第5話 従業員紹介と温泉宿設備の紹介

「まずは、施設内をご案内いたします」


フィリシアに促され、アルドは建設途中の温泉宿を歩いて回ることになった。まだ骨組みだけの箇所も多く、資材の匂いと石粉の白い舞う中を、フィリシアの説明を聞きながら進んでいく。


「こちらが、大浴場の予定地です。奥に見える岩肌をそのまま活かし、露天と屋内、両方の湯船を設ける計画になっております」


まだ何もない空間を指し示されても、アルドにはまるで実感が湧かなかった。だが、フィリシアの説明は淀みなく続いていく。休憩処、食事処、宿泊用の個室、従業員の詰所――一区画ごとに丁寧な解説が加えられ、アルドはその都度、相槌を打ちながら耳を傾けた。


歩を進めるごとに、組まれたばかりの梁や、まだ据え付けられていない柱の数々が目に入る。冒険者として各地を渡り歩いた経験の中で、宿という宿は数え切れないほど利用してきた。だからこそ、間取りや動線の善し悪しについては、それなりに一家言がある自負があった。


「豪華すぎねえか、これ」


「開業には、それ相応の格が必要ですので」


フィリシアはこともなげに言うが、アルドとしては到底納得できる規模と豪華さではない。目に入る柱一本、梁一つを取っても、地上の一流建築と比べて見劣りするどころか、遥かに凌駕している。もっとも、相手が事も無げに空間そのものを作り替えるような存在だと知った今、常識で測ろうとするだけ無駄だとも悟っていた。


資材の合間を縫って歩いていると、大柄な岩人形の集団が、黙々と作業に打ち込んでいる区画に差し掛かった。


「あちらが、建設改修担当のガロンと、その部下たちです」


フィリシアの紹介に、作業の手を止めた岩人形の一人が、ゆっくりとこちらに向き直った。


「……我が、ガロン」


短くそう名乗ると、ガロンは再び静かに一礼した。感情の起伏こそ乏しいが、その佇まいには、職人としての確かな誇りが滲んでいる。


「彼らの本来の役目は、施設の建設と改修です。開業後、建設改修が閑散期となる時期は、各部門の補佐的な立場としても稼働していただく予定になっております」


「なるほどな。手が空いた時は、あちこち回って手伝ってもらうってわけか」


「はい。多才な方々ですので、心強い戦力になっていただけるかと」


ガロンの部下たちも、黙々と作業を続けながらも、時折こちらへと視線を寄越してくる。口数こそ少ないが、決して無愛想というわけではない。むしろ、その寡黙さの奥に、確かな真面目さが透けて見えるようだった。もっとも、この日は工事の真っ只中ということもあり、後日改めて行われる予定の顔合わせの場には、ガロンたちの姿はないとのことだった。


一通りの巡回を終えると、フィリシアは何もない広場の中央で軽く手をかざした。次の瞬間、宙に淡い光が集まり、人の頭ぐらいの大きさの精巧な建物の模型が浮かび上がる。


「……これは」


「完成予定のレイアウトです。魔法による立体投影となります」


湯気の立ち上る大浴場、瓦屋根の宿泊棟、庭園を思わせる中庭。ミニチュアとはいえ、細部まで作り込まれたその模型に、アルドは思わず身を乗り出した。実際に歩いた区画と重ね合わせることで、ようやく具体的な完成像が頭の中に結びついていく。屋根の反り具合や、廊下の幅、庭に配された岩の一つに至るまで、緻密に再現されている。これほどの模型を一瞬で作り上げてしまう技量にも、今更ながら驚かされるばかりだった。


「せっかくだ、少し意見してもいいか」


「ぜひ」


「入口からの動線が、ちょいと分かりにくい気がする。冒険者ってのは大抵、気が立ってる。迷わせるような造りは避けた方がいい」


「なるほど。案内表示の増設を検討いたします」


「あと、脱衣所の数がこの規模の浴場に対して少なくねえか。混雑する時間帯は、絶対に詰まる」


「確かに、そこまでは想定しておりませんでした。増設の余地を残しておきます」


「それと、浴場の区画分けについてですが」


フィリシアが話を切り出した。


「利用者にはヒトの冒険者だけでなく、魔族や魔物も含まれます。姿形が種族によって大きく異なる以上、同じ浴槽を無条件に共有していただくわけにはまいりません。種族ごとに利用エリアを区分する構図を検討しております」


言われてみれば、確かにその通りだった。アルドの脳裏に、毛むくじゃらの巨躯の魔物と粘液質の身体を持つ魔物とが、同じ湯船に一緒くたに浮かんでいる光景が浮かぶ。


「……そりゃそうだ。毛だらけのやつと、粘液質のやつが同じ湯船でぷかぷか浮いてたら、ヒトの客はまず入りたがらねえだろうな。種族ごとに分けるってのは、賢明な判断だと思う」


「ご賛同いただけて何よりです。それと、露天風呂については、もう一つ趣向を凝らす予定です」


「趣向?」


「露天風呂エリアに限り、階層の風景でなく魔法による千里眼を用いて、迷宮の遥か上空――地上の空模様をそのまま眺められるように投影いたします。本来であれば決して見えるはずのない光景ですので、話題性としても十分でしょう」


その説明に、アルドは思わず唸った。地の底深くにいながら、青空や星空を眺めながら湯に浸かれる。そんな贅沢は、地上のどんな高級宿にも存在しないだろう。


「そいつは、面白い趣向だな。俺も、実物を見てみてえもんだ」


一つ指摘するたびに、フィリシアは律儀にメモでも取るかのように頷いていく。魔法で作られた立体模型が、その都度、僅かに姿を変えていく様は、見ていて飽きなかった。


模型を指差しながらのやり取りに、フィリシアは一つ一つ丁寧に頷き、時に修正を加えていく。人間の生活動線を知る者としての視点は、フィリシアにとっても新鮮な発見だったようだ。


「人間の視点というのは、これほどまでに実用的なものなのですね」


「そりゃ、実際に使う側の人間だからな」


「では、こちらからも一点、お願いしたいことが」


フィリシアが改まった様子で切り出した。


「利用客には、当然ながら魔族や魔物も含まれます。種族によって体格や身体の構造は千差万別です。小柄な種族もいれば、逆に見上げるほどの巨躯を持つ種族もおります。尾を持つ者、翼を持つ者、あるいは足そのものを持たない種族もおります。段差の高さ一つとっても、ある種族には優しくとも、別の種族には不便極まりないものになりかねません。そういった、種族間での不自由な面を調整する配慮は、既に設計に組み込んでおります」


「……なるほどな。人間で言う『体が不自由』ってのとは、また違う話か」


「はい。魔族や魔物には、そもそも人間の言う意味での身体障害という概念自体が、ほとんど存在いたしません。ですが、種族間の体格差や構造の違いは、間違いなく存在します」


言われてみて、アルドは初めて気づかされた。魔物の生態については、戦ってきた経験から、それなりに知識があるつもりだった。だが、それはあくまで戦闘における特性であり、日常生活における使い勝手のようなものまでは、考えたこともなかった。


「そいつは、俺には分からねえ話だな。もう少し詳しく聞かせてくれ」


フィリシアの説明を受けながら、アルドは既に組み込まれている配慮の数々に耳を傾けていった。段差の高さを複数用意していること、手すりの位置を種族ごとに変えられる可動式にしていること、尾や翼を持つ者のための着替えスペースを確保していること。人間の知識だけでは決して思いつかなかったであろう視点が、既にしっかりと形になっていた。


「もう既にそこまで考えられてたとはな。大したもんだ」


「同感、というと妙な話ですが、私も設計段階で頭を悩ませた部分です」


他にも、荷物棚の高さや、雨天時の動線など、思いつく限りの指摘を重ねていった。フィリシアはその都度、模型に修正を加えながら、時折感心したように相槌を打つ。


「魔族や魔物の設計思想には、こういった細やかな配慮が抜け落ちがちです。実際に生活する側の視点は、何物にも代え難い」


しばしの意見交換の後、フィリシアは満足げに頷いた。


「大変参考になりました。それでは次に、従業員の紹介に移ります」


そう言うと、フィリシアは再び指先を軽く動かした。視界が一瞬白く染まり、次の瞬間には、これまでとはまるで異なる、荘厳な広間へと場所が切り替わっていた。石柱が整然と並び、天井には見たこともない紋様の意匠が施されている。


「……ここは、どこだ」


「面談のための会議場です」


それだけしか答えは返ってこなかった。何階層に位置するのかは、あえて伝えられていないのだろう。だが、聞かずとも分かることがあった。肌にひたひたと伝わってくる圧し掛かるような重い気配――それは、アルドが人類未踏の領域として身をもって知る、あの十一階層の重圧をも上回るものだった。


――ここは、俺がまだ知らない深さだ。


具体的な数字は分からずとも、自分がこれまで踏み込んだことのない領域に足を踏み入れているという事実だけは、経験に裏打ちされた肌感覚が確かに告げていた。背筋に微かな緊張が走る。かつて命を落とした十一階層でさえ、決死の覚悟で挑んだ末に辿り着いた場所だった。それを易々と凌駕する重圧が、今こうして当たり前のように自分を包んでいる。この一事だけでも、この迷宮の底知れなさを、嫌というほど思い知らされる。


広間には、既に多くの魔物たちが整列して待っていた。数えるのも億劫になるほどの数だ。獣人、鱗を持つ者、翼を持つ者、透き通った身体を持つ者、あるいは炎そのものが人の形を成したような者まで。その姿形は多種多様で、とても一括りに「魔物」という言葉で表現しきれるものではなかった。これほどまでに雑多な種族が、一つの目的のために整然と並んでいる光景は、それだけで異様な迫力を伴っていた。


「此度、新たに温泉宿の責任者に就任されました、アルド・ヴェイン様です。従業員は初期人員として、こちらの百名ほどとなります」


百という数字に、アルドは思わず息を呑んだ。想像していたよりも遥かに大所帯だ。冒険者としてパーティを組んでいた頃でさえ、まともに顔と名前を覚えていられたのは精々数人程度だった。それがいきなり百人規模の部下を任されるとなれば、気後れしないと言えば嘘になる。


「……こんにちは、いや、よろしく頼む。人間の常識には俺も詳しいわけじゃねえが、分かる範囲で共有していく。至らないところは容赦なく言ってくれ。あと、俺は責任者ではあるが、仲間内じゃ気軽に接してもらえると助かる。この後の自己紹介も、畏まらず普段の言葉づかいで頼む」


飾らない言葉に、従業員たちの間からどよめきが起こる。人間相応の対等な態度で接せられることに、彼らは戸惑いながらも、確かな好感を抱いたようだった。


「では、自己紹介を」


フィリシアの合図で、前列から順に、簡潔な自己紹介が始まった。声を張り上げる者、恥ずかしそうに小さく名乗る者、堂々と胸を張る者――百者百様の反応が、次々と披露されていく。まだ互いに親しいわけではない分、馴れ馴れしさこそないものの、それぞれの素の話し方が滲み出ていた。中でも、各部門を率いる責任者たちは、ひときわ丁寧な礼と共に名乗りを上げた。


「温泉担当責任者、ルーシャと申します。補助要員の部署から参りました。お湯の管理は、あたしにお任せくださいねぇ」


人魚を思わせる鱗を持つ女性が、おっとりとした口調で一礼した。


「会計担当責任者のケントラです。管理部門から参りました。数字には強い方かと存じます」


几帳面な佇まいの、蜥蜴人の男が眼鏡の位置を直しながら、丁寧な口調で名乗る。


「調理担当責任者、ドルグと申します。生産部門から参りました。腕には自信があるぞい」


熊の獣人らしい、恰幅の良い巨躯の男が、太い腕を組みながら頷いた。


「接客担当責任者を務めます、ミアウと申します。運営部門から参りました。うちにお任せくなんしょ」


猫の耳と尻尾を持つ女性が、東北訛りの混じった口調で頭を下げる。


「警備担当責任者、バルガです。巡回部門から参りました。自分、しっかり守ります」


見上げるほどの体躯を持つ、角の生えたオーガの男が、短く名乗った。


「清掃担当責任者のシーです。衛生部門から参りました。隅々まで、ボクが綺麗にします」


風の精霊を思わせる、透き通った身体を持つ女性が、涼やかな声で告げた。


温泉管理、会計、調理、接客、警備、清掃、そして建設改修――この七つの部門を軸に、初期の体制が組まれているようだった。他にどのような役割が必要になるかは、これから運営を進めていく中で、追々増えていくことになるのだろう。百名という大所帯の顔と名前、そして担当を一度に覚えきるのは容易ではない。それでも、次々と名乗りを上げる従業員たちの顔を、アルドは一人一人、記憶に刻みつけていった。この場にいる誰もが、これから共に温泉宿を作り上げていく仲間になるのだ。そう思うと、気の遠くなるような人数も、不思議と心強く感じられた。


一人一人と顔合わせをしていく中で、アルドはふとある事実に気付く。従業員たちの出身階層――それはどれも、人類がまだ到達したことのない深層ばかりだった。


「お前ら、みんな深い階層の出なのか」


「はい! 私は十七階層生まれです!」


元気よく答えたのは、狐の耳を持つ若い魔物だった。他の者たちも次々と自分の出身階層を口にする。その数字を聞くたびに、アルドの中で何かがざわついた。


人類はまだ、この迷宮のほんの入り口にしか触れていない。自分が命を賭して辿り着いた十一階層でさえ、この迷宮全体からすればまだ浅層に過ぎないのだ。先程感じたあの重圧を思い返せば、それも当然のことなのだろう。


――だったら、いつか。


不死者となった今の自分になら、その「いつか」を見届けることができるかもしれない。そう思うと、絶望だったはずのこの状況に、微かな高揚が滲むのを感じた。


「よし、じゃあまずは施設の使い方から教えてくれ。ヒトが来た時に困らんように、な」


そう言いかけたアルドを、フィリシアが軽く手で制した。


「その前に、今後の予定についてお伝えしておきます。施設の完成までは、あと二週間ほどかかる見込みです。その後、開業までの期間で、皆様には施設の使い方に習熟していただくことになります」


「二週間、か。思ったよりも早いんだな」


「もう少し早く完成させたかったのですが」


フィリシアは僅かに間を置いてから続けた。


「習熟期間中に、レグナス様が視察と激励を兼ねて、こちらにいらっしゃる予定です」


その一言に、広間全体の空気が変わった。


「レグナス様が……!」


「本当ですか、直接お会いできるなんて!」


従業員たちの間から、歓声にも似たどよめきが一斉に沸き起こる。目を輝かせながら隣同士で言葉を交わし合うその様子は、まるで憧れの物語の英雄が訪れると聞かされた子供たちのようだった。


その光景を眺めながら、アルドの中で、ある感慨が静かに広がっていった。かつて自分も、幼い頃に語り聞かされた英雄譚に胸を躍らせたものだ。強さだけでなく、人を惹きつける何かを持った者にこそ、人々は憧れを抱く。今、目の前で沸き立つ従業員たちの姿は、まさにそれだった。


――レグナスってのは、ただ強いだけの武人じゃねえんだな。


実力はもちろんのこと、これほどまでに部下たちから慕われ、憧れられる人望とカリスマ性を兼ね備えている。それは、六将という地位にただ座っているだけでは、決して得られるものではないはずだ。初めて対峙したあの日、死闘の最中にも確かに感じ取っていた、あの底知れぬ器の大きさ。その時の自分の直感は、間違っていなかったのだと、アルドは今、改めて確信するのだった。

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