第59話 避難所を直すと言ったら、「俺たちを追い出すのか」と聞かれた第59話
老人の名はガドだった。
片角の折れた山羊系獣人で、第九地下居住区に四十年以上住んでいるという。
「直したあとで、出ていけと言うなら壊れたままで結構だ」
湊は少し考えた。
「出ていってほしいの?」
「逆だ馬鹿者」
レナが横から小声で言う。
「質問の向きが逆」
「なるほど」
「納得する前に会話を戻して」
ガドは怪訝そうに二人を見る。
湊は改めて聞いた。
「ここに住みたい?」
老人の表情が消えた。
「……何を企んでる」
「何も」
「地上の役人はいつもそう言う」
ヴェルナが一歩前へ出る。
角も、魔族特有の瞳も隠していなかった。
「私は魔族だ」
周囲がざわつく。
「人間の役人ではないし、ここの土地を欲しがる氏族の使者でもない。だから少なくとも、その疑いだけは外していい」
ガドが目を細めた。
「魔族が人間領の地下で何をしてる」
「住民としてSanctuaryから来た」
「……住民?」
「そうだ」
ヴェルナは淡々と続ける。
「私の隣の部屋には人間が住み、森には妖精がいて、夜警はアンデッドだ。神まで廊下掃除をしている」
「最後だけ嘘だろ」
「残念ながら事実だ」
湊が補足する。
「箒使えるって言ってた」
「そこを補強するな」
少しだけ、周囲の空気が緩んだ。
ガドはそれでも警戒を解かない。
「何を直すつもりだ」
「まだ決めてない」
「は?」
「困ってるところを聞いてから」
ガドは黙った。
最初に出てきた要望は、水だった。
地下北側の給水管が二年前から不安定で、日に二度しか水が出ない。
湊たちは現場へ向かった。
配管は古かったが、旧SYSTEM系統そのものは生きていた。
問題は後付けされた地上側の流量制限弁だった。
レナが装置を確認する。
「故障じゃない。設定で絞られてる」
「なんで?」
「記録を見る限り、地下人口増加に伴う地上水道への負荷軽減」
ミナがいれば食事や洗濯の話をしただろう。
代わりにルゥが水桶の匂いを嗅ぎ、顔をしかめた。
「昨日の水」
ガドが答える。
「朝に貯めた分だ」
ヴェルナの目が冷える。
「魔族領の捕虜収容所でも、飲料水を政策的に絞るなら最低量は定める」
「比較対象が嫌すぎるな」
レナが言う。
アデルは制限弁の契約番号を確認した。
「市当局の許可なく解除すれば、現在の法体系上は設備毀損と判断される可能性がございます」
湊は弁を見る。
「でも今日の水、足りないよね」
「はい」
「じゃあ一時的に別ルート作る」
壁を壊すのではなく、旧Sanctuary内に残っていた予備水路を清掃し、生活区へつなぐ。
地上設備には触れない。
二時間後。
蛇口から透明な水が流れた。
子どもたちが歓声を上げる。
SYSTEMが表示される。
【生命維持設備:部分改善】
【主要設備稼働率:74%】
しかし。
【SANCTUARY CONDITION:UNFULFILLED】
変わらない。
「設備だけじゃない」
レナが呟いた。
その日の夕方。
地下街の集会所へ呼ばれた。
集まった住民は四十人ほど。
人間、獣人、角の小さな魔族、鱗を持つ亜人。
最初に飛んできた質問は、感謝ではなかった。
「水を直した代わりに何を要求する?」
「要求?」
「家賃か?」
「地上への登録か?」
「子どもを学校へ送る条件か?」
「魔族は退去させるのか?」
湊は答えるより先に、質問の多さに戸惑った。
レナが静かに言う。
「たぶんこの人たち、無料で何かしてもらった経験がほとんどない」
ガドが鼻を鳴らした。
「地上は親切じゃない。親切そうな書類が多いだけだ」
アデルの眉がわずかに動いた。
「その表現は、外交文書を扱う者として否定しづらいですね」
湊は椅子から立った。
「じゃあ、今日は要求しない」
「今日は?」
「明日もたぶんしない」
「たぶん?」
レナが額を押さえる。
「そこは断言して」
「しない」
湊は続けた。
「ただ、ここを直していいかは聞きたい」
住民たちの顔が硬くなる。
「直したら、綺麗になると思う。でも、綺麗になったから地上の人が使いたいって言うかもしれない」
ガドの目が細くなった。
「だから先に決めたい。ここに住んでる人が、ここをどうしたいか」
沈黙。
やがて、奥にいた若い人間の女性が言った。
「そんなこと、聞かれたことない」
SYSTEMは何も表示しなかった。
その夜、湊たちは地下街の空き部屋を借りた。
ルゥが床へ座り、耳を澄ませる。
「みんな話してる」
「何を?」
「ここにいたいか」
湊は天井を見る。
壊れた設備を直すより。
その質問の方が、ずっと時間がかかるらしかった。
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