第20話 魔王城で、パンと靴下だけが消える
最初に消えたのは、パンだった。
ミナが焼いた小さな丸パンが一つ。
次に消えたのはスプーン。
その次は、湊の靴下の片方。
そして今朝。
「……ピィの羽根までなくなったのか」
「ピィィ!」
食堂の長机の上で、ピィが珍しく本気で怒っていた。
抜け落ちた赤い羽根を、ピィは自分なりに気に入っていたらしい。昨日まで棚の隅に置いてあったものが、きれいさっぱり消えている。
ミナは腕を組み、真剣な顔で言った。
「これは盗難です」
「パン一個と靴下片方を盗む泥棒っているのか?」
「そこなんですよね……」
レナは湯気の立つカップを持ったまま、淡々と視線を上げる。
「目的が分からない方が、むしろ気味が悪い」
ルゥは椅子から立ち、鼻を動かしていた。獣耳が小さく方向を変える。
「人間の匂いじゃない」
「魔物?」
「それも違う。もっと……軽い。草と花の匂いが混じってる」
入口脇に立っていたミノタウロスが、低く鼻を鳴らした。
湊は消えた物を指で数える。
パン。
スプーン。
靴下。
赤い羽根。
「高いもの一個もないな」
「問題そこ?」
レナに言われて、湊は首を傾げる。
「いや、盗むならもっと他にあるだろ。薬とか魔石とか」
「普通はそうね」
「靴下片方、何に使うんだろうな」
「それを真顔で考えないでください」
ミナが少し困ったように笑った。
その日の昼から、住人たちは犯人探しを始めた。
ルゥが臭いを追う。
レナは、災厄共鳴による偶発的な紛失ではないかと自分の能力まで疑ったが、今回は何の反応もなかった。
ミノタウロスは外周を一周し、侵入者の痕跡がないことを確認した。
「外から入ったんじゃないなら、最初から中にいる?」
湊の言葉に、ルゥの耳がぴくりと動いた。
「たぶん」
食堂から収納区画へ続く壁際で、ルゥがしゃがみ込む。
「ここ」
石床の上に、ほとんど見えないほど小さな足跡が残っていた。
人間の指先より小さい。
さらにその先には、淡い黄色の粉が点々と続いている。
ミナが指先ですくう。
「花粉……?」
「ダンジョン九十八階層に?」
レナの声にも、さすがに疑問が混じった。
足跡は壁の細い隙間で途切れていた。
湊が覗き込む。
「この奥、空洞あるな」
【迷宮改変】を開くと、壁の向こうに人ひとりも入れない細い自然亀裂が続いていることが分かった。
「小さい何かなら通れそうだ」
ミナが少し考えてから言った。
「捕獲罠、作りますか?」
「罠?」
「怪我しないものです。食べ物を置いて、入ったら扉が閉まる程度の」
「うーん」
湊は壁の隙間を見る。
「住んでるなら、部屋作った方が早くない?」
全員が黙った。
レナが最初に口を開く。
「まだ盗人かもしれないのよ」
「でも、パン一個だぞ」
「靴下も盗られてる」
「だから余計に腹減ってるか、巣作りしてるんじゃないかな」
ルゥの尻尾が少しだけ揺れた。
「……湊なら、そうすると思った」
「何が?」
「なんでもない」
その日の午後。
湊は本当に、小さな部屋を作った。
と言っても、人間用ではない。
壁の隙間に接する一角へ、手のひら二つ分ほどの空間を拡張し、そこへ小さな木製ベッドを置く。
机。
椅子。
小さなカップ。
さらにパンを一切れ。
「……本気なんですね」
ミナがしゃがみ込み、完成した小部屋を覗く。
「小さい相手なら、このくらいじゃない?」
「妙に出来がいい」
レナも膝を折って見ている。
「昔、荷物の緩衝材を細工すること多かったから」
「そこで培う技術じゃないでしょ、それ」
ピィだけは不満そうだった。
「ピィ」
「羽根返してほしいのか」
「ピィ!」
「じゃあ、羽根置き場も作るか」
「違うと思います」
夜。
誰も小部屋を見張らなかった。
湊がそう決めたからだ。
「見張られたら寝づらいだろ」
翌朝。
小さなベッドの布が、明らかに乱れていた。
パンもなくなっている。
そして机の上に、小さな木片が一枚置かれていた。
そこには、針で引っかいたような文字でこう書いてあった。
【住んでない】
湊はしばらく木片を見つめた。
「……字、書けるんだな」
「そこですか?」
ミナが笑いを堪える。
ルゥの尻尾が小さく揺れた。
レナは木片を持ち上げ、淡々と言う。
「少なくとも、今夜も来るでしょうね」
「じゃあカップもう一個作っとくか」
「なぜ増やすの」
「一個割れたら困るだろ」
その夜、またパンが一つ消えた。
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