第5話  二十四年の空白―今更ですが、伝えます―・下

病院へ向かう車の中、ついつい手を握った。

肩が一瞬だけ跳ねて、それでも振り払われることはなかった。


「常葉、お茶が好きだって知ってた?」

息子の話題に、彼女が弾かれたように顔を上げる。

そして複雑そうな顔で、首を振った。

「緑茶が一番好きらしい。

 母さんがお茶とか、そういうものにこだわるから、常葉にもそのこだわりが継承されてるらしいよ」

上条さんからの情報を伝える。

お茶の話題に、実家を思い出したようで遠くを見つめるような目をした。

「……お茶も好きじゃ無かったのに。

 着物といい、英語といい……そしてお茶まで、どこかに繋がっていくのが皮肉だわ」

まどかの言葉に、笑う。

「君と俺の子やからね、“らしい”じゃないか」


ノックをして、扉を開けた。

先客がいることは、扉の外からわかっていた。


「や、母さん」


軽く手を上げると、常葉が目を見開いてこちらを見る。

そう言えば、素で彼と話すのは、初めてに近いか。


「こんにちは、左京さん」

「こんにちは。

 上条さんはリハビリお疲れさま」

普通に会話する俺たちを、常葉が交互に見つめながら戸惑っているのが伝わる。

普段感情があまり見えない目をしているから、少し面白い。


「左京、あなたやっとちゃんとしたのね」


母は、やはり母だった。

何も言っていないのに、扉の外の気配に気が付いているのだろう。

一つ頷いて、そして声を掛ける。


「ほら、隠れてないで入って。

 取って食いはしないよ、俺以外は」


「あ、あなたねぇ!」


俺の言葉に反射的に反応してしまったまどかが、声を出した後にしまったという気配を出した。

それを喉の奥で笑いながら、目を白黒させている常葉を見る。


「……左京」


母の圧がそろそろ怖いので、咳払いして誤魔化した。

誤魔化せてないけど。


「……今日は、まどかも一緒だよ」


常葉が上条さんを守るようにそっと彼の前に出た。

そんな姿が、嬉しいような寂しいような気持ちにさせる。


「……こんにちは」


腹を括った彼女は、背を伸ばしてきれいな礼をする。

さすが、家元の娘だ。

着物を纏っていなくても、そこに着物を着て佇んでいるようだった。


「……お義母様、ご無沙汰しております」


「あら、いいのよ。

 まどかさんの顔が見れただけでも、嬉しいわ」

穏やかに笑う母は、少しだけ底が知れない目をしていた。

俺に対して向けられるものと同じだ。

母は、常葉を傷つけることを一番許さない。


「……常葉さん」


「……何でしょうか」


母と子の会話に見えないほど、固い。

まどかはちらりと上条さんに目を向け、そして静かに目を伏せた。


「……昔、あなたを連れて家を出ようと思った」


「……捨てるためですか?」


常葉の声は、冷え切っていた。


まどかはゆっくりと首を振る。


「左京さんに、迷惑を掛けられない。

 ……責任を持って、家を出ようと思った」


「させない」


俺の言葉に、常葉が同じ温度の目でこちらを向いた。


「……片桐の名に、傷がつきますからね」


「そんなことはどうでもいい。

 ……妻と子を、追い出すわけがないだろう」


常葉の手を、上条さんがやさしく包むのが見えた。

息子の隣に、彼がいる。

これ以上の安心はない。


「……青い目なのに、ですか」


びくりと、まどかの肩が揺れる。

俺はそんな彼女を抱き寄せた。


常葉の驚きが、伝わってくる。


この子は、こんなに素直に反応を返してくれることを、初めて知った。


「その目は、俺の血だ」


信じられないというような目で見つめる常葉に、母がため息を吐く。


「……私から言うことでは無いと思っていたけど。

 ……あなたたち、常葉の気持ちを少しも考えてなかったでしょう」


優しいけれど、突き放したような響きの声が、突き刺さる。


「……言わなくても、わかりきってると思ってた。

 ……後ろめたいことがないのはわかりきってるのに、何故そんなにまどかが取り乱すのか、理解できてなかった」


「……切ったときのほうが、面倒なんじゃなかったのかよ……」

俺の言葉に、意味が分からないという風に、常葉が呟いた。


「……ああ、面倒だよ。

 ……もう一回、惚れさせないといけない」


「……常葉。

 あなたは……ちゃんと愛されて、生まれてきたのよ」


「ばあちゃん……」


常葉に真っ直ぐに届くのは、母の言葉のようだった。


「……今更、過ぎんだろ……。

 もう親なんて、どうでもいい」


まどかの震えを受け止めながら、何も返す言葉は浮かばなかった。


「……本当、今更だよねぇ」


くすりと、場違いな明るさを孕んだ、けれどそれだけじゃない声が落ちる。


「……今更だけど。

 ちゃんと向き合えるのは、良いこと、じゃないかな?」


ふわりと常葉に微笑む彼に、赦しをもらったわけではないけれど背中を押されたような気持ちになった。


まどかも同じだった。

一歩、踏み出す。


「……あなたの目が、怖かった」


「……」


常葉は、黙って自分の母を見つめる。

いつの間にか、彼はずっとまどかよりも背が高くなった。


「……あなたの目が、青くなければと何度も思った。

 ……けれど、産まなきゃ良かったとは、一度も思わなかった」


「……それで?」


常葉の表情は揺らがなかった。


「……今日、あなたに会うかもしれないと聞いて、持ってきた」


小さな、缶。


「クッキー?」


「……中身は、食べちゃった」


「おい」


「代わりに、違うものを入れているの」


受け取った缶を常葉が開ける。

中にあるカードを開くと、オルゴールの電子音が響いた。


二十四枚、きっちりと入ったバースデーカードと、母子手帳。


ちらりとだけ、中身を見てから、隣の上条さんにそれを渡した。


「やる」


慌てて受け取る上条さんと、それを笑う常葉の姿に、ほっとした。


まどかが、ぎこちないままにスマートフォンを取り出す。


「……返事は、遅くても良いから。

 メッセージアプリ……交換してもいい……?」

手元がおぼつかないからか、そのまま取り落として派手な音を立てる。

「……ったく、割れてないといいけど」

面倒くさそうにしながらも、ちゃんとスマートフォンを拾って割れていないかを確認しようとする。

その常葉の目が、画面に向いて固まった。

「どうしたの?」

隣の上条さんが不思議そうに覗き込んで、吹き出した。

二人の目は、こちらを向いている。


「……?」


「……親父」


「え、もっとかわいい呼び方が……」


「ふざけんな、お前らいい加減にしろ!」


はぁ、と常葉が震えながら声を絞り出す。


「ふふ、よく言ったわ、常葉。

 でも、ここは病院だから落ち着いて。

 同室の人も、そろそろ戻ってくるかも」

母が楽しそうに笑いながらも、騒ぎ過ぎないように釘を刺す。


まどかの待ち受けは、歌う俺だった。



◇


カツンという軽い音が、一定間隔で廊下に響いていた。

「……お前、知ってただろ」

恨みがましい声になってしまったのは、仕方が無いと思う。

「キョウさんのこと?」

朔が、いたずらっぽい笑みを浮かべて聞き返してくる。

「……なんだよ“キョウ”って」

だいたい想像は付くが、違っていて欲しい。

「左京さんの、バンドやってたときの名前」

見たでしょ?とでも言いたげな目だ。

「……まじか」

母親のスマートフォンの待ち受けが、全力でかっこつけている父親とか、嘘だと言って欲しかった。

俺の中の両親の姿が音を立てて崩れ去り、戻らない。

「ボーカルだったらしいよ?

 作詞作曲、俺だって」

朔の追撃が、痛すぎる。

いや、ロックとかなら、まだ……ギリギリ……。

「“円(まどか)”って名前のラブソン」

「うわあああああ!」

それ以上は聞きたくない。

病院だと言うことも忘れて、少し声が大きくなってしまった。

どうしたの、という周りの目が居たたまれない。

いや、俺が悪いんだが。

違う、父親だ。

悪いのは、俺じゃない。

「……大丈夫?

 よしよし、上条さんが優しく撫でてあげるね」

いつもだったらまぁいいかで撫でられるが、今回はお前も共犯寄りだろ。

じろりと睨むと、まぁまぁと笑われた。

「……本当に、常葉の言うとおり遅すぎるし、取り返せないものもある。

 ……だけど、さ。

 壊れたままより、ずっといいよ」

控えめに服の裾が引っ張られる感覚に、そっと目を細めた。



帰りのタクシーの中で、なんとなく缶を開いた。

中に入っている母子手帳を、開く。

この先手にすることがないだろうそれに、何が書いてあるのかという純粋な興味だった。

適当に開いたページには、出生時の状況が書いてあった。

七月二十五日、俺の誕生日の日付と、夕方の出生時刻。

出生時の体重は、三千グラムにも満たない。

想像よりも長い分娩時間に、ぞっとした。

ページをめくると、日記のような手書きの文字が並んでいた。


妊娠中の記録から、出生後の記録まで。

どのページにも、空白はない。

全て、予想よりもずっときれいな母親の字が並んでいた。


「……不器用すぎんだろ……」

思わず零れた言葉に、朔がくすりと笑う。

「常葉そっくりだよ」

「嬉しくない」



――今日は、初めて一歩が出ました。

 慎重すぎるくらい、慎重な一歩です。

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