにいつもの笑顔に戻ると、私を真っ直ぐに見つめ返した。


「そうだね。隠し事はあるよ。――たださ、それはお互い様でしょ? 雪代さんだって、僕にすべてを話しているわけじゃないよね?」

「え……」


予想もしなかった鋭い返しに、言葉が詰まる。カースト上位の罰ゲームから始まったこの関係。私自身、彼にまだ言えていない罪悪感がある。

「……そういう意味で聞いたんじゃないんだけどな。なんだか、上手にはぐらかされちゃった気分だよ」

私が少し唇を尖らせると、彼は「あはは」と声を立てて笑った。


「ごめんごめん。でも、今のところ伝えるつもりはないよ。その時が来るかどうか、僕にも分からないからね」

「そっか……。なら、いつか教えてもらえるように、私、もっと頑張ってみるよ」

「止めはしないよ。――あと2週間はね」


不意に、耳に飛び込んできた言葉。

気にしないように、ずっと頭の隅へと追いやっていた『一ヶ月』という期限を突きつけられ、夕闇が迫る帰り道、私の胸には言葉にできないモヤモヤだけが取り残された。


ーーー


今日は金曜日。来週の火曜日で、ついにあの一ヶ月が満了する。

この関係が終わしてしまう。そう思うと、いつもの帰り道が、まるで砂時計の砂のように愛おしく、そして恐ろしかった。


私は意を決して、歩幅を緩めずに彼に話しかけた。

「ねぇ、綾瀬くん。もうすぐ一ヶ月でしょ?」

「うん、そうだね」

「この週末……少しだけでも、一緒に居ることはできないかな? ……あ、私の親友も同席させるから、二人きりじゃないよ!」


「外には行けない」と言っていた彼を困らせないよう、必死に考えた提案だった。綾瀬くんは少しだけ困ったように眉を下げたが、私の必死さが伝わったのか、小さく息を吐いた。

「それならいいけど……ごめん、あんまり時間は取れないよ?」

「それでもいい。少しだけでも、いいの」


「分かった。じゃあ、自宅の住所は後からメッセージで送るから、明日の14時に来てくれるかな。18時までしか付き合えないけど……」

「それでもいいよ! 男の子の部屋に入るのなんて初めてだから、すごく楽しみ!」


嬉しさが勝ってつい声を弾ませると、彼は苦笑しながら私の顔を覗き込んだ。

「そういう言い方はどうかと思うけど……言っておくけど、本当に何もないよ? ラノベ本がたくさんあるくらいでさ」

「いいのいいの! じゃあ、明日ね!」

「うん、また明日」


私は小さく手を振り、彼と別れた。あと数日で終わる関係。だけど、明日彼のプライベートな空間に触れられる。そのことが、純粋に嬉しかった。


ーーー


「ただいま……」

帰宅し、玄関のドアを閉めた瞬間、僕は壁に寄りかかって激しい息を吐き出した。

今週は毎日学校へ行った。今日も雪代さんの前で『普通の高校生』を演じ切った。けれど、僕の身体はもう、限界の向こう側にある悲鳴を上げていた。


ダイニングテーブルにつくと、結菜がすぐに温かいお茶を差し出してくれた。彼女は僕の顔色を見ただけで、すべてを察したように痛ましげに目を細める。


「明日、午前中は病院だ。……いつも悪いけど、付き添い、頼むね」

「何言ってるのよ、お兄ちゃん。私が好きで付き添ってるんだから、水臭いこと言わないで」


結菜はあえて明るいトーンでそう言って、僕の隣に座った。


「それとね……明日の午後なんだけど、雪代さんがうちに来るんだ。彼女の親友の人も一緒だから」

「……え?」

結菜の瞳の奥が、一瞬で鋭い「防衛の光」を宿す。


「時間は14時から18時の約束。無理は絶対にしないよ」

僕が先手を打つように言うと、結菜は腕を組み、真剣な表情で僕を睨んだ。

「分かった。……じゃあ、私もその集まり、同席していいかな?」

「明日、彼女たちに聞いてみるよ。でも、4人だと僕の部屋は狭いんじゃない?」

「大丈夫よ。私、お兄ちゃんのベッドの上にちょこんと座ってるし」


「なんだよそれ。まあ、いいけどさ……」

思わず笑ってしまう僕を見て、結菜の表情が少しだけ和らいだ。


「じゃあ、おばあちゃんにも明日お客さんが来るって伝えておくね。準備もあるし」

「うん、頼むよ」


自室に入り、壁際のラノベ本を見つめる。

明日、彼女がこの部屋に来る。何もない、余命僅かな男の部屋。

結菜が同席を求めたのは、僕に無理をさせないためのストッパーになってくれるからだ。

複雑に絡み合う二人の少女の想い。僕は薬を口に含み、明日訪れるであろう、僕の人生で最も賑やかで、最も愛おしい放課後の延長戦に思いを馳せた。

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