第3話 罪と罰、嘘と青・下
何度か来たことのある、うちとは正反対の洋風なお屋敷で、彼の母と向き合う。
「まどかさん、お久しぶりね」
上品に笑うその人に、どう反応するのが正しいのかわからずに、ただ頭を下げて謝った。
「……すみません、でした」
「あら、なんで謝るの」
鈴が鳴るような声で笑われて、釣られるように苦笑いが落ちた。
「そもそも、連れてきたのは左京でしょう?
本当、自由なのよあの子」
はぁ、とため息を零すけれど、そんな息子が可愛くて仕方ないのが伝わってくる。
「……歌っているとき以外は、真面目で真っ直ぐな人だと思っていました」
「それも、間違っていないのよねぇ……。
左京、足して二で割りなさい」
ズバリと言う母親に、彼は静かに首を振る。
「……無理だし。
別に、狙ってやっているわけではない」
キョウと左京が混ざったような言葉なのに、どちらも、にはなっていなかった。
「大変ね、二重人格」
「いや、ちゃうし」
わたしの言葉に、速攻でツッコミ返すのは、キョウだった。
「……エセ関西弁、腹立つから止めなさい」
はぁ、とため息交じりで彼の母が首を振る。
片桐家は、わたしの知っている家とは少し違って、息が出来た。
実家には、彼が母を連れて、頭を下げてくれた。
結婚前に一緒に住みたいと言った彼の言葉に、両親はわたしに妊娠のタイミングだけは間違えるなと念を押したあとは、あまり文句も言わなかった。
片桐家との縁を繋ぐことの方が、大事なのだろう。
だが、その約束もちゃんとは果たされなかった。
同居してすぐに、体調不良からの妊娠がわかった。
幸せだった。
まどか、と彼が名前を呼びながら、生まれてもいない我が子に子守歌を歌う。
大学だけはちゃんと卒業して、結納と式も予定を繰り上げた。
彼は、わたしの実家よりも上の家の生まれでありながら、わたしの両親に頭が上がらない。
申し訳ないような、そんな姿を見るのも楽しいような、そんな気持ちだった。
大学を卒業して、また夏が巡る。
暑い、夏の日に、あの子は生まれた。
生まれた子を抱いた瞬間に、感じたぬくもりと小ささ。
薄く開かれた目を見つめた瞬間、頭が現実を拒否した。
真夏に生まれた我が子は、冬の凍り付いた水のような、冷たさを孕んだ青い目をしていた。
「うそ、違う……!
ありえ、ない……!」
みんなの目が、見れなかった。
看護師が、助産師が、医者が囁く言葉が、わたしを責めていた。
彼は、子どもの目を見つめて、「そうか」とだけ呟いた。
何も、弁解は出来なかった。
ただ、信じて欲しかった。
もしくは、嘘でもいいから「なんで青なんや!」と突っ込んで、笑い飛ばして欲しかった。
わたしの実家は、何事もなかったかのように黙り込んだ。
娘の不貞を、疑ったのだろう。
彼は、名前をどうするか聞いてきた。
我が子を抱きながらも、どこか人形を抱いているような気持ちだった。
「……あなたが、付けて」
「……母さんが、“枯れないように”って意味で、“常葉”はどうかと。
もちろん、俺たちで決めるなら、それが一番だと……言ってる」
常葉、常緑の意味だ。
また、緑色かと……忘れたはずの抹茶の色が蘇った。
「お義母さんが付けて下さったなら……それでいいわ」
名付けに関わると言うことは、この子は片桐家の子であると認めてくれるということなのだろう。
ぽろり、と涙が零れた。
この子が青い目でなければと、何度も思った。
ありのままが、受け入れられなかった。
片桐家の親戚も、わたしの実家も、みんながわたしを疑っている。
彼でさえも、本当はきっと疑っているんだ。
「左京、さん」
「……ベッドで寝ていろ。
……産後の回復が悪いと、医者も言っていた」
彼が、腕から赤子を連れて行く。
不器用でも、抱いてくれることにまた涙が落ちた。
安心したところで、彼が感情のこもらない声で、ぽつりと言った。
「……DNA鑑定を、する」
幸せに見えた抱き上げる姿が、検体採取のためにしか、見えなくなった。
やましいことなんかなかったはずなのに、悲鳴の様な声が漏れた。
看護師から薬を渡されて、ようやく落ち着いたときには、時間の経過があやふやだった。
あの日から、左京さんはわたしの目を見てくれない。
それとも、わたしが彼の顔を見れなくなっただけなのか。
じっとみつめてくる、常葉の目が苦手だった。
あの青い目に、全てを見透かされているような気がした。
あの子自身が、一番わたしを責めている。
親戚の集まりには、わたしも常葉も呼ばれない。
左京さんは、行かなくてもいいと言ってくれた。
片桐家の嫁として必要なときだけ、左京さんに寄り添う。
まるで、添え物のようだった。
人が、恋しかった。
インターネットを介して、初めて顔も知らない他者と知り合った。
そこでわたしは、着物の着付け教室と着物愛好会なんてものを、主催した。
着物は、窮屈で苦しくて、嫌いだったのに。
やってることは、実家で得た知識の披露だった。
着物の選び方、合わせる帯やその結び方、帯留めなど、様々な知識を伝えていく。
今は日本の人だけでなく、海外の人も興味を持ってくれる。
英語も、役に立ってしまった。
いつしか、着物は左京さんの事業の一部となった。
ときどき、面倒くさい男性客から関係を迫られそうになったこともある。
それもあって、気が付いたら自身が関わるのは女性だけにした。
従業員の一人から、そう言えば息子さんが来ていましたよと報告を受けた。
常葉の姿がかっこいいだのなんだの言われていたが、常葉よりもキョウのほうがずっとかっこいいのにと思った自分がおかしかった。
それでも、気が付いたら常葉に電話を掛けていた。
言いたくないのに、口からは意地悪としか思えない言葉が飛び出す。
「あなたねぇ!
いつまで待たせるのよ!」
すぐに出られない事情があるのは承知の上なのに。
左京さんと最近はよく顔を合わせているようなことも聞いた。
彼を、困らせて欲しくはない。
きっと、常葉の青い目は見たくないだろう。
『……すみません、同席者に確認を取っていました』
「言い訳はいらないわよ。
どうせ、あの子でしょ。
あなたの周りに、大した人間なんていないんだから、堂々と電話くらい出なさい」
頭の中に、きれいな女性の姿が思い浮かぶ。
彼女は、美人ではあったが足にハンディを持っていた。
わたしと同じ、人に集らないと生きられない、そんな人間に見えた。
「あなた、お父様の会社に行ったんですって?
“会社の人間”からあなたを見かけたって聞いたんだけど。
また母親に内緒で、何か変なことしているんじゃないでしょうね」
これ以上、左京さんに迷惑を掛けたくはなかった。
常葉が動くことで、彼に今以上に嫌われたくない。
自己保身だった。
「お父様におねだりして、あの子に何か貢ごうとでもしているの?
あなた、昔から宝石みたいなの好きよね」
いつだったか、べたべたの氷砂糖を常葉の机で見つけた。
苦手な虫を連想して、すぐさま捨てた。
「紛い物は、すぐに“アリ”にたかられて……気持ち悪いわ」
わたしも常葉も、そんなアリの一匹だ。
「……うるさい」
静かに、だけどはっきりとした声が響いた。
「は、はぁ!?
あなた、母親に向かって何様の」
『うっせぇって言ってんだよもう掛けてくんな!』
ぶつりと切られた通話に、すぐには反応出来なかった。
しばらく後に、怒りよりも何故か笑いがこみ上げてきた。
とうとう、息子にも完全に切られた。
片桐家の庭園を歩きながら、笑いが止まらない。
笑いは、どんどん乾いて薄くなっていった。
車停めのところに、常葉と左京さんの姿を見つけて、思わず隠れた。
先ほどの電話が無ければ、すぐにでも飛び出していただろう。
いつか見た常葉の彼女が、封筒を握り締めていた。
少し古さを感じる封筒の意味を考えて、首を捻る。
車は、扉が閉まると柱の影をあっさりとすり抜けて、敷地外へと抜けていった。
「……いつかの、DNA鑑定の結果だ」
びくりと、肩が跳ねた。
いつの間にか、柱の向こうに左京さんがいた。
「……気が付いていらっしゃったんですね」
はぁ、と大きなため息が聞こえた。
「……あまり、常葉を怖がるな」
予想外の言葉に、瞬きを何度か繰り返す。
「……わたしが……常葉を?」
左京さんは、無言で頷いた。
「……あの封筒、あの子にあげたの?」
「ああ、上条さんなら、開ける資格がある」
その言葉に、未開封に見えたのは見間違いじゃなかったのかと理解した。
「……あなたも開けられなかったものを、今更あの子に渡すのですね」
結果を見るのに怯えたのだろう、そんな姿を想像するとおかしかった。
泣きたいくらいに。
「開ける必要がなかっただけだ」
言葉には、躊躇いがなかった。
驚いて、彼を見つめる。
「……やっと、こっち向いた」
どこか、いつもの固いしゃべり方と違う、キョウに近いイントネーション。
あの日以来、聞いていなかったもの。
洋風なお屋敷で、ただ一人纏う着物が、ずっと異物だった。
着物を脱いでもなお、帯の感触が消えない。
――今日も、帯は苦しかった。
だから、そっと緩めて貰った。
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