第36話 外交官が必要だと言われたので、封鎖された客室を片づけることにした
翌朝、湊は《契約殿》へ向かった。
同行者はシエラ、ヴェルナ、レナ、そしてピィ。
フィアも行くと言ったが、古い区画は精霊流が弱いらしく、途中で「空気がまずいの!」と戻った。
道は長かった。
現在使っているSanctuaryのさらに奥。迷宮改変の領域図にも薄くしか映らない区画だ。
何度か崩れた通路を直しながら進むと、巨大な黒い扉へ辿り着いた。
表面には無数の鎖が刻まれている。
実物の鎖ではない。
石そのものが鎖の形に変形し、扉と周囲の壁を一体化させていた。
レナが触れずに観察する。
「これ、封印術式ね。それも何層あるのか分からない」
ヴェルナの顔も険しい。
「魔族領の古文書で似たものを見た。大災害級を閉じ込める時の形式だ」
シエラは黙ったまま剣へ手を置いている。
湊だけが別のところを見ていた。
「この辺、湿気すごいな」
「今そこ?」
レナが振り返る。
「壁、だいぶ傷んでる。あと通路狭い」
「封印を見て」
「見てるよ。壁と一体化してるから、壁直したらまずい?」
全員が止まった。
ヴェルナがゆっくり言う。
「普通は、封印へ迷宮改変を使う発想自体がない」
「でもここ、俺の領域なんだよな」
SYSTEMを開く。
【旧管理領域を検出】
【現領域管理者権限との競合あり】
【再編成には高額SPを消費します】
湊は残量を見る。
最近、住人同士のSPが増えたおかげでかなり貯まっていた。
「できるみたい」
「待ちなさい」
レナが手を上げた。
「中に何がいるか分からないのよ」
「いるの?」
「だから封印されてるんでしょう!」
もっともだった。
湊は扉の前へしゃがみ込んだ。
領域図を細かく見る。
封印区画の内部には、奇妙な反応が一つあった。
生命反応ではない。
魂魄反応とも違う。
SYSTEMは分類を迷った末に、こう表示した。
【旧権限個体:一】
【状態:拘束】
「旧権限個体?」
シエラが息を呑む。
「古代の管理者かもしれぬ」
さらに確認すると、内部はひどい状態だった。
家具らしきものは朽ち、床は割れ、魔力配管は停止。湿気が溜まり、空気循環もない。
湊は眉を寄せた。
「これ、何千年閉じ込めてるの」
「少なくとも私より古い」
「ひどい部屋だな」
レナが嫌な顔をした。
「その感想から何をするつもり?」
「直す」
「封印を?」
「部屋を」
誰も返事をしなかった。
湊は【迷宮改変】を起動した。
まず換気。
次に排水。
床を補修。
壁のひびを埋める。
古い魔力配管を現行の領域循環へ接続する。
使えない家具は撤去し、新しい寝台と机を配置する。
「……客室みたいになってきたな」
「湊」
レナの声が低い。
「うん?」
「鎖、減ってる」
見ると、壁と一体化していた封印鎖の一部が消えていた。
正確には、迷宮改変が『構造上不要な異物』として整理している。
「邪魔だったからかな」
「止めなさい!」
だが、その瞬間。
扉の向こうで何かが動いた。
何千年も止まっていたものが、初めて呼吸したような気配だった。
黒い扉の中央に細い亀裂が走る。
そして、内部から低く穏やかな男の声が響いた。
『……これは、興味深い』
シエラが剣を抜く。
ヴェルナの魔力が膨らむ。
レナも身構えた。
湊は扉を見上げた。
『我が牢獄を破る者は、数千年の間に幾人もいた』
声は続く。
『だが――我が牢獄を掃除し、寝台を新調した者は、貴殿が初めてだ』
湊は少し考えた。
「ベッド、硬かった?」
扉の向こうで、長い沈黙があった。
やがて。
『……貴殿。名は?』
「湊」
『そうか』
石の鎖が、一つずつ音を立てて崩れ始めた。
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