第9話 この部屋、もう少し広くできそうだ
湊が増築を決めた理由は、壮大なものではなかった。
朝、扉を開けると、昨日手当てしたミノタウロスが入口脇に立っていた。帰る気配はなく、外周通路を勝手に巡回している。
「……まだいるんだよな」
「ピィ」
ピィは少し不満そうに鳴いた。
巨体が通るたび、今の通路では角や肩が壁に当たりそうになる。それに、物資も床へ置きっぱなしだ。
「荷物、床に置きっぱなしなの嫌なんだよな。通路も、もう少し広い方がいいか」
ただそれだけだった。
回収した素材。
残った携帯食。
救急用品。
壊れた装備。
今は壁際へ種類ごとに並べているが、荷物持ちとして長く働いてきた湊にはどうにも落ち着かない。
「物置一個あれば十分か。あと、あいつが通れる幅もいるな」
【増築:30SP】を取得する。
【迷宮改変Ⅰと連携】
【居住構造テンプレートを表示します】
視界いっぱいに候補が並んだ。
【収納区画】
【寝室】
【厨房】
【浴場】
【共同居住区】
【公共区画】
【医療区画】
【教育区画】
【――権限不足】
「……物置だけでいいんだけど」
とりあえず収納区画を選択する。
壁が奥へ下がり、六畳ほどの新しい空間ができた。
棚まで自動生成される。
「おお」
これは素直に嬉しい。
勢いで【整理整頓:8SP】も取った。
取得した瞬間、部屋中の物資へ小さな表示が浮かぶ。
【食料:2日分】
【飲料水:水脈確保済】
【医療用品:不足】
【装備:破損率37%】
【素材:分類可能】
「これ……すごく欲しかったやつだ」
湊は思わず呟いた。
ASTRAにいた頃、物資管理は全部手作業だった。誰が何本回復薬を使ったか、予備武器がどこにあるか、食料が何日分残っているか。頭の中と端末の表を照らし合わせ、毎晩確認していた。
この能力があれば、あの作業はほとんど不要だっただろう。
「今さらだけどな」
少しだけ胸の奥が痛んだ。
けれど、そこで止める。
もうASTRAの荷物を整理する必要はない。
今整理するのは、自分とピィの物――そして、入口に居着いた大きな客が邪魔をせず歩ける場所だけだ。
「こっちの方が楽だな」
「ピィ!」
整理整頓を使うと、素材や道具が用途別に棚へ収まった。
床が一気に広くなる。
ついでに外周へ続く通路も少し広げる。ミノタウロスが試すように通り抜け、今度は角も肩も壁に当たらなかった。
「これならいいか」
巨体が一度だけ静かに頭を下げた。
それを見た湊は、欲が出た。
「寝る場所も分けるか」
増築で小さな寝室を作る。
石の床では身体が痛いので、地面を少し柔らかい鉱土へ組み替え、その上に手持ちのシートを敷いた。
次に厨房候補。
今は食料がほとんどないので最低限の調理台だけ。
最後に目が止まったのが浴場だった。
「風呂……作れるのか?」
地下水脈の位置と地熱反応が自動表示される。
【温水生成可能】
「作ろう」
判断は早かった。
数分後。
岩に囲まれた小さな浴槽へ、湯気の立つ湯が流れ込んでいた。
「これはいいな」
ピィは湯気を見た瞬間、肩の後ろへ隠れた。
「大丈夫だぞ」
「ピィ……」
湊が先に手を入れる。
熱すぎない。
身体を洗ってから湯へ入ると、傷の痛みがゆっくり抜けていった。
「はあ……」
追放されてから初めて、心の底から力が抜けた。
ピィは浴槽の縁から覗き込んでいたが、やがて恐る恐る近づいてくる。
湊が手ですくった湯を見せると、嘴をつけた。
「飲むんじゃないぞ」
数分後には、湯のそばの温かい岩場で丸くなっていた。
「気に入ってるじゃないか」
「ピィ♪」
風呂から上がった湊は、新しくなった生活区画を見回した。
寝室。
収納庫。
簡易厨房。
浴場。
水場。
絶対に壊れないらしい扉。
二日前まで、ここは冷たいだけのダンジョンだった。
今は少なくとも、帰ってきて休める場所になっている。
しかも入口には、昨日まで敵だと思っていたミノタウロスまでいる。湊にはまだ、それを仲間と呼んでいいのか分からない。ただ、追い出す理由もなかった。
「ここ、悪くないな」
その言葉を口にした瞬間、湊自身が少し驚いた。
自分の居場所について、そんなふうに思ったことがあっただろうか。
ピィが肩へ飛び乗る――まだ本格的には飛べないので、棚を足場にしてよじ登ってきた。
「お前もそう思う?」
「ピィ!」
湊は笑った。
その夜、簡易端末を充電しようとして、ふと通信表示に目が止まった。
《奈落》第九十八階層。
通常なら通信中継ビーコンの電波もぎりぎり届くかどうかの場所だ。
なのに。
アンテナ表示は最大だった。
「……配信、まだ繋がるのか?」
何気なく呟いたその一言が、地上をひっくり返すことになる。
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