第6話

「誰か!誰かぁぁぁあ!」


 私の叫び声に、使用人達が駆けこんでくる。

状況を理解したメイドや使用人が、慌ててレオンを天井から降ろす。


 ナイフを持った使用人がロープを切り、

レオンは力の抜けた人形のように床に寝かされていく。


 やがてレオンの部屋に、何人もの宮廷医師が駆け込んでいく。


 私はメイドに連れられ、別室に向かう最中、

その様子をずっと見つめていた。


 ―…何も考えられなかった。


 さっきまで…本当についさっきまで、

私はレオンに謝ろうとしていた。


 レオンが公務をサボっていると思っていたこと。


 レオンを何度も叱ったこと。


 レオンは王子なのだから、もっとしっかりしてほしいと…何度も言ったこと。


 全部、全部、謝ろうと思っていた。


 なのに。


「……どうして」


 言葉は、夜の廊下に消えていった。


「リゼット様、ここで休んでいてください」


 別室、普段は会議室として使う部屋。

椅子に腰かけて、床を見つめる。

扉の向こうから、慌ただしく人の動く音が聞こえる。


 それでも頭に残るのは、レオンの、宙に浮いた姿。


「…どうして、こんなことに……」


 誰が悪かったのか、

誰がここまで追い詰めたのか…

…自分の言動のどこが悪かったのか…

考えれば考えるほど、…笑顔がまぶしかった頃のレオンが…

…遠ざかっていく。


 頭を抱え、どうしていいかわからなくなる。

レオンは?王子としての公務は?

…私は最期になんて言った?


 担架に乗せられ、運ばれていくレオン。

それを見ながら、彼との会話を思い出そうと、必死に頭を働かせた。


 …レオンは、最後に会った時、なんて言ってた?


 もう、思い出せなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 どれほど時間が経ったのか分からない。

会議室の中で、ずっと一人。

頭を抱えて、レオンへ謝り続けていた。


 何を?何が悪かった?


 わからないけれど、謝りたかった。


 やがて、一人の宮廷医師が会議室の扉をノックした。


「失礼します、宮廷医師の、アリマです」


 椅子をひとつ手に取り、対面に腰かけるアリマ先生。

藁にもすがる想いで、問いかける。


「…レオン…は……?」


 アリマ先生は、少し顔を私に寄せて、真剣な目で答えてくれた。


「一命は取り留めました」


 その言葉に、私はその場に崩れ落ちそうになった。


「……よかった…っ!」


 生きていた。


 それが、こんなにも…嬉しいなんて。

私は両手を組み、感謝する。


 しかし、アリマ先生は首を横に振った。


「ですが、まだ意識が戻っておりません。

今は安静にしていただく必要があります」


「……目を覚ますんですよね?」


「その可能性は十分にあります。

ただ、今は何とも申し上げられません」


 私は唇を噛んだ。

意識は戻らないかもしれない。

でも生きている。


 …今は、生きていたことを喜ぼう。

そういってほっとした途端、…涙が溢れた。


「…リゼット様」

「…すみません」


 ハンカチを取り出して涙を拭く。

堰を切ったように涙が止まらない。


 レオンが倒れてから、今の報せを聞くまで

ため込んでいたものが、溢れてくる。


「……私は、何も知らなかったんです」


「何を、ですか?」


「レオンのことを……」


 アリマ先生は黙って私を見ていた。

…何も知らなかった。本当に。


 何を抱えていたのか。その断片をようやく知った時に

…あの光景を目にしてしまった。


 アリマ先生は真剣な眼差しで、こちらを見ていた。


「…レオンハルト殿下の最近のご様子を、教えていただけますか」


「……最近?」


「ええ。例えば…食事は取れていましたか。夜は眠れていましたか。

以前と比べて、変わったことは?」


「えっと…」


 突然の質問のラッシュに、私が言葉が詰まった。

それを察してか、アリマ先生は1つずつ質問してくれた。


「ではまず食事から、どうでしたか?」


「食事は……あまり食べている記憶はありません…

侍女が部屋まで運んでも、食べずに残しています」


 私は思い出しながら、話す。

アリマ先生はうんうん、と頷きながら聞いている。


「…なるほど、睡眠は?」


「部屋にいることが多かったのでわかりません…

でも…いつ声をかけても返事は返ってきました」


「…公務はいかがでした?忙しかったとか…」


「それが…嫌がっていました。

セレスティア王国との条約締結は頑張っていましたが…

予算会議等は…何度言っても、部屋から出ようとしなくて……」


「ふむ、なるほど…」


 何か、思いつめた様子で、アリマ先生は頷いた。


「それと…」


「それと?」


私は…ふと、思い出して言った。


「……何かにつけて、謝っていました」


「謝る?」


「はい…」


 レオンの最近の癖の話だ。


「公務を休んだときも。私が叱ったときも。

ただ淡々と…申し訳なさそうにするわけでもなく『ごめん』…と…」


 アリマ先生は何かを考えるように、目を伏せた。


「…他には?様子がおかしいと思ったことは…」


 私は、国賓パーティのレオンを思い出した。


「…条約締結の記念式典パーティで…レオンは涙を流していました…」


「……、もう少し、状況を詳しく教えてください」


「…セレスティア王国の王子と会話中に、突然涙を流しはじめました…雫を落とすようにポロポロと」


 今思い出しても、胸が痛い。

あの頃の変化にもっと真摯に向き合っていれば、…こうならなかったのではないかと。


 悔しさに、手が強張る。


 アリマ先生は頷いて聞いてくれていた。


「…なるほど…、殿下は何と?」


「…わからない、と」


「わからない?」


 そう、わからない、と。


 あの時はショックだった。

私では、相談できない悩みなのかと…突き放された気分だった。


 私は続ける。


「ただひとつ、質問をされました」


「…なんという質問でしたか?」


「……王子をやめても、傍にいてくれるか、と尋ねられました」


 その言葉を口にした瞬間、胸が締め付けられた。

その言葉の意味を考えるのを、放棄していたからだ。

…考えなかった末路が…この現状だ。


「なるほど……」


 アリマ先生は静かに頷いた。

私は顔を上げ、アリマ先生を見やる。


「では、最後に一つ」


「…はい」


「殿下は、最後に…休まれたのはいつですか?」


 その質問に、息が詰まりそうだった。


「……心から…」


 …わからなかった。


 答えに困ってしまった。


「仕事をせず、何の気兼ねもなく、ただ休めたのはいつですか?」


 …私は答えられなかった。


 答えられなきゃいけないのに。


 …婚約者であり、支える立場の私が答えられなければいけないのに…


 悔しさが、頬をさらに濡らしていく。


「……いつも、休んでいたと思っていました」


「いつも?」


 涙が止まらない。


 言葉が詰まりそうになり、上手く話せない。


「部屋から出ないことが、よくありました…

部屋の中で、ゆっくりと休んで…次の公務に臨んでくれると…

休んでいるものとばかり…」


 嗚咽混じりの釈明。


 言い訳がましいそれは、

私を無様さをこれでもかと映していただろう。


 アリマ先生は、少し悲しそうな顔をした。


「……それは、おそらく"休んでいた"とは言いにくい状況だったと思います」


「……」


 私は、その言葉の意味を理解するのを恐れてしまった。

心から休めていたのなら…、こんな事にはならなかった。

わかっていた。…でも、答えを知るのが怖かった。


「殿下は、身体を休めていたのではなく…何も出来なかった可能性があります」


「…っ」


 息を呑んだ。

…何も、出来なかった?

理解が及ばなかった。


「南方で、近年研究が進められている病があります」


「病……?」


「精神の病、と呼ばれるものです」


「…精神の病」


 …王妃教育でも、それは聞いた事がないものだった。

精神とは、強い、弱いで測るものだと思っていた。

…病気になるなんて、聞いたことがなかった…考えたこともなかった。


 アリマ先生は慎重に言葉を選んで、私に説明を続ける。



「強い負担が長く続いた結果、心身の働きそのものに支障が出る病です。

何かをする意欲がなくなる。

食欲がなくなる。眠れなくなる。

あるいは眠ってばかりになる。

…何をしても楽しいと思えなくなることもあると聞きます」



 …全て、当てはまっている。


 公務に臨まず、食事も採らず…

目の下には、クマまで出来ていた。



 レオンは…、精神の病にかかっていた?


「……それが、レオンに?」


「可能性は高い…いや…間違いありません。」


 アリマ先生は、私の目を見てはっきりと告げた。



「レオンハルト殿下の病名は――うつ病です」



 頭の中が、真っ白になった。

姿勢を保つことができなくなるほど、力が抜け、

椅子のひじ掛けに体重を預けた。


「……病気」


 私は呟いた。

レオンが、病気。


「では……では…あれは…」


 思い返すのは、レオンの行動。


 公務を嫌がっていたこと。


 部屋から出ようとしなかったこと。


 何もしたがらなかったこと。


 何度も謝ったこと。


 理由もなく涙を流していたこと。


「……サボっていたんじゃなくて…病気で動けなかったんですか」


 アリマ先生は答えなかった。


「ずっと…部屋で…その病気と、戦っていたんですか」


 アリマ先生は目を伏せる。


 その沈黙だけで、十分だった。



 …今となって、ようやく理解した。

彼は本当に、…王子を辞めたかったのだと。

病気で精神を病み、動けないのをサボっていると揶揄されていたと。

…彼を追い詰めたのは…私だと。




 ―――私が、レオンを殺しかけた。




「うぅ…っ!」


 胸の奥から、酸っぱい何かがこみあげてきた。

自分に対する嫌悪感か、はたまた別の何かか。


 ただ、それを飲み込んだら、今度は涙がまた溢れてきた。


「…嗚呼…レオン…っ」


 とめどなく涙がこぼれ、ハンカチが濡れていく。

広い会議室、冷たい空間に、私の嗚咽が響く。


「ごめんなさい…っ!ごめんなさい…っ!」


 本人には聞こえていない、わかっている。

でも…謝りたい。

支えるべきだった私が…。

彼を殺しかけた。


その事実は、私の胸に重くのしかかった。


「…レオン…ごめんなさい…!」


 私が泣きやむまで、アリマ先生は傍にいてくれた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の夜。

王城の、アルベルト殿下の執務室。


 私はアルベルト国王殿下とエレノア王妃殿下の前に立っていた。


 二人は椅子に腰かけ、私の言葉を待っている。

…もちろん、レオンの件で。


「…レオンは、どうなった。」


 アルベルト殿下が口を開く。

隣にいるエレノア妃も、おろおろと慌てているようだった。


「…一命は、取り留めたそうです」


 泣き腫らした赤い目のまま、私は答える。

その言葉に、ようやく2人は一息ついた。


「そうか…」

「よかったわ…」


「…しかし、油断はできません。意識が戻るかどうか怪しいとも…」


「……なんてことだ…」


 アルベルト殿下は頭を抱える。

…それは、父親としてか、国王としてか、

もう私には、わからなかった。


「それとひとつ、…お知らせしなければならない事が…」


「…なんだ?」


アルベルト殿下が顔をこちらに向ける。

…言わねばならない。

この2人には…、…私の口から。


「レオンハルト殿下は、うつ病だと診断されました」


 2人は、言葉を失った。

やがてエレノア妃が震える声で呟く。


「……うつ病?」


「…はい」


 私はそれからアリマ先生から聞いたことを、すべて伝えた。


 食事を取らなかったのではなく、とれなかったこと。


 公務に強い負担を感じていたこと。


 何もする気になれなくなっていたことも。


 国賓パーティで涙を流し、部屋に引きこもってしまったことも。



 …すべて、伝えた。


「……そうか」


 深刻な面持ちで、アルベルト殿下が俯いた。

その顔は、子を慈しむ父親らしい顔にも見えた。


 しばらくして、アルベルト殿下が掠れた声で呟く。


「『いつになれば自由になれる』…と言っていたな……」


 あの日、食事会での言葉だ。

殿下は、


 ――国王になれば、好きにできる。


そう答えた。


 …私も覚えている。

その後、レオンがぽつりとつぶやいた事も。


 ――産まれた時から自由じゃなかったんだ。


 全てをあきらめたような言い草で、呟いていた。

私は、それを甘えと捉えてしまっていた。


 …気付ける隙は、気に掛けられるものはいくつもあった。

なのにそれを、見ようとしていなかった。


 アルベルト殿下は、顔を伏せながら後悔を口にした。


「私は……あれを、王子としての不満だと思っていた。

公務への不満、仕事に対する不満だと。」


 陛下の拳が、膝の上で強く握られる。

あまりの悔しさに、その手は指が白くなるほど強く握りこまれていた。


「国王になれば、自分で決められる。

そう教えれば、いつか理解すると思っていた。」


「……私もです」


 私は俯いた。

思い返すのは、レオンの事を想わない、説教の日々。


「私も、王子なのだからしっかりしてください、と何度も……」


 悔しさに俯くアルベルト殿下、

隣にいるエレノア妃の目から、涙がこぼれた。


「あの子を…私たちは追い詰めてしまったのね…」


 嗚咽を繰り返すエレノア妃。

すすり泣く声が、静かな執務室に響く。


 その言葉に、また吐き気がこみあげる。


 ―…違う。


 ―…追い詰めたのは…。


 私は、たまらず、頭を下げた。



「………申し訳ございません」


「リゼ…」


 エレノア妃が驚いた顔でこちらを見る。


「…追い詰めたのは、私なんです…!」


 目はパンパンに腫れて、それでも涙が止まらず、

心は、ずっと痛いままだった。


「…私が、王子を支えようと頑張って…

彼を何度も叱責しました。発破をかけ、応援したつもりでした…」


 全て、吐き出すような謝罪。


「…でも…本当に支えるべきは…

レオン、そのものだったんです…!

支えようとしていたのは、『王子』としてだけで…

私は、…レオンの心を…見ていなかった…!」



 それはそれは、本当に醜い懺悔だったろうと、自分でも思う。

自分ひとり許されようと、釈明したようにも、

傍から見えてもおかしくなかった。


 しばらくの沈黙の後、エレノア妃の言葉が聞こえた。


「…顔をあげてください。リゼ」


 私は顔をあげてエレノア妃を見た。次の瞬間。



ゴンッ!!



 強い衝撃が顎に直撃し、横向けの衝撃に私はなぎ倒される。

部屋の隅に、私は追いやられた。

痛む顎を抑えながら、…エレノア妃を見上げた。


 見ると、拳を握り固め、振りぬいた腕を押さえ、

息を切らしたエレノア妃が怒りの形相でこちらを見ていた。


「え、エレノア…!」


 慌ててアルベルト殿下が肩を掴んで抑える。


 それを振り払い、エレノア妃は叫んだ。


「私は、私は言いました。彼を支えてあげてね、と。

何度も!何度も!」


 怒りの形相で、吹き飛んだ私に歩み寄ってくる。


「…いつ、いつ『王子』を支えろと言いましたか!?

あなたはそこまで、頭が悪いわけではなかったでしょう!!」


 声が裏返りながらの、本気の叫び。

私は、膝をつき、謝る他できなかった。


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


 震えながら謝る私を、エレノア妃はただ上から見下ろしていた。


「…」


 しばらくの沈黙、一呼吸置いて、エレノア妃は告げた。


「…謝るなら、…私ではなく…レオンに謝りなさい。

…今の殴打は、起きれないレオンの代わりです。

あの子は…女の子を殴れないでしょうから」


 息を切らしながら話し、椅子に腰かける。

アルベルト殿下もそろって、隣に座った。


 2人は私を見る。今の私は…目も、頬も痛い。


 アルベルト殿下は問いかけた。


「…リゼ、お前はどうしたい?」


 優しい声だった。


「…私は…」


 顔をあげて、答える。


「レオンハルトを…支えたい。今からでも…」


 アルベルト殿下は蓄えた髭を撫でながら、私を見やる。


「…それは釈明のためか?地位のためか?」


 私は首を横に振った。


「…私自身のためです。…私は…レオンを…愛しています。離れたくありません」


 それは、ずっと変わらない。私の本心だ。


 でもそのためには…レオンを追い詰めるような女じゃいられない。


「…だから、私は『うつ病』について学びます」


 私の宣言に、二人は目を見開いた。私は続ける。


「彼を治療するとまでは言いません…でも、…支えるために、学びたい」


 決意を言葉にする。


 2人はお互いを見合い、うん、と頷いた。

…熱意が、伝わったようだった。

そして、またこちらを向いた。


 エレノア妃は優しく微笑んだ。

「貴女を迎えてよかった、そう思えるように…努力してください」


 アルベルト殿下は私を見て言う。

「我々はもはや、レオンやお前にとやかく言う権利が無いほど…

お前に任せきりになってしまったな」


 そう言うと、目の前まで来て目線を合わせてくれた。

国王としてではなく父親として、言ってくれた。


「…頼まれてくれるか」


 私は、涙を拭って、真剣に答えた。


「…はい」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 夜。


 真っ暗な部屋の中で、指がわずかに動いた。


 ぼんやりとした意識の中、重い体に違和感を覚える。

まるで夢の中にいるようだった。


「…………」


 目を開けてみると、ぼやけた視界。

普段見ている天井とは違う、

見慣れない天井が映った。


 その時、視界の端にろうそくの光が視界の端に揺らめいた。

ちら、と見たそれは、侍女がろうそくを持ち、こちらを覗き込む姿だった。


 私がその侍女と目が合うと、侍女は息を飲んだかのように口を押さえ、

慌てて部屋を飛び出していった。


 廊下から侍女の叫ぶ声が聞こえてくる。


「リゼット様!リゼット様!

レオンハルト様が、目を覚ましました!!」

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