第23話 妖精が植えた一本の木で、魔王城に森ができた

朝、湊は床から突き出している根を見て、しばらく黙った。


昨日までは、確かに小さな芽だった。


精霊樹の幼木。


そうフィアが呼んだそれは、一晩で幼木という言葉を使っていい大きさではなくなっていた。


「……天井、足りなくない?」


「足りないの!」


精霊樹の枝先で、フィアが腕を組んで威張っている。


「いや、威張るところじゃないだろ」


「精霊樹が元気なのはいいことなの!」


幹は湊の胴ほど太く、枝葉は地下泉の上へ大きく広がっていた。淡い緑の光を帯びた葉が、石造りだった区画全体に柔らかな明るさを落としている。


綺麗ではある。


ただし、このまま伸びれば天井へ突き刺さる。


「じゃあ、上を広げるか」


「軽いの!?」


「ぶつかるよりいいだろ」


【迷宮改変】を開く。


岩盤の厚みを確認し、上層の通路と干渉しない範囲だけ天井を持ち上げる。根が広がっている場所も、周囲の床を少し柔らかな土へ組み替えた。


その間、フィアは枝から枝へ飛び回りながら指示を出す。


「そこ固すぎるの!」


「この辺?」


「もうちょっと右!」


「右って俺から見て?」


「フィアから見てなの!」


「分かりにくいな」


レナが少し離れたところで腕を組んでいた。


「よくそれで昨日、水脈直せたわね」


「半分くらい勘だった」


「言うななの!」


ミナは新しくできた土の区画へしゃがみ込み、指で表面を確かめている。


「この土なら、薬草も育ちそうです」


「食べられるものも?」


「まず薬草の話をしてください」


「食料も大事だろ」


「それはそうですけど」


その横でルゥが鼻を動かした。


「……昨日と匂いが違う」


「悪い?」


「ううん。土と、水と……森の匂い」


尻尾がわずかに揺れている。


湊にはそれだけで、少なくとも嫌ではないらしいと分かった。


入口近くでは、ミノタウロスが巨大なじょうろ代わりの桶を持って立っている。


誰が頼んだわけでもない。


ただ、フィアが「あっち乾いてるの!」と叫ぶたび、黙って水を運んでいる。


「なんか、だいぶ住人っぽくなってきたな」


「最初から住人でしょ」


レナに言われ、湊は少し考えた。


「そうなのか?」


「今そこから疑う?」


精霊樹の根元で、フィアが急に静かになった。


湊が見ると、小さな手を幹へ当てている。


昨日までの騒がしさが嘘みたいに、真剣な顔だった。


「どうした?」


「……根付いてるの」


「うん」


「ちゃんと、この土地を飲んでるの」


「水あるしな」


「そういう意味じゃないの!」


フィアが振り返って怒鳴る。


だが、すぐにまた幹へ向き直った。


「精霊樹はね、嫌な場所には根を張らないの」


「へえ」


「妖精がその場所を自分の領域だって認めないと、こんなふうに育たないの」


そこでフィアは口を閉じた。


言ってから気づいたらしい。


レナの眉が少し上がる。


ミナは何も言わず微笑んだ。


ルゥは露骨にフィアを見た。


「……何なの」


「別に」


「絶対なんかなの!」


「つまり、ここ気に入ったってこと?」


湊が聞いた。


フィアの顔が一気に赤くなる。


「違うの!」


「違うんだ」


「ここが精霊樹に向いてただけなの!」


「じゃあ、木ごと別の場所に移したいなら手伝うけど」


湊は本気で言った。


妖精が本当にここへ住みたいのか、まだ分からない。


嫌なら無理に残す理由もない。


迷宮改変なら、根を傷つけないよう土ごと移設する方法も考えられる。


その瞬間。


「ダメなの!!」


フィアが叫んだ。


地下泉の水面が震えるほどの声だった。


「これはここに置くの!」


「うん」


「フィアの木なの!」


「そうだな」


「だから、ここにあるの!」


「分かった」


「……何なの、その顔」


「普通だけど」


「なんか腹立つの!」


フィアは翼を激しく動かし、精霊樹の枝へ飛び上がった。


その直後。


湊の視界にSYSTEM通知が浮かぶ。


【領域への自発的定着を確認】


【相互信頼の深化を確認】


【SP+112】


「……多いな」


「また?」


レナが覗き込む。


「うん。フィアが木を置くって言った瞬間」


「だから、フィアのせいみたいに言うななの!」


枝の上から怒鳴り声が降ってきた。


湊は数字を見つめた。


救助しただけでは、ここまで増えない。


能力を使ってもらっただけでも違う。


ミナが自分から残ると決めたとき。


レナが「ここに残りたい」と言ったとき。


ルゥが「帰ってきてもいい?」と聞いたとき。


そして今、フィアが精霊樹をここに根付かせると選んだとき。


「やっぱり……人数じゃないんだよな」


「何が?」


ミナが聞く。


「SP。仲間が増えたら増えるっていうより……本人がここを選んだときの方が大きい」


レナが少し考える。


「選んだ、ね」


「まだ分からないけど」


「少なくとも、従わせた人数ではなさそうね」


「それは最初から違うと思う」


湊が即答すると、レナは少しだけ笑った。


「あなたならそう言うと思った」


数日後。


地下泉の周囲は、完全に別の場所になっていた。


精霊樹を中心に苔が広がり、小さな草花が芽吹く。


フィアがどこから持ってきたのか分からない種を植え、ミナが食用と薬用に区画を分けた。


ルゥは森の匂いを利用した外周警戒の目印を作り、レナの訓練区画には柔らかな蔓植物が緩衝材として使われ始めた。


ミノタウロス用には、大きな木陰までできている。


ピィは一番楽しそうだった。


枝から枝へ飛び移ろうとして失敗し、フィアに何度も怒られている。


「ピィ!」


「そこフィアの寝床なの!」


「ピィ♪」


「聞いてないのー!」


湊は少し離れた場所から、その光景を眺めた。


石と岩だけだった最深部に、緑がある。


水の音がする。


食べられるものが育ち始めている。


住人が勝手に役割を見つけ、勝手に場所を使い始めている。


最初は、自分とピィが死なないために作った部屋だった。


今はもう、それだけではない。


「家の中に庭ができたね」


「庭じゃないの!」


即座にフィアが飛んできた。


「森なの!」


「地下だぞ」


「地下でも森は森なの!」


「じゃあ地下の森」


「最初からそう言うの!」


湊が笑う。


その夜。


新しくできた地下森林は、静かだった。


精霊樹の葉が淡く光り、泉の水音だけが響いている。


湊が消灯前の見回りをしていると、森の奥から声が聞こえた。


最初は、フィアが歌っているのかと思った。


だが違う。


もっと低い。


古い言葉で紡がれた、女性の歌声。


フィアが湊の肩近くまで飛んできて、珍しく何も言わず森の奥を見つめた。


「フィア?」


「……あれ、妖精の歌じゃないの」


ルゥも足音なく近づいてくる。


耳がぴんと森の奥へ向いていた。


「生きてる匂い、しない」


歌声は、さらに奥から続いている。


そこはまだ、湊が一度も改変していない古い区画だった。


湊は領域図を開いた。


精霊樹の根が伸びたことで、これまで反応のなかった区画との境界が薄くなっている。


その向こうに、ひとつだけ表示が浮かんだ。


【未登録存在】


【生命反応:検出不能】


【魂魄反応:あり】


湊は数秒見つめた。


「……生命反応なしで、魂はあるのか」


フィアの顔から、いつもの生意気さが消えていた。


「これ、たぶん……死んでる人なの」


森の奥から、古い歌がまた聞こえた。

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