第4話 二十四年の空白―今更ですが、伝えます―・上
大切なことは、言葉にしないと伝わらない。
いつから、自分は言葉を怖がったのだろうか。
「まどか」
二十年以上の時間を空けて、やっと自分を見つめてくれた彼女に笑いかけた。
久しぶりに、肩の力が抜けていく。
着物を纏っていなくても、真っ直ぐに伸びた姿勢、凛とした姿で立ち続ける彼女は、心を置き去りにしたように生きていた。
本来の彼女は、情に溢れた優しい母親になれただろう。
それを壊したのは、他ならない俺だった。
常葉の青い目の理由も、彼女の怯えも。
その話題に触れることを医師に止められた。
周りへのポーズとしてのDNA鑑定。
やる前から、結果なんてわかっている。
常葉は、俺の子だ。
彼女が俺以外の男を知るはずもない。
初めて触れたときからわかりきっていた。
それなのに、彼女自身はひどく取り乱した。
鎮静剤が必要なほどの混乱に、彼女の両親も影で泣いていた。
医師は人ごとのように、錯乱がひどいから、その話題に触れないほうがいいとだけ告げた。
その言葉に、従うしか無かった。
いつまでとか、これからとか、何もわからなかった。
彼女をこれ以上壊さないことだけが、俺に求められた役割だった。
愛しているならそっとしてやれと、周りも囁く。
母だけが、大人なのだからあなたたちのことはあなたたちだけで処理をしなさいと告げた。
誰かの言葉に従うのではなく、きちんと向き合いなさいと言われ続ける。
常葉は巻き込むなと言ったときの母の目は、常葉の青い目以上に冷えていた。
まどかの手を引いて、屋敷の中の一室に向かう。
今は入院して持ち主が留守の、母の部屋だった。
「……ここ、お義母様の……」
軽くノックをした後に、扉を開ける。
勝手に入ることに抵抗があるのか、入り口で小さく「失礼します」と告げる彼女は変わってはいなかった。
棚から一冊の本を取り出す。
年季は入っているが、それでもしっかりとした作りで色あせなどはあまり感じない。
「アルバム……?」
「俺の幼いときのやつ」
「こちらは、お義父様……?」
母だけでなく、父に抱かれた写真もある。
父は小学生の時に病気で亡くしたので、当然ながら彼女は会ったことがない。
「……常葉に、似ているだろう」
彼女は肯定も否定もせずに、曖昧に微笑むだけだった。
「……子どもの頃、髪色が……違う……」
二歳、三歳頃の写真を見ながら、彼女がぽつりと口にした。
その言葉は、色々な感情が交ざっていた。
「……せや。
……俺、クォーターなんや。
見ての通り、赤ん坊の頃は金髪に近い。
段々茶色くなって、小学校の頃には黒っぽくなった」
「……そう、なんだ……」
「……母も、子どもの時はそうだったと言っていたな」
彼女はアルバムをじっと見つめる。
めくる手は、小刻みに震えている。
後ろから、そっと抱きしめた。
抵抗は、されなかった。
「……早く、知りたかった」
「……ごめん」
零れた謝罪に、彼女がゆっくりと首を振った。
「……でも、知っていても。
きっとわたしはわたしを許せなかった」
許すって、何をだろうか。
彼女の言葉の意味がわからない。
何を考えても、彼女に非は見つけられなかった。
「何を、そんなに悔いている?」
彼女の、小さな背中が嗚咽するように震えた。
回した腕の力を強めた。
「……わたしは、左京さんを……裏切った」
「そんな事実はない」
俺の言葉に、彼女は首を振る。
「……あの、夏の夜。
わたしは婚約者より……キョウを選んだ」
「どっちも俺だ、問題ない」
彼女は小さく震えながら、何度も首を振る。
「……結果論、はそうかもしれないけど……。
……わたしは、あなたを裏切れる人間だと……気が付いてしまった」
「裏切ってない。
俺が、君を好きだから……まどかの心が欲しくて、口説いただけだ」
別に、同一人物であると隠して近付いたつもりはない。
どっちも俺だし、どちらかと言うとキョウとして振る舞う姿のほうが、素に近かった。
左京としての姿は、着物を纏っているときの彼女と同じ、少し背を伸ばしたものだ。
好きになってくれるのなら、むしろ素に近いキョウを愛してくれたほうが嬉しい。
「……裏切れるわたしを、他ならぬあなたは知ってる……」
何か、大きな勘違いを自分はしていたのだろうか。
見守ることが必要だということは、間違っていた……?
「……俺を、選んでくれたんだよな?」
役割を脱いだ俺の言葉に、まどかの手が回した腕に添えられた。
それを肯定と取って、大きく息を吐いた。
「……素の、演じてない俺を好きになってくれたのが、嬉しかったよ」
子どもの頃の、無邪気に笑う自分を見つめる。
この頃のままの姿で、君は好きになってくれた。
「……まどかは、誰にでも行ける人間じゃない」
腕の中の身体が、小さくよじられこちらを見上げてきた。
しっかりと見つめた彼女の瞳は、薄く涙の膜が張って揺れていた。
「……好きなの、俺だけだろ?」
こくりと頷くのを確認して、顔を寄せた。
久しぶりに触れたそれは、俺がずっと求めていたものだった。
なんで、こんなにすれ違ってしまったのか。
色々と、反省しかない。
ベッドで眠る彼女を抱きしめながら、スマートフォンを操作する。
夫婦の寝室のはずなのに、二十年以上使わなかった部屋。
心を病んだ彼女に休養こそが薬だと言われ続けたが、本当にそうだったのか今は疑わしい。
メッセージアプリを起動して、いぇい!と書いてあるスタンプを押した。
すぐさま、同じようなテンションのスタンプが返ってくる。
Kyo:ついに、やりました
SAKU:何をですか?
Kyo:“ナニ”をです
ショックを受けるようなスタンプの後に、やったね!というスタンプが連続で送られてきて笑った。
SAKU:常葉も、喜ぶと思います
Kyo:いや、たぶん怒るね
SAKU:……否定しないでおきますね
文末に、笑っているスタンプが送られてきて、また笑いが零れた。
「……なに、見てるの」
笑いの気配で目覚めたまどかが、不審そうな顔を向けてくる。
「浮気じゃないよ、ほら」
やりとりの画面を見せると、彼女は静かになる。
そして、ゆっくりと震え始めた。
「……左京、さん……」
「んー?」
「……あなた、常葉の彼女に何言ってるの!?」
怒っているような、慌てているような顔で狼狽える彼女に、本気で笑った。
「上条さん、お話上手でおもろいよ!」
「だからって!」
赤い顔をしながら、まどかがため息を吐いた。
「……やっぱり、若い子が好きなんだわ」
「……いや、そういうわけでは」
ジト目で見つめてくる彼女が、かわいい。
見て見ぬ振りをされていた、目を合わせてもくれなかった頃より、ずっと良かった。
「……今度、会いに行こうよ」
俺の言葉に、彼女が下を向く。
「……きっと、会いたくないわよ。
常葉だって、会わせたくないでしょう」
「……君の態度を考えたら、せやろうなぁ。
まぁ、自業自得だ……嫌われて、そして再構築しよう」
「人ごとと思って!」
誰のせいよ、と怒る彼女を、もう一度捕まえる。
今度は、離さない。
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