第13話 三か月間のノルマ通知
一か月の報告会から半月ほどが過ぎた頃、アルドはレグナスの執務室へ呼び出された。廊下を歩きながら、アルドは自然と気を引き締めていた。急な呼び出しには、決まって何かしらの重要な話が付いて回る。この一か月、そのことを身をもって学んでいた。
「アルドよ、此度はよくやった。だが、これで満足してもらっては困る」
この執務室に二人きりで呼ばれるのは、これが初めてではない。それでいて、こうした場でのレグナスは、いつも変わらず気安い調子で名を呼んでくる。以前、クレインを交えて顔を合わせた際の、あの折り目正しい「殿」付けの呼び方が、今となってはどこか他人行儀にすら思えるほどだった。誰もいない場だからこそ、素の付き合いができる――アルドはそんな風に受け止めていた。
豪快な口調とは裏腹に、レグナスの目には確かな期待の色が浮かんでいた。差し出された書面には、今後三か月間で達成すべき目標数値がびっしりと記されている。
「……こりゃまた、随分と強気な数字だな」
「厳しいのは承知の上よ。だが儂も、これでも譲歩した方でな。上には上がおるでのう」
レグナスの言葉に、アルドは魔王という存在の重みを改めて感じずにはいられなかった。それでも、ただ厳しいだけの通達ではなかった。
「今回の件、必要であれば施設の拡張、そして雇用の拡大権限も併せて与える。足りぬと思うたら、遠慮なく使うがいい」
「……そこまでしてくれるのか」
「達成させる気があるなら、それ相応の裁量も渡さねばな。無い袖は振れんでは、話にならん」
差し出された数字を、アルドは改めて見つめ直した。確かに、これまでの実績を踏み台にしても、簡単に届く数字ではない。だが、決して不可能な高みというわけでもなかった。今の体制と、これから使える権限とを掛け合わせれば、届かない距離ではない――そんな手応えが、アルドの中に確かに芽生えていた。
「ちなみに、期限を過ぎても届かなかったらどうなる」
素朴な疑問を口にすると、レグナスは豪快に笑った。
「なに、すぐに首が飛ぶような話ではない。ただ、次の機会にはもう少し厳しい目で見られることになろうな。儂としても、庇いきれる範囲には限りがある」
その率直な物言いに、アルドはかえって信頼を深めた。無理を強いるだけでなく、現実的な落としどころを心得ている。そういう相手だからこそ、真正面から応えたいと思わせる何かがあった。
「一つ聞いていいか。この数字、レグナス様自身はどう見てる。無茶だと思うか」
アルドの問いに、レグナスは僅かに目を細めた。
「正直に言えば、易しい数字ではない。だが、この一か月のお主らの働きを見ておれば、決して届かぬ高みとも思えぬのでな。儂は、お主らを信じておるぞ」
思いがけない激励の言葉に、アルドは一瞬、言葉に詰まった。
「……そう言われちゃ、やらねえわけにはいかねえな」
「分かった。やってやるさ」
執務室を後にしたアルドの足取りは、来た時よりも幾分か軽くなっていた。
その日のうちに、アルドはフィリシアと共に、各部門の責任者たちを招集した。ルーシャ、ケントラ、ドルグ、ミアウ、バルガ、シー、そしてガロン――見慣れた顔ぶれが、緊張と期待の入り混じった表情で集まってくる。
「単刀直入に言う。三か月間で、これだけの数字を達成しろとの通達が来た」
アルドが提示した数字に、一同から小さなどよめきが起こる。
「……なかなかの数字ですねぇ」
ルーシャが困惑気味に呟いた。バルガも腕を組んで唸る。
「正直、今の体制のままじゃ厳しい数字っすね……」
不安げな空気が広がりかけたところで、アルドはすぐに続けた。
「ハードだが、不可能じゃねえ。それに、施設拡張と雇用拡大の権限も、必要な分だけ貰ってる。人手が足りねえなら、遠慮なく増やしていい」
その言葉に、部門責任者たちの表情から、幾分か緊張が解けていく。
「権限まで貰えるとなりゃ、話は別っすね! やりようはありそうです!」
バルガが早速、態度を切り替えた。現金なようでいて、それだけ前向きな気質でもあった。
一通り緊張が解けたところで、フィリシアが議事を進めた。
「では、まず人手の補充から検討しましょう。各部門、現状で不足していると感じている点はありますか」
フィリシアの問いかけに、真っ先に手を挙げたのはバルガだった。
「警備は正直、今の人数だとぎりぎりっす! 拡張分の巡回まで回すなら、あと数名は欲しいところで!」
「温泉も、鱗族向け浴場の拡張が終われば、その分の担当も必要になりますぅ」
ルーシャも続けて手を挙げる。ドルグ、ミアウ、シーもそれぞれ、増員が必要な箇所を具体的に挙げていった。ケントラだけは、静かに首を横に振った。
「会計は、現状の人員で対応可能かと存じます。むしろ、業務効率の改善で吸収できる範囲です」
「効率化、っていうと、具体的には」
アルドが尋ねると、ケントラは淡々と説明を続けた。
「チェックイン・チェックアウトの手続きを一部自動化できないか、現在検討しております。魔道具を活用すれば、繁忙時間帯の混雑も緩和できるかと」
「なるほどな。人を増やすだけが手じゃねえってことか」
「はい。増員は最終手段と考えております」
「分かった。バルガ、ルーシャ、あとミアウとシーのとこも、必要な人数を洗い出しといてくれ。ガロン、拡張工事の方も、これに合わせて前倒しできそうか」
「……検討する。……無理はしない」
短くそう答えるガロンに、アルドは頷いて応じた。無理はしないという一言に、かえって信頼が置ける。この男が「できる」と言えば、それは確実にやり遂げられる証だった。
「採用の方針だが、即戦力に拘りすぎず、意欲のある者を広く募ってくれ。育成にはそれなりに時間がかかるだろうが、長い目で見りゃ、その方が組織として強くなる」
アルドの方針に、フィリシアが小さく頷いた。
「承知しました。募集要項の作成を進めます」
一通り人手の話がまとまったところで、アルドは別の議題を切り出した。
「それと、もう一つ。ダリオたちから聞いた情報を踏まえて、冒険者向けの要望をもう一度精査したい。単価向上に繋げられる部分がないか、皆の意見も聞かせてくれ」
「単価向上、というと」
ケントラが眼鏡の位置を直しながら尋ねる。
「今のプラン構成に、遠方から来る客向けの特別な処置なんかを加えられねえかと思ってな。長旅の疲れを癒すような、付加価値をつけたプランだ。ダリオたちの話じゃ、隣国からもぼちぼち客が来るようになってきてるらしい」
「隣国から! それはうち、案内の仕方も工夫しねばだね」
ミアウが目を輝かせて反応した。地域によって言葉の訛りや作法も異なるかもしれない、と早くも次の課題を見据えているようだった。
「なるほど。遠方のお客様向けに、上位ランクへの誘導も見込めそうですね」
フィリシアがすぐさま分析を加えた。
「値上げは一切考えておりません。それよりも、一つでも上のプランを選んでいただけるような魅力付けを重視すべきかと。宿泊費の利益率は、上位プランほど効率的です。付加価値を丁寧に積み重ねて、お客様に『これなら上のプランの方がお得だ』と感じていただければ、収益はもちろん、リピート率の向上にも繋がります」
「そういうことだ。ドルグ、料理の面で何か案はあるか」
「そうさなぁ……遠方から来た客向けに、疲労回復に効く食材を使った特別膳、なんてのはどうじゃ。地上じゃ手に入りにくい薬草も、迷宮産のものならこっちで揃えられる」
ドルグの提案に、一同から感嘆の声が漏れた。バルガも興奮気味に付け加える。
「それいいっすね! 疲労回復系のプラン、警備の見回りでも需要ありそうって声、よく聞くんすよ! ここまで辿り着いた時点で、もう肩とか腰とか気にしてる客、結構見かけるんで! 休憩がてら立ち寄って、まだ奥を目指す連中も多いっすから!」
現場ならではの生の声に、アルドは感心して頷いた。
「なるほどな……ここはあくまで、五階層に構えた休憩地点ってことか。まだ奥を目指す連中にとっちゃ、体勢を立て直す拠点になる」
「そういう気づき、どんどん出してくれ。現場の目線がなきゃ、絶対に思いつかねえ発想だ」
「良いな、それ。ミアウ、接客の方でもその辺、案内できるようにしといてくれ」
「うん、任せてけろ!」
ルーシャも、負けじと手を挙げた。
「温泉の方でも、遠方から来たお客様専用の、特別な浸かり方の案内とかできそうですぅ。じっくり長湯していただくコースとか」
「いいアイデアだ。細かい部分は、追々詰めていこう」
一つの案から、また新たな案が生まれていく。会議室の空気は、当初の緊張から一転して、活気に満ちたものへと変わっていた。
「最後に、これだけは伝えとく」
一通り議題が出揃ったところで、アルドは改めて一同を見渡した。
「厳しいノルマだが、無理して身体壊すようなことだけは、絶対にするな。俺たちは、長くこの仕事を続けていくんだ。三か月だけ頑張って、後がぼろぼろになるようじゃ意味がねえ」
その言葉に、部門責任者たちは皆、真剣な面持ちで頷いた。
会議が解散した後、フィリシアがふとアルドに耳打ちした。
「先程の『身体を壊すな』というお言葉、皆様の心に響いていたようですね」
「柄でもねえこと言ったな、とは自分でも思ってる。だが、本音だ」
「本音だからこそ、伝わるのだと思います」
フィリシアの言葉に、アルドは照れくさそうに頭を掻いた。厳しいノルマを前にしても、誰か一人が倒れてしまっては元も子もない。だからこそ、無理のない範囲で、皆の力を結集させる。それが、この温泉宿という場所を、これからも長く続けていくための、何よりの秘訣なのだとアルドは信じていた。
こうして、三か月間のノルマ達成に向けた体制が、着々と整えられていくのだった。人手の補充、施設の拡張、そして単価向上のための新たな施策。決して楽な道のりではないが、皆で一つずつ積み上げていけば、届かない目標ではないはずだ。アルドは改めて、この温泉宿という場所への確かな手応えを噛み締めていた。
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