第11話 会議内容の各部署への共有

会議を終えた翌日から、各部門の責任者たちは、それぞれの持ち場で決まった内容を周知する作業に取り掛かった。会議に出席したのは、あくまで各部門の責任者たちだけだ。現場で実際に手を動かす従業員一人一人にまで、決定事項を漏れなく伝えなければ、絵に描いた餅で終わってしまう。この一か月で築き上げてきた信頼関係が、こうした情報共有の速さにも表れ始めていた。


温泉担当のルーシャは、朝一番で部下たちを浴場の裏手に集めた。集まったのは、彼女と同じ人魚族の若い娘や、水を操るのに長けた青い肌の水精、そして力仕事を任されている大柄な蛙人の男だった。


「拡張工事、始まるからねぇ。工事期間中は、鱗族向け浴場の一部が使えなくなるから、案内の言い方、みんなで揃えとこうねぇ」


「分かりましたぁ! お客様には、代替の浴場もご案内しますね~」


若い人魚族の娘が、歌うような抑揚をつけて元気よく手を挙げて答える。


「あと、工事の音とか振動、他のお客様に迷惑がかからないよう配慮してもらう予定だから、そこは安心してぇ」


蛙人の男が、太い声で頷いた。


「グル……承知した。何かあれば、すぐ報告する」


現場からの元気な返事に、ルーシャは満足げに目を細めた。


「工事の間、ちょっと窮屈な思いさせちゃうかもだけど、みんなで乗り切ろうねぇ」


その優しい物言いに、部下たちの間から自然と笑みがこぼれた。


温泉担当の部門には、もう一つ別の顔がある。温泉における魔力滞留のデータ収集と調査を担う班も、同じ部門の管轄に置かれていた。ちょうどそこへ、データ班に所属する魔族の一人が、まとめたばかりの報告書を携えてやってきた。


「ルーシャさん、これ、先日分の収集データです。フィリシアさんに提出をお願いできますか」


「あ、はいぃ、任せてくださいぃ。……うーん、これ、あたしには難しすぎるかも」


差し出された分厚い資料に目を通しながら、ルーシャは眉尻を下げた。数値や術式の羅列は、研究者向けに作られたもので、現場の感覚とはまた違う専門性を要する内容だった。


その足で、ルーシャは資料を携えてフィリシアの元へと向かった。


「フィリシアさん、データ班からの報告書、お預かりしてきましたぁ」


「ありがとうございます、ルーシャさん。助かります」


受け取った資料に、フィリシアはさっと目を通していく。その様子を見て、ルーシャは思わず感嘆の声を漏らした。


「詳しいことは、あたしにはさっぱりで……。それにしても、フィリシアさんって、こういうのもすらすら分かるんですねぇ。凄いです」


素直な感嘆の言葉に、フィリシアは静かに微笑んだ。フィリシアは魔王の側近衆から派遣された人材であり、迷宮内の魔族の中でも、六将に次ぐ格を持つとされるその肩書きを思えば、これほどの専門知識を有していても、何ら不思議なことではない。


「日々の研鑽の賜物です。ルーシャさんも、現場を知る立場として、データの裏側にある意味を、これから少しずつ掴んでいってください」


「はいぃ、頑張ります!」


会計部門では、ケントラが淡々と、竹プランの利用比率の高まりと、それに伴うマニュアル改訂の方針を伝えていた。集まっているのは、几帳面な性格で知られる小柄な蜥蜴人の後輩と、計算に長けた角の生えた山羊人の女性だった。


「値引き交渉への対応だけでなく、今後は他の想定問答についても、随時追加していきます。気づいた点があれば、些細なことでも構いませんので、私まで報告をお願いいたします」


「承知いたしました。過去のやり取りも、一度まとめて洗い出してみます」


山羊人の女性が、手元の帳簿に目を落としながら丁寧に答えた。蜥蜴人の後輩も、無言のまま深く頷き、既にメモを取り始めている。


「竹プランのお客様が増えている分、そこの応対品質が全体の評判を左右しますね」


山羊人の女性のその指摘に、ケントラは僅かに目を細めた。


「良い着眼点です。次の資料には、その視点も盛り込みましょう」


「それと、もう一件。竹プラン以下の満足度調査についても、集計を進めています。費用対効果を見極める上で、欠かせないデータになるかと」


ケントラの言葉に、山羊人の女性が首を傾げた。


「調査というと、お客様に直接お聞きするんですか?」


「いいえ。チェックインとチェックアウトの際、魔道具を通じて感情の動きを自動的に記録しております。直接的な聞き取りではなく、そちらのデータを基に分析を進める方針です」


「なるほど、それなら、お客様の手間も取らせませんね」


「ええ。もっとも、先日のダリオ様の最高級プランのように、直接お話を伺った例外もあります。あちらは、施設として最上級プラン初のお客様であったこと、そしてアルド様とご旧知の間柄であったこと、双方のご了承をいただいた上での特別な聞き取りでした」


現場の従業員たちも、丁寧に頷きながらメモを取っていく。


調理場では、ドルグが仕入れルート拡大の方針を語っていた。周りを固めるのは、器用な手先を持つ小柄な妖精族の見習いと、力自慢の猪の獣人の男だった。


「近々、食材の種類がもっと増えるかもしれん。新しい料理にも挑戦する機会が増えるぞ」


「楽しみです!」


妖精族の見習いが声を弾ませる。猪の獣人も、鼻息荒く腕まくりをしてみせた。


「新しい食材が来たら、真っ先に俺に捌かせてくださいよ!」


「気が早いのう。まずは仕入れ先が決まってからじゃ」


ドルグが苦笑いを浮かべると、妖精族の見習いも小さな翼をぱたつかせながら口を挟んだ。


「わたしは、盛り付けの新しい飾り方、考えてみたいです! 見た目も大事だと思うので!」


「おお、それはいいのう。任せてみるか」


ドルグは満更でもなさそうに、太い腕を組んで頷いた。


「わしも、若い頃はもっと冒険しておったが、最近は味の安定に気を取られてのう。お前さんたちの新しい発想、頼りにしとるぞ」


その言葉に、妖精族の見習いは翼を輝かせながら深く頷いた。猪の獣人も、負けじと胸を張る。


「俺も、力仕事だけじゃなく、味の方も勉強させてもらいます!」


「そうそう、新作の話といえば、この後アルドに味見してもらう約束になっとる」


ドルグがそう言うと、妖精族の見習いが目を輝かせた。


「アルドさんの舌、厳しいですよね! この間も、味付けが濃すぎるってはっきり言われたって」


「その通りじゃ。だが、あれのおかげで随分と味が締まった。人間の舌からの意見は、貴重でな」


満更でもなさそうに笑うドルグの様子に、猪の獣人も興味津々といった顔で頷いた。単価向上を目指す施策の話が、いつの間にか和やかな厨房談義に転じていた。それでも、この何気ないやり取りの一つ一つが、日々の業務改善へと確かに繋がっていくのだった。


接客部門では、ミアウが家族連れ対応の強化について説明していた。集まっているのは、愛想の良い狐の獣人の娘と、物静かな鳥人の青年だった。


「子供連れのお客様、これからもっと増えてくるはずだべ。気をつけるとこも違うがら、みんなでよぐ話し合っとこうな」


「はい! あたし、子供の相手は得意なので、積極的に声かけてみます!」


狐の獣人の娘が、尻尾を揺らしながら元気に答える。鳥人の青年も、静かに頷きながら言葉を継いだ。


「翼を持つ子供の魔族には、羽を休められる場所も必要かもしれません。今度、提案してみます」


「いいねぇ、それ」


思いがけない視点からの提案に、ミアウは目を輝かせた。日々現場に立つ者だからこそ気づける発見が、こうして次々と積み重なっていく。


警備部門では、バルガが巡回強化の徹底を、いつもの威勢の良さで伝えていた。周りに並ぶのは、屈強な骨人形の兵士たちと、鋭い牙を持つ狼の獣人だった。


「何かあってからじゃ遅いんで、これまで以上に気を引き締めていくっす! 何か気づいたことがあったら、すぐ報告してくださいね!」


「了解っす!」


骨人形の一体が、カタカタと顎を鳴らしながら短く応じる。狼の獣人も、耳をぴんと立てて頷いた。


「巡回ルート、俺の方でも見直してみます。死角になりそうな場所、幾つか気になってたんで」


「頼りにしてるっす!」


骨人形たちも、カタカタと顎を鳴らしながら次々と頷いていく。指示された持ち場を、それぞれ黙々と確認し始める姿は、統率の取れた一つの部隊のようだった。


「巡回の時間帯、俺の方でも一覧にまとめておきます。抜けがないように」


狼の獣人がそう申し出ると、バルガは満足げに肩を叩いた。


「頼りになるっす! お前がいると、俺も安心して他のことに手が回せる!」


その率直な信頼の言葉に、狼の獣人は照れくさそうに耳を伏せた。


清掃部門では、シーが備品点検の頻度増加について、来客のいない場では普段通りの明るい調子で説明していた。周りにいるのは、几帳面な小人族の一団と、風の精霊の同胞たちだった。


「あの一件以降、みんなにも協力してもらってるけど、今後も引き続きよろしくね! 気づいたことがあったら、些細なことでも教えてほしいな!」


「はーい!」


小人族の一人が、可愛らしい声で返事をする。風の精霊たちも、ふわりと形を揺らめかせながら同意を示した。


「点検表、今よりもう少し細かく分けてみようか。抜け漏れが減ると思うんだ」


シーの提案に、小人族たちは顔を見合わせて頷いた。


「賛成です! 私たち、細かい作業は得意なので!」


そこへ、見回りの途中だったアルドが顔を出した。


「シー、ちょっといいか。この間の窃盗の一件、あれから気になっててな。人間界でよくある盗みの手口、いくつか共有しとこうと思って」


「わ、お願いします!」


シーが目を輝かせると、小人族たちも興味深そうに耳を傾け始めた。アルドは、冒険者時代に見聞きした範囲でという前置きをしながら、荷物への隠し入れ、視線を逸らす仲間との連携、そして貴重品と偽物をすり替える手口などを順を追って語っていく。


「なるほど……あの偽装と幻影を組み合わせた手口とは、また違うやり方ですね」


シーが真剣な面持ちで呟いた。魔法を用いた誤魔化しに長けた魔族や魔物の窃盗と、あくまで手先の器用さや連携で切り抜けようとする人間の窃盗とでは、根本の発想からして異なるらしい。


「魔法に頼れない分、人間は仕込みと連携で勝負するんだろうな。逆に言えば、そこを潰しておけば、大抵の手口には対応できるはずだ」


「参考になります! 点検の視点、また一つ増えそうです!」


小人族の一人が、可愛らしい声で意欲的に応じた。異なる世界の知恵が、こうして一つの現場で交わり合っていく。


そして、部門を横断する形で忙しく動き回っていたのが、ガロンだった。浴場拡張工事の段取りを、関係する各部門との間で一つ一つ調整していく。工事に同行するのは、彼と同じ岩人形の仲間たちと、力持ちの土精たちだった。


「……工事期間、二週間の予定。……迷惑、かける」


「いつも助かってるんだ、この程度、お互い様さ」


温泉担当の蛙人からそう返され、ガロンは僅かに頷いた。表情の変化こそ乏しいが、その仕草には、確かな安堵が滲んでいるように見えた。傍らにいた水精の一人も、控えめに付け加える。


「工事の進み具合、私たちにも教えてもらえると嬉しいです。楽しみにしてますから」


「……分かった。……逐一、報告する」


短いながらも、確かな約束だった。


「……資材の搬入、明日から始める。……騒音、出るかもしれん。……先に、詫びておく」


岩人形の仲間の一体が、ガロンの言葉に短く頷いた。


「……承知した。……近隣にも、伝えておく」


寡黙な者同士の、簡潔だが確かな意思疎通だった。


ガロンの仕事は、それだけに留まらなかった。工事期間中、自分たちの手が空く時間を見計らい、他部門への応援に回るための日程調整も、並行して進めていたのだ。


「……温泉、会計、調理、接客、警備、清掃……各部門から、既に了承済み。……手が足りない時間帯、我らが入る」


岩人形の仲間たちが、無言のまま頷く。事前にそれぞれの部門責任者へ根回しを済ませていたからこそ、こうしてすんなりと段取りが組めていた。


「……表を作った。……確認、頼む」


差し出された予定表には、工事の合間を縫って、各部門への応援時間が細かく割り振られていた。寡黙な男の、意外なまでに緻密な仕事ぶりだった。


夕刻近く、それぞれの部門での周知が一通り終わった頃、各所から漏れ聞こえてくる声には、共通した前向きさがあった。工事の音が響く現場でも、会計窓口の一角でも、厨房の湯気の向こうでも、誰もが自分にできることをそれぞれのやり方で模索し始めている。


温泉担当の詰所では、蛙人の男が、拡張後の浴場の見取り図を眺めながら、水精の同僚に話しかけていた。


「新しい浴場、どんな造りになるか、俺たちにも相談してもらえるかもな」


「楽しみですね。湯船の配置とか、岩の組み方とか……どんな構造になるのか、今から気になります」


「岩の組み方一つで、湯の巡りも変わってくるからな。俺たちの意見も、役に立てるといいが」


蛙人の男がそう言うと、水精の同僚は嬉しそうに頷いた。


「きっと大丈夫です。ガロンさん、現場の声、ちゃんと拾ってくれる方ですから」


そんな会話が、あちこちの持ち場で自然と生まれていた。誰に強制されるでもなく、それぞれが自分の持ち場をより良くしようとする空気。それは、開業から積み重ねてきた一か月の歳月が、確かに実を結び始めている証だった。


こうして、それぞれの部門で、一つ一つ丁寧に決定事項が周知されていった。大きな混乱もなく、誰もが自分の役割を理解し、次の一歩へと踏み出していく。開業から一か月というこの節目を経て、月下温泉宿という一つの共同体は、また一段と、結束を強めつつあった。

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