第8話 追い返したボスが、翌朝また来た
翌朝、湊が扉を開けると、昨日追い返したはずのミノタウロスが座っていた。
「……なんでいるんだ?」
「ピィッ」
肩の上でピィが羽を膨らませる。
間違いない。昨日、扉の向こうから何度も体当たりしてきた深層の大型個体だ。探索者向けの識別表示も、相変わらず穏やかではない。
【深層危険指定個体】
【討伐推奨】
「討伐推奨って言われてもな」
昨日とは様子が違う。
立ち上がろうともしない。武器代わりの巨大な斧も床へ置いたままだ。荒い呼吸を繰り返しながら、ただ扉の前に座っている。
湊はすぐには扉を開けず、しばらく観察した。
そこで気づく。
「脚、怪我してるのか」
右脚の外側に大きな裂傷がある。昨日の体当たりでできた傷ではない。もっと古い。周囲の皮膚は黒ずみ、わずかに瘴気まで滲んでいた。
ピィも気づいたらしい。警戒したまま首を伸ばしている。
「ピィ。嫌ならすぐ閉めるからな」
「ピィ……」
領域設定を開く。
【対象個体への一時入域を許可しますか?】
「一匹だけ。俺が許可した範囲まで」
【承認】
石扉を開く。
ミノタウロスは飛び込んでこなかった。
ゆっくり立ち上がり、傷ついた脚を庇いながら一歩だけ中へ入る。そして湊の数メートル手前で座った。
「……話は通じてるのか?」
返事はない。
ただ、襲ってくる気もないらしい。
湊はしゃがみ込み、傷を見る。
近くで見るとかなりひどい。傷口そのものより、周囲にこびりついた黒い汚れと瘴気が問題だった。
「これなら掃除できるか?」
【お掃除】を発動する。
淡い光が傷の周囲を走った。
血までは消えない。裂けた肉も塞がらない。
だが、腐敗しかけた汚れと瘴気だけが剥がれ落ちるように消えていった。
ミノタウロスの肩がびくりと動く。
「傷そのものは治らないな。まあ、そうだよな。掃除だし」
残っていた消毒薬を使い、布を巻こうとする。
足りない。
「でかいな……」
ASTRAで荷物持ちをしていた頃の癖で残していた予備布を取り出す。一本では届かないので何枚か繋ぎ、縄でずれないよう固定する。
探索中、壊れた荷物を縛るために何度もやった方法だった。
「こんなところで役に立つとはな」
作業が終わっても、ミノタウロスは暴れなかった。
むしろ、自分の脚に巻かれた布を不思議そうに見ている。
ピィが湊の肩から睨む。
「取るなよ。薬もうほとんどないから」
意味が通じたのかは分からない。
だがミノタウロスは布へ触れず、低く鼻を鳴らした。
その音を聞いた瞬間、湊の腹も鳴った。
「……飯にするか」
手持ちの保存食は残り少ない。
それでも栄養バーを一本取り出し、三つに割る。
自分。
ピィ。
そして、巨大なミノタウロス。
どう考えても配分がおかしい。
「お前、その身体でこれ一個じゃ足りないよな」
ミノタウロスは黙っている。
「まあ、ないものはない」
一欠片を差し出した。
すぐには取らなかった。
大きな目が、湊を見る。
次にピィを見る。
最後にもう一度、湊を見る。
「毒なんか入れてないぞ。俺も食うし」
湊が自分の分を齧る。
それを見てから、ようやく太い指が保存食を摘まんだ。
一口だった。
「だよな」
「ピィ」
ピィが自分の欠片を翼で隠した。
「取られないって」
食べ終わったあと、湊は扉の外を指した。
「別に住めとは言ってないぞ」
ミノタウロスがこちらを見る。
「怪我が落ち着いたら好きにしろ。帰る場所があるなら帰ればいいし」
契約も命令も必要ない。
昨日まで敵だったからといって、今日も敵でなければならない理由も湊にはよく分からなかった。
ミノタウロスはしばらく動かなかった。
やがて、大きな頭をゆっくり下げた。
「……それ、返事でいいのか?」
「ピィ」
ピィにも分からないらしい。
その日は、それで終わった。
湊は生活区画へ戻り、ミノタウロスには入口近くの空いた場所を使わせた。扉は閉めなかった。領域権限で、許可した個体以外は入れないからだ。
夜。
寝る前にSYSTEMを確認した湊は、見慣れない通知に気づいた。
【相互信頼の成立を確認】
【SP+25】
「……は?」
思わず起き上がる。
肩の横で眠っていたピィが目を開けた。
「ピィ……?」
「いや。ポイント増えてる」
昨日まで、SPが増えた原因として思い当たるのはピィだった。
だが今日は違う。
新しく何かを助けたとすれば、一匹しかいない。
湊は領域図を見る。
入口近くに、大きな生命反応が一つ。
「……鳥じゃなくても増えるのか?」
SYSTEMは答えない。
ただ、SPの数字だけが確かに増えている。
翌朝。
湊が扉を開けると、ミノタウロスはもう座っていなかった。
「帰ったか」
そう思った直後、通路の奥から足音がした。
巨体が戻ってくる。
昨日置いていた斧を肩に担ぎ、外周通路を一周してきたらしい。
湊の前まで来ると、ミノタウロスは入口の外を指さした。
そしてまた歩き出す。
「……もしかして」
湊は首を傾げた。
「警備してくれてる?」
ミノタウロスは振り返らない。
「ピィ」
ピィだけが、少し不満そうに鳴いた。
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