第2話 王女暗殺-②
時刻は既に丑三つ時を回り、少しの時間が経過していた。
広大な寝室の中、シルヴィアはベッドのただ中で小さく丸まっている。 そのベッドのすぐ脇。黒い大きな布をすっぽりと頭から被り、壁に背を預けて胡坐をかいているのは護衛のジュードだ。
部屋の外、重厚な扉を隔てた廊下では、苛立ちを隠せないセバスチャンが控えていた。
控えるメイドたちに宥められながらも、彼は微動だにせず扉を見つめている。
どれほど胸騒ぎがしようとも、ジュードに入室を固く禁じられている以上、扉を開けるわけにはいかなかった。
セバスチャンが心苦しさを覚えているのは、自分以下の実力しか持たない頼りない少年と姫を二人きりにしてしまったことではない。
彼のギフトの説明を聞いて、納得してしまった自分に──だった。
そして。静寂が支配する誰もいないはずのシルヴィアの寝室に、三つの影が侵入する。
まるで夜の闇そのものが揺らぎ、床から滲み出るように這い出てくる人影が月光に照らされその姿を現す。
頭から黒いローブを深く被った三人組。
彼らこそ、王女の命を刈り取るために放たれた暗殺者であることは、言うまでもない。
先頭の男がわずかに顎をしゃくると、左右の二人が滑るように踏み出す。
一人が刃を閃かせ、ベッド際であぐらをかいていた黒い布の影を容赦なく串刺しにした。
同時に、もう一人がシルヴィアの眠るベッドへ躍りかかり、毛布越しに刃を叩き込む。
──瞬間、爆音と共に大量の煙幕が噴出した。
「なっ──がっ!?」
噴き出した黒煙に視界を奪われた瞬間、ベッドを奇襲した男の喉輪が内側から跳ね上がる。 くり抜かれたマットレスの底、潜んでいたのはシルヴィアではなくジュードだった。 暗闇から躍り出た白刃が、暗殺者の喉を深々と切り裂く。
偽物の影を刺した男が慌てて剣を引き抜こうとするが、黒布の下にあったのはただのクッションと畳んだ毛布だった。
「しま──」
悟った時には遅い。返り血を浴びながら床を滑り込んできたジュードが、下段から男の膝裏を薙ぎ、すれ違いざまに頸脈を断ち切る。 一秒足らずで二人を泥のように転がしたジュードは、あらかじめ装着していた保護ゴーグル越しに黒煙を蹴立てた。
長剣と短剣を交差させ、煙の奥に佇むリーダーへ一直線に肉薄する。
しかし。
ガキン、と硬質な金属音が煙を揺らした。
「罠──貴様、シルヴィアではないなっ!」 「チッ、仕留め損なったか」
煙の中で放った奇襲を受け止められ、ジュードが舌打ちする。
リーダーの男はジュードの刃を短剣で力任せに弾き飛ばすと、間髪入れずに短剣をジュードの眉間へ突き出した。
素人でもわかる、完全に鍛え上げられた
「お前に構ってる暇はない」
鋭く放たれた必殺の突き。 常人の身体能力では、避ける猶予も受け止める角度すら存在しない。本来なら頭蓋を穿たれて即死するはずの一撃。
──だが。
ごす、と間抜けな音が響いた。 暗殺者の放った短剣の刃先が、ジュードの鼻先数ミリで突如として空を切る。
ジュードが避けたわけではない。
足元に転がっていた先ほどの暗殺者の手首が、絶妙なタイミングで踏み込んだ男の足首に絡みつき、ほんの数ミリ軸を狂わせたのだ。
「……運の良い」
「それだけが取り柄さ!」
体勢を崩した男の隙へ、ジュードはまったく洗練されていない、泥臭く力任せな横薙ぎを叩き込んだ。
が、そんな大振りの刃が熟達した武芸者に届くはずもない。 ふわりと重力を感じさせない跳躍で軽々と回避し、距離を取る暗殺者。
「信号は確かにこの部屋にある。他に隠れられる場所は──」
刹那。 暗殺者は懐から水晶板を取り出し、明滅する光の位置を確かめた。
瞬時に部屋の空間を記憶と照らし合わせ、シルヴィアの体格から潜伏先を算出する。
ベッドを除けば、答えはひとつにしぼられた。
視線が一点──ジュードのちょうど背後にある巨大なクローゼットへと固定される。
「そこか」
「させっかよ!」
再び激突する両者。 だが、暗殺者は微塵も焦ることなく、その短剣を持つ腕を極限まで引き絞った。 そして。
「
必殺の言霊が紡ぎ出される。
「ギロチン・スリップ」
その瞬間、世界が引き伸ばされたような錯覚をジュードは覚えた。
停滞した空気の中、物凄い速度で迫る短剣がジュードの首目掛けて滑り出し、吸い込まれるように皮膚へ到達する。
そのまま頭部と胴体がお別れになる──はずだった。
「ぐっ……!」
みしり、と足下の床板が老朽化によって跳ね上がった。
踏み抜いた段差に体を滑らせたジュードの頭部が、僅か数センチ沈み込む。
短剣は首を断ち切る代わりに、彼の左肩を深々と引き裂いた。大量の鮮血が噴出し、壁と床を朱色に染め上げる。
それほどの痛手を負わせながら、
「なん、だと……!?」
すれ違いざまの暗殺者の顔は驚愕に歪んでいた。 暗技──それは、影の領域に生きる者のみが手にする殺戮の極意。 全てが必殺を約束された技であり、正しい対処法を知らぬ者が生き残る術など存在しない。
少なくとも、“技”を知らぬ者には。
それを、老朽化した床を踏み抜くというただの事故で寸前回避するなど、奇跡の一言でも片付けられるものではなかった。
「だが──シルヴィアはもらった!」
直進する暗殺者は勢いを殺さず、クローゼットの扉を両断した。
木片が激しく弾け飛び、衝撃波で扉が吹き飛ぶ。
崩れ落ちた木屑の奥、涙ぐみ、顔を青ざめさせたシルヴィアが蹲っていた。
「死ね!! シルヴィア!!」
浮かぶ笑み。振り下ろされる刃。
刃先と王女との距離は、もはや一寸すらない。 暗殺者の脳裏に、完璧な勝利と仕事の完遂が確定した ──はずだった。
バチン、と破裂したような音が室内に響き渡る。
「は……なっ!?」
暗殺者の腕が、ピタリと空間で静止した。
寸分狂いなく振るわれた刃。それをまるで阻止するかのように、弾け飛んだクローゼットの中にあった革製の紐が腕を絡め取っていたのだ。
あと数センチ。それでシルヴィアの命を絶てるはずなのに、刃は皮膚一枚破ることもできず、静止する。 暗殺者は何より信じられなかった。 自分の暗殺者としての生の中で、到底考えられない失敗の仕方に、男の顔が歪む。
「あり得ん……こんなも──うぐっ!?」
暗殺者の首に鉄鎖が絡みついた。 背後からの容赦ない引力に抗えず、暗殺者は無様に転倒する。
地面に腕を押しつけられ、首筋に突きつけられたのは、鎖の先についた鎌の刃だった。
「悪るいね。あんたの暗殺は失敗さ」
「なぜだ……あんな手が届く距離で……あり得ん! 奇跡以外の何物でも──」
血走った目で叫ぶ暗殺者。 その必死な姿を、ジュードは気怠げな眼光で見下ろしていた。
「残念だが奇跡じゃない。この結末は、最初から決まっていたのさ。よく噛み締めな」
ジュードの低く声が、静まり返った部屋に落ちる。
「一寸先で望みに届かない絶望を」
暗殺者が恐怖に引きつった顔で、それでも最後の短剣を振り抜こうとした瞬間、ジュードが手中の鎖を軽く引いた。
刃が首を深く切り裂き、朱色の鮮血が噴き出す。 暗殺者はガタガタと全身を痙攣させ、やがてその瞳から光が消え去った。
「ほら、大丈夫?」
ジュードがそっと手を差し出す。 差し込む月光を背に受けたその佇まいは、いつになく整って見えた。
「ば、バカね! わ、わたくしは姫よ……これくらいで!」
シルヴィアはその手を掴んで立ち上がろうとするが、膝の力が抜け、そのまま前のめりに倒れ込む。 ジュードは苦笑いを浮かべながら、その細い身体を軽々と受け止めた。
「はは、腰が抜けてるじゃん。俺も信用ないねぇ。まあ、それでいいんだけど」
「あ、あのねぇ!? 普通は目の前に暗殺者が迫ったらそれだけで──」
不意に、二人の動きが止まる。
物言わぬ肉塊と化した暗殺者の胸元から、不気味な音が漏れていた。
カチカチカチ、と規則正しく刻まれる金属の作動音。
「やるじゃん」
直後、鼓膜を破らんばかりの爆音が爆発した。
黒煙と爆炎がシルヴィアの寝室を飲み込み、重厚な扉の外で待機していたセバスチャンもろとも、部屋の一部が豪快に吹き飛ぶ。
「姫様──っ!?」
衝撃波を食らいながらも、セバスチャンは爆煙の中に飛び込んだ。
視界に飛び込んできたのは惨劇そのものだ。 姫が潜んでいたクローゼットも、豪華なベッドも、すべてが爆炎によって爆散し、黒く焦げ付いている。
このような猛火の中で人間が生きていられるはずがない。
セバスチャンは絶望のあまり、がくりと力なく膝を折った。
だが──そんな絶望の結末など、最初から存在しない。
「──信じなくていい。でも、決まってる」
爆破地点から真っ反対の部屋の隅。
瓦礫の山の上に、二つの影が重なっていた。
シルヴィアの身体には太い鎖が幾重にも巻き付けられており、それを手繰り寄せる形で、ジュードが彼女を危なげなく抱きかかえていた。
「姫様が死なない結末は、ね」
ドレスのあちこちが焦げ付き、肌には微かな火傷の跡が残っていたが、命に別状はない。
火傷の熱のせいか、それとも抱きかかえられた姿勢のせいか、シルヴィアの頬は朱く染まっていた。
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