第7話 「おかえり」を君に・下

直接見るのはずいぶんと久しぶりなのに、あまり変化を感じられない庭先。

咲いている花が若干変わったのと、木の雰囲気が少し変わったくらいだろうか。


玄関の前に、並んで佇み待っていた二人の姿に、ぎゅっと手を握った。

左京さんの手も、同じように握りしめられていた。


「ご無沙汰しています」

まずは、左京さんが頭を下げた。

彼に倣って、わたしも常葉たちも、頭を下げた。

両親は、ずいぶんと年を取って見えた。

「……こちらこそ、ご無沙汰しております」

片桐の家の人間相手なのに、どこか昔見たままの威圧感を感じた。

それだけで、理解した。

左京さんが今更ながらに来た理由を、両親は誤解している。


「あなたが、常葉くんね」

青い目の孫に、二人が手を伸ばす。

母は手を握り、父は頭を撫でた。

常葉は困ったような表情を浮かべたまま、動かずにそこにいた。

三行半を突きつけられた娘と孫を、受け入れようとはしているのだろう。

青い目をしていても、わたしが産んだ子だから孫には違いが無い。


「きれいな目だと思いませんか」

左京さんが、柔らかい目で常葉を見つめる。

両親は、言葉に詰まった。

娘の不貞を断罪する前振りに聞こえたのだろう。


「玄関先ではなんですし、どうぞお上がり下さい」

母に促され、全員が靴を脱いだ。

上条さんの靴を、当たり前のように常葉が脱がす。

安全面を考慮して、足元はいつものはき慣れた靴のまま。

装具がほとんど隠れて見えない着物姿の彼は、杖をついていなければハンディがあるようには見えない。

わたしも、そっと手を貸した。

上条さんの柔らかい笑顔が、息苦しい空気を優しく緩めてくれた。


「お母様、椅子の部屋でお願いします」

上条さんを、正座させられない。

お茶席にでも呼ばれたら、居場所がないだろう。

わたしの言葉に、母も父も頷いた。

「足が、悪いの?」

「そうなの、配慮して」

母の言葉に、軽く返す。

わたしも深い事情は知らない。

だけど、一生ものの怪我を抱えても自分で立って笑うこの子は、強い。

常葉が上条さんの手を握るのを見て、わたしも彼の反対の手を握った。


「……ええなぁ……」

ぽつりと呟かれた、左京さんの声に吹き出しそうになる。

実家で、こんなに息が出来る日が来るとは、思わなかった。



一枚板のテーブルの上に、お茶碗が並ぶ。

きれいに立てられた薄茶に、母の実家からだろう和菓子。

母方の祖父母は大分前に亡くなったと聞いていた。

わたしへの影響を考慮してか、左京さんだけが葬儀に出た。


「楽茶碗ですか」

常葉が、黒いお茶碗を丁寧に拝見する。

茶道の知識なんて、教えた覚えもないのに。

わたしから見てもきれいな所作だった。

両親が嬉しそうに常葉に話しかける。

抹茶の銘柄が気になるようで尋ねる彼に、またまた嬉々として京都の有名ブランドの名を伝える。

常葉も知っているようで、一つ頷いた。


「……ちゃんと、うちの血を引いているのね」


全てを壊すような一言が、母から落ちる。

常葉が、ぴたりと動きを止めた。


「そんなに気になりますか」

左京さんが、心底不思議そうに尋ねた。

わたしも、最近理解した。

彼には、常葉が自分の息子でないという考えそのものが、最初からない。


「私の祖父と、同じ目です。

 この子は、先祖返りかと言うくらい、似ていますよ」


父親からのはっきりとした肯定に、常葉が静かに目を伏せる。

その横顔は、少しだけ照れているもので、上条さんと目を見合わせて、微笑み合った。


「……そう、ですか」

母は、ほっとしたように息を吐いた。

「……まどかが、夜遊びをしていたという事実は、変わらない」

探偵でも雇って調べたのだろう。

母とは反対に、父は苦い顔をしていた。

「まぁ、遊び相手全て俺なんで。

 なーんも、問題ないです」

漏れ出たエセイントネーションに、こんな状況なのにふふっと笑った。

本当に、最初から最後まで、全て彼。

父は、左京さんの変わった雰囲気に目を見開く。

「……こっちが、素なのよ」

わたしの言葉に、「俺も信じたくねぇよ」という小さな常葉の呟きが重なった。


「離婚の、報告ではないんだな」

苦いものを飲み込んだような表情で、父がこちらを見てくる。

「縁起でもないことを、言わないでください」

左京さんも、はっきりと苦い顔をして否定した。

「常葉を、母方の祖父母に会わせたかっただけですよ。

 あとは、もう一人俺たちに子どもが増えたことのご報告かな」

左京さんは、上条さんの方を見て微笑んだ。

「ずっと、気になっていたの。

 もしかして……常葉くんの……?」

母の言葉に、頷く。

「わたしのもう一人のかわいい子どもで、常葉の大切な人よ」

上条さんは、丁寧に礼をした。

この子も、きれいな礼をする。

きっと、大切にお父様に育てられた子なのだろう。

「初めまして、上条朔です」

両親は、ちらりと足の方へ目を向けた。

二人の目が、いいのかと告げている。

わたしは縦に、首を振った。


「忘れていました」

左京さんが、スマートフォンを取り出して、まっすぐに両親を見つめる。

「今日は、もう一つご報告があって参りました」

両親が顔を見合わせ、まだなにかあるのかと不思議そうに首を捻る。

わたしも、左京さんの報告に思い至ることがない。

他の二人もそうなのか、全員が左京さんを不思議そうに見つめる。


「学生時代、友人とインディーズでバンドを組んでいたんですが……今回、二十年以上ぶりに集まって、新曲を作ったんです」


何を言い出すんだ、この人は。

円、という彼の作った曲が頭に過ぎる。

いや、かっこよかった。

サビが円周率なのに、何故か音と合わさるとかっこよく聞こえたあの歌だけど……。

偶然かと思った“円(まどか)”の名が、必然だったことを後から知って頭痛がした。


「曲名は、“常葉(とこのは)”です」

流れる楽曲は、この家に似つかわしくない。

キーボードの、切ないソロから始まり、ギターが寄り添いベースが支え、ドラムが引っ張る。


「夏の日に触れた青 冬のように澄んでいた

 初めての一歩 笑顔さえ浮かべずに

 遠くから見守る 臆病な俺」


歌う左京さんの、顔が見れなかった。

これは、常葉への歌だ。


両親が、空気に飲まれてただ彼を見つめる。

その視線を物ともせずに、彼は歌う。


「本当は 抱き上げ 一緒に笑いたかった

 何故俺は それをしなかった?」


ぽろりと、涙が落ちた。


常葉から逃げていたのは、わたしだけじゃなかったんだ。

最後に抱き上げたのは、いつだろう。

あまり、そういうことを求めては来なかった。

常葉にとっては祖母である、お義母様に懐いてはいた。

けれど、足の悪いお義母様は、彼を抱き上げることは出来なかったはずだ。


この子を、常葉を忘れてはいけないと、ずっとお義母様は伝えてくれていたのに。


嫌われていると、思っていた。

事実、嫌われている。


……嫌われるような、生き方しかしてこなかった。


「君の周りに満ちた 紛い物の翠(みどり)

 その中の本物を ちゃんと君は見つけたね

 伸ばした手が宙を抱く

 もう君は 一人歩く

 遅すぎたその背中に 今なら間に合う」


息の混ざる、しっとりとした声で歌い上げる。

サビは、それでも今ならまだ完全な手遅れではないと伝えていた。


左京さんも、後悔している。


だけど、前を向いているんだ。



一曲まるまる歌い終わった後、しばらく誰も何も言わなかった。


居たたまれなくなったのか、左京さんが音源にしていたスマートフォンを持ち上げ、ポケットにしまう。


「……ここは、アコギでも持ってきて歌うべきなんじゃないのか?」

ようやく、響いたのは常葉の声だった。

少しだけ捻くれた言葉は、わたしのようだった。


「……俺、ギター弾けへん……」

目を逸らして、気まずそうに告げられた一言。


「……え」

ステージで、エレキとか持ってなかったっけ?

記憶は曖昧だが、なんとなくそんなイメージがある。


「……ステージのは、飾りや」


「ださ……」

あっさりと白状した彼に、ぼそりと常葉が呟いた。


「作曲とかは、ギターが定番だろ?」


「……DTMで……。

 曲は、シンセで打ち込んで、作っとる……」

くすくすと、笑みが零れ落ちた。

両親すら、笑っていた。


「常葉くん」


「はい」


父の呼びかけに、常葉が視線をそちらに向ける。


「……私たちは……君が、まどかの不義の子だと疑っていた。

 ……いや、半ばそう信じていた」


常葉は、まっすぐに頷いた。


「俺自身も、そう思っていました。

 それが普通でしょう」


「なんでや、俺の子やろどうみても!」

左京さんが、一人慌てる。

つまりは、そういうことなのだと、二十四年を思って息を吐いた。


「まどかは俺以外知らんで!

 間違いないわ!」


ドヤ顔で語る左京さんに、頬が熱くなる。

両親の前ではっきり言ってくれるのは、嬉しいけど言い方がちょっと困る。


「……片桐家に、慰謝料請求されるのではと、ずっと怖かった」


お金そのものよりも、慰謝料という名目がだろう。

どちらに非があるのかを、示すその性質。


「この家は、兄が継いだのでしょう?」


わたしの言葉に、父が頷く。

「こちらの孫たちの結婚や生活に不利益になるのは避けたくて、深入りしないことを決めた」


両親らしい答えを聞いても、もう何も感じなかった。


両手に、温もりを感じた。


左手は、左京さん。

右手は、常葉。


驚いて右を見た。


常葉は、表情を変えないまま、でも確かに手を重ねてくれていた。


それだけで、二十四年が、溶けて消えた。

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