第4話 最深部で、壁を一枚動かしただけなのに

湊は、壁を少しだけ動かすつもりだった。


寝るときに背中を預けられる場所が欲しい。それだけだ。


【壁面を移動しますか?】


「じゃあ……二メートルくらい向こうへ」


【承認】


次の瞬間。


目の前にあった高さ五メートル以上の岩壁が、音もなく横へ滑った。


轟音も振動もない。


巨大な岩が、家具でも移動させるような気軽さで数メートル動き、その向こうに何もなかった空間が現れた。


湊はしばらく口を開けたまま眺めた。


「……便利だな」


「ピィ……」


肩の小鳥の鳴き声が、呆れているように聞こえた。


ともかく、使えるなら使う。


湊はまず安全な寝床を作ることにした。


床へ意識を向ける。


【構造解析を実行】


【崩落危険箇所:3】


【魔力脈干渉箇所:1】


【推奨補強を実行しますか?】


「お願いします」


思わず敬語になった。


岩盤が静かに組み替わり、亀裂が閉じる。天井から突き出ていた危険な岩も消えた。


続いて床を平らにする。


凹凸だらけだった地面が、数秒で寝転がれるほど平坦になった。


「ASTRAの野営地作りより百倍楽だな」


以前なら、休憩のたびに石をどかし、防水シートを敷き、テントを固定していた。それを全員分やってから自分の場所を作っていたので、湊が眠るのはいつも最後だった。


今は、自分と一羽分だけでいい。


それだけで不思議なほど気楽だった。


壁を厚くし、入口を一つだけ残す。


「扉も作れるのか?」


【開閉構造を生成可能】


「じゃあ頼む」


壁の一部が盛り上がり、簡素な石の扉になった。


鍵はない。


それでも丸見えの通路よりずっといい。


「これで寝られるな」


「ピィ!」


小鳥も気に入ったらしく、平らになった床をちょこちょこ歩き回った。


ただし、能力は完全な万能ではなかった。


試しに遠くの通路を編集しようとすると、表示が赤くなる。


【認識範囲外】


さらに階層全体を動かそうと考えただけで、必要エネルギー量が異常な数字になった。


生き物を対象に指定しようとしても、


【生命構造への直接編集権限はありません】


と拒否された。


「まあ、それくらいでいいか」


人間や魔物まで好き勝手に編集できたら、さすがに怖い。


次に必要なのは水だった。


残った水筒はほとんど空だ。


湊が壁へ触れると、周囲の構造図が表示された。その中に青い筋が走っている。


【地下水脈を検出】


「……水まで分かるのか」


水脈を傷つけないよう細い経路を指定する。


壁の一角に小さな穴が開き、そこから透明な水が流れ出した。


湊は手ですくって鑑定する。


毒性なし。


魔力汚染もなし。


「助かった」


小さな窪みを作って水を溜める。


まず小鳥をそこへ連れていった。


「お前、煤だらけだから洗うぞ」


「ピィ!?」


逃げようとしたが、飛べないので二歩で捕まった。


「大丈夫だって」


ぬるくもない地下水なので、布を濡らして身体を拭く程度にする。


煤と血が落ちると、羽毛の下から鮮やかな赤色が少し見えた。


「綺麗な色だったんだな」


「ピィ♪」


褒められたのが分かったのか、胸を張る。


湊自身も傷口を洗い、顔と腕についた血や埃を落とした。


身体が少し軽くなった気がする。


作った部屋を見回す。


平らな寝床。


厚い壁。


石の扉。


水場。


簡単な棚まで作ってみた。


豪華さとは無縁だ。


それでも、自分のためだけに用意された場所は、湊にとって妙に新鮮だった。


「今まで泊まった宿より落ち着くかもな」


自分で言ってから、少し可笑しくなった。


国内最高峰パーティーASTRAの遠征では、高級ホテルにも何度も泊まった。


だが、そこでも湊は荷物整理や翌日の準備をしていた。


ここでは誰にも呼ばれない。


小鳥が肩から床へ降り、湊の足元で丸くなる。


湊も壁にもたれた。


視界の片隅で、スキル表示がわずかに変化する。


【土木作業】


《迷宮改変Ⅰ》


「名前変わってるな」


まあ、使えるなら何でもいい。


そう思って目を閉じようとしたときだった。


ドン。


遠くで、何か重いものが地面を踏んだ。


ドン。


今度は近い。


湊が目を開ける。


小鳥も起き上がった。


ドン。


石の扉の向こうから、獣臭い気配が近づいてくる。


「……休ませてくれないか」


湊が立ち上がるより早く、小鳥が彼の前へ出た。

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