第16話 血の跡を辿ったら、獣耳の少女に短剣を向けられた

レナがSanctuaryに残ると決めた翌朝、外周通路の端で、ミノタウロスが低く鼻を鳴らした。


湊は足を止める。


「どうした?」


返事の代わりに、巨体が床を指した。


岩肌に、赤黒い点がいくつも続いている。


血だった。


「新しいな」


レナがしゃがみ込み、指先を近づける。


「乾ききってない。そんなに遠くないわ」


「ピィ」


肩の上のピィも落ち着かない様子で羽を揺らした。


湊は領域図を開いたが、人間反応は出ていない。


「人じゃないのか」


その言葉に、レナが横目を向けた。


「それで引き返す?」


「怪我してるなら見るだけ見る」


あまりに普通の返事だったので、レナは何も言わなかった。


血痕を辿る。


途中から、かすかな獣臭が混じり始めた。


ミノタウロスが一度だけ立ち止まり、奥を警戒する。


「いるな」


湊が声を落とした直後だった。


風を裂く音。


短剣が、湊の頬の横を通り過ぎて壁へ突き刺さった。


「近づくな!」


少女の声だった。


崩れた岩陰に、一人の獣人がいた。


灰褐色の髪。その間から立つ三角の耳。細い身体の後ろでは、同じ色の尻尾が強く床を叩いている。


だが、可愛らしいという印象より先に、湊の目に入ったのは左脚だった。


ひどく腫れている。


脇腹にも血が滲んでいた。


少女は二本目の短剣を握っているが、腕が震えている。


「来るな。人間なんか信用しない」


「うん」


湊はその場で止まった。


少女の耳がぴくりと動く。


「……何が、うんだ」


「近づくなって言われたから」


「……」


レナが小さく息を吐いた。


「湊。たぶん、そういう素直さを求めてるわけじゃないと思う」


「でも近づいたら刺されるだろ」


「それはそう」


獣人の少女は困惑したように二人を見比べた。


湊はしゃがみ込み、距離を保ったまま尋ねる。


「その脚じゃ走れないよね」


少女の尻尾が膨らんだ。


「耳とか尻尾のことは聞かないのか」


「見れば分かるし」


「……獣人だぞ」


「そうみたいだな」


「人間は、もっと……」


言葉が途切れる。


何を言いたかったのか、湊には分からない。


「傷だけ見てもいい?」


「断る」


「じゃあ薬置いとく」


湊は救急袋から消毒薬と布を取り出し、床へ置いた。


それから数歩下がる。


「自分でできるなら使って。無理なら呼んで」


「……代金は」


「いらない」


「契約は」


「何の?」


少女の耳が完全に止まった。


レナが腕を組む。


「その反応、私もしたわ」


「レナも?」


「あなた、自覚ないの?」


「何が?」


「もういい」


しばらく沈黙が続いた。


やがて少女は短剣を下ろし、薬へ手を伸ばした。


だが左脚へ触れた瞬間、顔を歪める。


湊は見ていた。


「それ、骨は折れてないけど腱痛めてるかも」


「分かるのか」


「荷物持ちって怪我人も運ぶから」


「荷物持ち?」


「前の仕事」


意味が分からないという顔をされた。


結局、少女は十分ほど迷った末、治療だけは受け入れた。


名前はルゥ。


それ以上はほとんど話さなかった。


ただ、服の内側からのぞいた契約紋と、手首に巻かれた旧式の企業管理端末を見れば、事情の一部は想像できた。


「これ、探索者企業の契約端末だよな」


ルゥの耳が伏せる。


「見るな」


「分かった」


湊は本当に見なかった。


そのことの方が、ルゥには不気味だったらしい。


「聞かないのか」


「話したくなったら聞く」


「……馬鹿なのか」


「よく言われる」


「言われるのね」


レナが小さく笑った。


治療を終えた頃には、ルゥの警戒は消えていなかったが、短剣だけは鞘に戻っていた。


「一晩だけなら」


ルゥが言う。


「歩けるようになるまでだ。それ以上は世話にならない」


「うん」


「働けと言われても、今は無理だ」


「怪我してるからな」


「……治ったら?」


「治ってから考えれば?」


また理解不能という顔をされた。


Sanctuaryへ戻ると、ルゥは部屋へ入る前に窓を見た。


扉を見る。


換気口を見る。


廊下の曲がり角まで確認し、最後に非常口の方向まで聞いた。


「こっちは行き止まり?」


「今は。でも壁は動かせる」


「外へ出られる道は」


「作れるよ」


ルゥは部屋へ入った。


それでも背中は壁から離れなかった。


その夜。


SYSTEMに小さな表示が出る。


【SP+4】


湊は数字を見て首を傾げた。


少ない。


ミナやレナが残ると決めたときとは、まるで違う。


「助けただけじゃ、そんなに増えないんだな」


まだ、理由は分からない。


ただ一つだけ。


人間でなくても増えることは、もう疑う必要がなくなっていた。

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