第10話 一か月の収益報告と関係者会議
開業から一か月。応接室に集まったのは、アルド、フィリシア、そして各部門の代表を務める従業員たちだった。ルーシャ、ケントラ、ドルグ、ミアウ、バルガ、シー、そしてガロン――部門責任者たちが、それぞれの椅子に腰を下ろしている。この場に来客の姿はない。身内だけの会議ということもあり、アルドの方針で、この場に限っては誰もが普段通りの砕けた口調で話すことになっていた。堅苦しい言葉遣いに気を張るより、率直な意見を交わす方が、よほど実のある会議になる――そういうアルドなりの考えからだった。
「まずは収益から報告しますね。当初予測を大きく上回る結果になりました」
フィリシアが淡々と数字を読み上げていく。予想を超える来客数、想定以上の満足度、そして何よりリピーターの存在。開業初期としては、上々どころか上出来と言える成果だった。
「特にリピーターの伸びが顕著ですね。ダリオのパーティを筆頭に、複数回のご利用をいただいてるお客様が、既に一定数いらっしゃいます」
その報告に、アルドは満足げに頷いた。かつての戦友の顔を思い浮かべながら、こうして数字として形になっていくことに、じんわりとした喜びを感じていた。
「じゃあ、各部門から補足あれば、順に頼む」
アルドの促しに、まずルーシャが手を挙げた。
「温泉担当からのご報告ですぅ。泉質の評判は上々なんですけど、種族別浴場の一部で、混雑時間帯に偏りが出てましてぇ。特に鱗を持つ種族向けの浴場が、時間帯によって行列になることが増えました」
おっとりとした口調ながら、要点はしっかりと押さえている。
「なるほど、増設の余地があるか」
アルドが頷きながらメモを取る。数字だけでは見えてこない現場の肌感覚は、こうして直接聞かなければ拾いきれないものだった。
「あと、露天風呂の千里眼、天気によって見え方が変わるのも好評なんですよぉ。雨の日は雨の日で、独特の風情があるって喜ばれてます」
「そりゃ知らなかったな。悪天候は不評かと思ってた」
「むしろ逆でしてぇ。珍しい景色が見られるからって、わざわざ雨の日を狙って来られるお客様までいるくらいで」
思いがけない反応に、アルドは軽く目を見張った。
「会計担当からです」
ケントラが静かに手を挙げる。来客時と変わらぬ、丁寧な口調だった。
「私からもよろしいでしょうか。会計窓口での対応マニュアルも、あわせて見直したいと存じます。値引き交渉への対応だけでなく、他にも起こりうる想定を、事前に洗い出しておきたく」
「いいな、それ。近いうちに、全員で洗い出しの時間を作ろう」
「あと、竹プランの利用比率が、想定以上に高くなっております。B級冒険者様のご利用が中心のプランですので、今後の集客動向を見る指標にもなるかと」
「調理担当からもいいか」
ドルグが太い腕を組みながら口を開く。
「食材の仕入れルート、もう少し広げたいのう。今使っとるのは、迷宮内でも限られた区画で育まれたものばかりでな。種類が偏ってきとる気がしてな」
「そういえば、迷宮の中だけで、これだけの食材が賄えるんだな。改めて考えると、大したもんだ」
アルドが感心したように呟くと、ドルグは満更でもなさそうに頷いた。
「迷宮内には、育成や繁殖を専門に担っとる区画がちゃんとあってな。わしらが扱っとる食材も、そこから届けられたものばかりじゃ。地上からの仕入れなど、一つもありゃせん」
思いがけない事実に、アルドは軽く驚いた。この迷宮という場所が、ただ危険なだけの空間ではなく、生活の基盤までをも内側で完結させている。その規模の大きさを、また一つ思い知らされる出来事だった。
「ドルグ、そこは俺も気になってた。今度、一緒に候補洗い出そう」
「あと、ダリオの旦那が絶賛しとったあの魚な。あれ、そろそろ仕入れ先が心許なくなってきとる。増産できんか、掛け合ってみるか」
「頼む。あれが目当てで通ってくれてる客も、少なくねえからな」
「接客担当だべ」
ミアウが尻尾を揺らしながら続く。
「お客様がらのご要望で、一番多いのが、家族連れ向けの案内だべさ。子供連れの魔族のお客様も増えてきてっから」
「家族連れが増えてきてるのか。そりゃ、目の届く範囲を広げねえとな」
アルドが顎に手を当てて考え込む。
「自分からもいいっすか」
バルガが勢いよく立ち上がった。
「はい! 今のところ大きな問題は起きてないっす! ただ、あの騒動があってから、警備の巡回頻度を増やしてます! 何かあってからじゃ遅いんで!」
「頼りにしてる。無理はするなよ」
「もちろんっす! ケントラさんのことも、自分らでちゃんと守るんで!」
「頼もしい限りです。ありがとうございます」
「僕からも報告です」
シーが控えめに手を挙げた。
「清掃担当からです。備品の管理については、あの一件以降、点検の頻度を増やしました。今のところ、同様の問題は起きていません」
「みんな、よく見てくれてる。助かるよ」
一通りの報告が一区切りついたところで、これまでずっと沈黙していたガロンが、静かに書類を差し出した。
「……我からも、一件」
普段はほとんど口を開かないガロンが発言したことに、一同の視線が集まる。
「……開業一月、大規模改修はまだ、ない。故に我の出番、今は少ない。……今は各部門の、補佐に回っておる」
「そういや、この一か月、色々手伝ってもらってたな」
「……それで、これを」
差し出された書類には、混雑が報告された鱗種族向け浴場の拡張案と、詳細な予算が記されていた。
「ルーシャの報告、聞いておった。……先んじて、案を作った」
「仕事が早いな、ガロン」
アルドは感心しながら書類に目を通す。予算は、既に言い渡されている今月の改修予算の範囲内に収まっていた。
「これなら、問題なく通るはずだ。最終的な決裁はレグナス様になるが、俺から渡りをつけとく」
「……頼む」
短くそう返すガロンに、アルドは頼もしさを覚えずにはいられなかった。
「それと、報告がもう一件。温泉の呼び名についてだ」
フィリシアの言葉に、アルドは首を傾げた。開業当初、この温泉に正式な名前は付けられていなかった。だが、あまりに評判が良かったためか、いつの間にか来客の冒険者たちが「奇跡の湯」と呼ぶようになっていたのだ。
「その呼称、もはや定着してますね。此度、正式名称として『不滅の御湯』の名を与えることが、魔王様より承認されました」
「そういえば、なんでその名前になったんですか?」
ルーシャがおっとりとした調子で尋ねると、フィリシアは僅かに口元を緩めた。
「不死者でありながら、誰よりも精力的に働き続けるアルド様の在り方に由来している、と伺っております」
思いがけない由来に、アルドは一瞬言葉に詰まった。
「……俺かよ」
「良い名だと思いますぅ! 語感も良いですし!」
ルーシャが早速そう褒めると、他の面々も次々と頷いた。こうして、噂から始まったこの温泉は、正式な名を得ることとなったのだった。
「反省点としては、先日発生したトラブル対応の遅れ、それに伴うマニュアルの不備が挙げられますね。既に改訂は完了してますが、来月以降も継続的な見直しが必要でしょう」
淡々と続く報告に、アルドは真剣な面持ちで耳を傾けていた。
「あの一件は、俺の判断が甘かった部分もある。次からはもっと迅速に動けるよう、対応の型を作っておこう」
一通り議題が片付いたところで、ミアウが遠慮がちに手を挙げた。
「あの、ひとつ相談したいことがあるんだけどさ。うちら、今の規模なら普通に回せてるんだけど、もしこの先お客さんがもっと増えて、施設まで広げるってなったら、今の人数じゃさすがに厳しくなるんでねえかなって」
「……確かにそうですね」
フィリシアが頷く。
「規模を拡大するとなれば、いずれ新規募集が避けられなくなります。ただ、切羽詰まってからの募集は、条件面でも人選でも、どうしても厳しくなりがちです。伸び率をあらかじめ見込んで、早めに備えておく必要がありますね」
「そうだな……とはいえ、こっちにも懸念がある」
アルドが腕を組んだ。
「ギルドに所属してるB級以上の冒険者の数ってのは、そう無限にいるわけじゃねえ。俺の元いたギルドは、国でも最高クラスの規模だったが、それでも頭打ちになる日はそう遠くねえと思う。他の地域からどれだけ客が見込めるかは、正直まだ読めねえ」
「では、どうしますか」
「まずはダリオたちから、他のギルドや地域の状況を聞いてみる。無闇に人を増やす前に、実際の需要をもう少し見極めときたい」
アルドの言葉に、フィリシアは静かに頷いた。
「承知しました。情報が集まり次第、改めて採用計画を練りましょう」
一通りの議題が出揃ったところで、フィリシアが思いがけない一言を告げた。
「皆さんに、此度の成果に対して、細やかですが特別ボーナスの支給が決定しましたよ」
どよめきが起こる中、フィリシアは淡々と続けた。
「支給の理由についても、説明しておきますね。実は、この一か月で得られた魔力滞留の収集量が、質・量ともに予想を大きく上回っていたことが確認されました。中でも、入浴時――つまり、裸の状態での滞留収集効率が、想定を格段に上回っているという実証データが取れたそうです」
「……裸だと、効率が上がるのか」
「はい。この調査結果は、私の管轄でまとめた上で、レグナス様へご報告し、レグナス様から魔王様へと提出していただいております。魔力研究部門から、六将にまで喜びの声が届いたそうです。レグナス様がその報告を受けて、魔王様に特別ボーナスの支給を進言してくださいました」
思いがけない裏側の経緯に、アルドは驚きを隠せなかった。
「そういうことなら、遠慮なく貰っとくか。……フィリシア、この分は全部、従業員に配りたい」
「承知しました。私も、それが最善だと思います」
二人の即決に、居合わせた面々が息を呑む。実際に支給された額は「細やか」という当初の言葉では到底収まらないほどの、過分なものだった。
「こんなに貰っていいんですか……!」
「これだけあれば、家族への仕送りが更にできますね……!」
口々に驚きの声を上げる従業員たちを前に、アルドは満更でもなさそうに頷いた。もっとも、この温泉宿の給与自体、開業にあたって人材を集めるため、魔界の水準でもかなり良い額を最初から設定していた。それに加えての特別ボーナスとなれば、驚くのも無理はない。
「働いた分だけ返ってくるのは当たり前だ。これからもよろしく頼む」
照れ隠しのようにぶっきらぼうに言うアルドの姿に、従業員たちは一層の親しみと信頼を深めていった。
こうして会議は、来月への課題を幾つも残しながらも、和やかな空気のうちに幕を閉じたのだった。死してなお働かされる理不尽な状況の中でも、こうして誰かと共に喜びを分かち合える瞬間があることに、アルド自身も密かな充足感を覚えていたのだった。
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