幕間 レオン視点

 生まれた時から、自由なんてなかった。


 生まれた瞬間から、僕は王子だから。


 僕は、レオンハルト。

アルヴェリア王国の第一王子だ。


 物心がつく前から、周囲にはたくさんの人がいた。

王子教育の先生も、乳母も、庭師も、誰もが僕を王子として扱った。


「レオン、お辞儀は正しい角度で」


「レオンハルト様、王族らしく振舞ってください」


「殿下、将来は国王になられるのですから」



 王子なら、こうする。


 王子なら、こうあるべき。


 王子なのだから、しっかりしなさい。


 周りにいる人は、王子は何をするべきか、教えてくれた。

でも、僕が何をしたかったのかなんて、誰も聞かなかった。


 …聞かれても、僕は答えられなかっただろうけど。


 試しに、先生に聞いてみたこともあったな。


「僕は王子を辞めたらどうなりますか」


 王子教育の先生は、優しく諭すように教えてくれたな。

政治が回らなくなる、信用がなくなり、王政にヒビが入る。

…子供ながらに、責任、という言葉を実感したのを覚えている。


 でも、僕が王子を辞めたら何になるのか、教えてくれはしなかった。




 5歳の頃、婚約者が出来た。


「リゼット・フォン・ローデンベルクです、お会いできて光栄です」


 ローデンブルク伯爵家。

その一人娘である、リゼット。

初対面の時は、とてつもなく厳しい女の子だと思った、

だけど話しているうちに、惹かれてしまったのだ。


 媚びない、それでいて芯のある、…とても立派な人だ。

1つ違いで、彼女が年上。…僕とは断然違う、素敵な人だった。


 彼女と出会えて、本当によかったと思う。


「レオンとお呼びしても?」

「ええ、…僕も、リゼと呼んでもいい?」

「もちろんです」


 心が躍った。

この人を守るためなら、…僕は王子を頑張れる。

そう思った。


 やがて王子教育を受け終え、公務を父上の代わりにこなすことも増えた。

周りから見れば、立派な王子。でも…本当に?

そんな不安が、ずっと付きまとっていた。



 夜になると、父上の言葉が頭によぎっていた。

「王族とは国だ」

「お前の言葉1つが、国を動かすようになるんだ」

「国を見ろ、そして動かせ」


 公務を任される時に言ってくれた言葉。


 でも…僕の心は、リゼでいっぱいだった。


 彼女に褒められたい、認められたい。

そんな心が、僕を王子として動かしていた。


 ある日の予算会議、大臣達は、

小さな僕を見て笑ったのを覚えている。

子供ながらにあの目は、気に食わなかった。


 大臣は口々に言う。


「文字も読めないでしょうから、ここにハンコを押すだけで構いません」

「あとのことは私共にお任せしてください」

「まだまだ子供な王子に負担はかけられません!」


 …今思い出しても、あの大臣達の笑い方は…下品な笑い方だった。

子供だからと馬鹿にされたのが、心底悔しかった。


 僕は渡された資料を徹底的に資料を読み込んだ。

懐に収めようとする悪意ある数字を指摘し、民への負担を抑え…

貿易で国益を出し続けた。


 やがて僕…いや、私は大人になった。

周りの目は改められ、私はアルヴェリア王国を代表する王子だった。


 事実上の王太子。

民も、貴族も、全てが僕を称えてくれた。

そして、そこに胡坐をかくわけにはいかなかった。


 さらには日頃の交渉のおかげで、

セレスティア王国との貿易条約を取り付けることも出来た。

僕の、誇れる大きな功績だ。


 …それからだろうか。

全てが、私中心に動き始めたのは。


 …いや、違う。

もっと前から、…私は、この渦の底にいた。


 全てとは言い難いが、

ありとあらゆる仕事が、私の肩に伸し掛かっていた。

…本当に、何もかもが。


 予算の増額、税制の調整。…庭のデザインから貴族の晩餐会出席。

パーティ会場の設営、人事部の予算管理、

外交パーティの設定から、スケジュール調整。

橋の修繕をどこから行うかの決定、小麦の価格高騰の対策、

執務室の椅子の新調の承認、

王城の備品購入の承認のハンコ。ハンコ、ハンコ。



 …これは、本当に私の仕事なのだろうか。

誰かが失敗した責任を、私に押し付けるための、

そのための確認作業なんじゃないだろうか。


 一度、浮かんだ疑問は…

やがて精神を蝕んでいった。


 …これは、本当に私の仕事なのだろうか。


「国民のためです」


 …本当に国民のためなのだろうか。


「アルヴェリア王国のためです」


 ……私が、この仕事に関わる必要はあったのだろうか。


「あなたは王子ですから」






 まただ。


 王子だから。


 …確かに王子だ。


 だけど、王子だから…なんなのだろうか。


 私が王子を辞めてしまえば、これらは…どうなるのだろうか。


 私が王子じゃなくても、…これらはどうにかなるんじゃないのか。



 「王子、今日も素敵です」


 お茶会で言い寄ってくる、香水の匂いを漂わせた令嬢。

玉の輿狙いで擦り寄ってくる、…リゼのことを眼中に入れていないような仕草。


「私ならずっとお傍におります!」


 何万回と聞いた、あくびが出そうなセリフ。

試しに聞いてみた。


「じゃあ、王子をやめても、傍にいてくれる?」


 答えは、返ってこなかった。

王妃の座が欲しいだけだろう。…リゼが邪魔なんだろう。

…私は王子だから、そう言うだけなんだろう。

…王子じゃ無くなれば…私の価値は。


 …私は、なんなんだ?




 「いつになれば自由になれるのかな」


 食事の席で、父上にそう尋ねたことがある。


 父上は少し考えて、答えた。


「国王になれば、好きにできる」


 ……違う。


 僕が欲しかったのは、そんな自由じゃない。


 王国を好きに動かしたいわけじゃない。


 誰にも命令されずに、好き勝手したいわけでもない。


 ただ――。


 …。


 ただ…なんだろう。


 そこを考えても、答えが出なかった。






 あの日の税策会議は、地獄の始まりだった。

あの増税は、してはならないものだった。


 フリューゲルスが出した税策案は、支離滅裂も良い所だった。

中身の無い増税。それが帰結する先は、考えればわかる事だった。


「こんなものは通せない」


 書類を放り投げた時のフリューゲルスの不快すぎる溜息。

あれが、火種だった。


「前国王は通してくれましたけどね」


 あからさまな挑発。僕は乗るわけにはいかなかった。


「あなたは王子なんだからこれぐらい承認してくれないと」

「承認しなければ、国王に直談判します!」

「しっかりしてください、王子!」


 …僕は、思えばあの時から限界だったのだろう。

1日、それだけなら耐えれた。しかし、執念深いフリューゲルスは、

連日、連夜、朝になるまで私に増税案を突き付けた。


 僕は、負けてしまった。


 いざとなれば、フリューゲルスに責任を押し付ければいいや。


 そう思って、判を押した。


 …結果は、…王政の不支持が爆発的に増えた。


 予想通りフリューゲルスは、責任を取らなかった。

「王子が判を押したんですから」

の一点張りだった。


 …そんなことは、どうでもよかった。

私が最も傷ついたのは、…リゼットだった。


「どうしてこんなものを承認したんですか」


「…」


 私は、何も答えられなかった。


「…私は、悪くない」


「そんなことを聞いているんじゃありません!」


 怒号が飛んできた。


「こんなことをすれば、国民から顰蹙を買います。

富裕層は国外に逃げることだってあるでしょう。

あなたは、それをわかっていたんでしょう!?」


 わかっている、…こんなものを通すわけにはいかないと。

だけど、フリューゲルスに痛い目を見せたかった…それは本心だ。

…私が、悪いのか?


 リゼットは、眉間を押さえて皺が寄るのを堪えていた。


「…しっかりしてください。王子なんですから」


 …、


 言葉が出なかった。


 私は、今までしっかり、頑張っていた。

功績を残し、国を…父親と二人三脚で動かしてきていた。

たった1度の失敗で、…しっかりしていない王子になるのだろうか。


 言葉は、やっぱり出なかった。


「…ごめん」


 …謝るしか出来なかった。


 言い訳なら、説明なら、いくらでも出来たはずだ。

でも、リゼットは…、僕の怠慢と断定し、非難した。


 …私が、悪いのか。


 いつしか、公務に出向くのが、怖くなった。






 初めてサボった日の事を、今でも覚えている。


 一日くらい、何もしなくても許してほしかった。


 一日くらい、王子ではなくなりたかった。


 私の代わりなんて、本当はいくらでもいるんじゃ無いのか。

私がいなくても、実は公務はまかり通るんじゃないのか。

淡い期待を言い訳に布団を被った。


 …でも、そんな私を…誰が許してくれるのだろうか。


 父上は?


 母上は?


 大臣たちは?


 そして――リゼットは?


「王子なのですから、しっかりしてください」


 彼女の言葉が、頭の中に何度も蘇る。

しっかりしていたつもりだ。でも、間違えた。

…それすら許されないのか。これが王子なのか。


 …彼女に悪気がなかったことくらい分かっている。


 リゼットだって、王妃になるために王妃勉強を頑張っている。

その勉強内容だって、私に日々教えてくれる。

部屋の前で、私の姿が見えなくなって。

わかっている。


 私だけが逃げていいはずがない。


 だから、謝った。


 何度も。


「ごめん」


 迷惑をかけている事はわかっていた。

そう言えば、少しは許してもらえると思った。


 …心臓の音が落ち着かない。

布団の中で反響して、怒られるかもしれない、という恐怖が常に胸を刺した。


「ごめん」


 …何度謝っても、身体は動かなかった。

動けば、また間違えて、怒られるかもしれないから。


 食べてさえも良いかわからず、

食事が喉を通らなかった。それもまた怒られた。


 公務のことを考えるだけで、身体が重くなる。

誰かが私を必要としている。

私が王子だから。

それでも皆は言う。


「王子なのだから」






 じゃあ、…私が王子じゃなければ?


 私は、本当は…なんなんだ?

王子なんていう体のいい責任の的なんじゃないか?


 じゃあ、私が王子じゃなければ?王子を辞めれば?


 答えは、誰に聞いても…返ってこなかった。



 手紙が届いた。


 セレスティア王国の王子、第一王子アレクシスから。

先日送った国賓パーティへの参加の返事だ。


 綺麗でな文字で丁寧な文章。

その文字ひとつひとつが、どれほどの苦労を抱えて生きてきたのかが

伝わるほどだ。


 PS、追伸、そう書かれた文章にこうあった。


「P.S. しっかり眠れているかい?たまにはしっかり寝るべきだよ」


 その言葉の意味は、私にはわからなかった。

眠っている暇があるなら、…私は公務に戻らねばならなかった。

今でも、私の代わりにリゼが働いてくれている。

…寝ている場合ではなかった。


 …このパーティには、必ず出席しなければならない。

私は重い腰を上げた。…足元がふらつく。

きっと、リゼにまた怒られてしまうだろうな。


 私は完璧な王子を演じた。

パーティへ来てくれた貴族への挨拶、両親への挨拶、

そして…アレクシス達へ無礼の無いように接する。

このパーティは、必ず次に繋げなければならない。

セレスティア王国と、アルヴェリア王国の未来のため。


 しかし、そんな決意を他所に、

アレクシスは、王子の仮面を…私の前で脱いで見せた。


「同じ次期国王である前に、同じ境遇であるレオンハルト殿とは

もっと、親しい友人として交流したい。」


 …友人。


 私に友人なんて、いただろうか。

いたとして、それは王子として、…怒られないのだろうか。


 リゼならなんて言うだろう。


 友人作りも王子として大切な公務です…だろうか。


 父上なら、なんて言うだろう。…リゼと同じことを言うだろうか。



 アレクシス王子は、雑談すら優雅だ。

「牧草地といえば、私は乗馬が好きでね」


 …昔を思い出した。

リゼを連れて、牧草地に馬で駆けたあの日。


 …嗚呼、僕はあの笑顔に恋をしていたなぁ。


 アレクシスは私に質問した。


「レオンハルト殿は、何が好きなんだ?」


 …。


 …。


 …。


 ?



 答えが、出てこなかった。

頭の中が、その時なぜか、ぐちゃぐちゃだった。


 リゼに怒られないように、次に繋げるように

王子として、王子として、…王子の好きなものってなんだ。

私は王子だ。公務をこなし、国を動かし、国に潤いをもたらさないといけないんだ。

だから適切な言葉を。…適切な言葉ってなんだ。


 最近、何したっけ。

…寝て、ばかりだ。

馬は…、前に乗ったのは…、10歳から乗ってないな。


 …趣味とは、言えないよな。


「何も…しておりません、…お恥ずかしながら、最近は、部屋で寝てばかりで」


 恥ずかしさで、顔が赤くなるのを感じた。


 言葉に詰まった様子が心配だったのか、傍にいたリゼが声をかける。


「レオン…、大丈夫?…少し、休む?」


「大丈夫だよ」


 安心して見せるように、笑顔を作る。

何万回も練習した笑顔。


 …心は荒みきっていた。

何も無い自分が恥ずかしかった。


 …気が付けば、私は泣いていた。

リゼに指摘されないと気付けないぐらい、何も感じない涙が、

目から止まらなかった。止め方がわからなかった。


「…しっかりして」


 リゼが、怒る。


「…ごめん」


 嗚呼、また失敗した。

セレスティア王国の王子の前で、泣いちゃいけないのに。泣いちゃった。

王子失格だなぁ。リゼに怒られるなぁ。


 休憩室の代わりに会議室で2人きり。


「…お願い、何かあったなら、…教えて」


 リゼに向き合った。

笑顔は消えた、リゼの顔。…少し、やつれているだろうか。


 君は覚えているだろうか。


 僕が王子じゃなくても、傍にいてくれるか聞いた時、

君は、ぶっきらぼうに、当たり前だと答えてくれたよね。


 僕には、もうわからないんだ。

君が欲しいのは、僕なのか、王子なのか。


「…ごめん」


 答えられなかった。

私は、頑張らなくちゃいけないのに。

答える元気すら、もう…残っていなかった。


 怖かった。

もうリゼは、私を見限っているんじゃないのか。

こんなに公務に出られなくて、ご飯も食べられなくて、毎日のように怒られて。


 何かあったか、なんて聞かれて…わからないって答えたら、

怒られるような気がして。


 毎日が、不安だった。


 だから、何度も、聞いてしまう。


「…ずっと、傍にいてくれる?」


 優しい君は、言ってくれた。


「当たり前じゃないですか」


 だから、聞きたかったんだ。


「…じゃあ…王子じゃなくなっても…」


 だけど、聞けなかった。


「もしも、や仮でも…その質問はしてはなりません」


 …。

それは…王子じゃない僕は…、いらないってこと?






 次の日、僕はもう、体が動けなかった。

夜になれば、体がかゆくなり、発疹があちこちに出来た。

公務のやり方すらわからなくなり、…酷い時は、この部屋の中で出口を見失った。


 …ある夜中、侍女から聞かされた。


「本日より公務は、王子の体調が戻るまで…リゼット様が行います」


 扉越しの声、いつも聞く、リゼットの側仕えの子だ。


「…だから、今日はゆっくり休んでください。リゼット様もお望みです」


 その時、深く、絶望したのを覚えている。


 …僕の唯一の、取柄すら無くなった。


 僕は王子ですらなくなったのだろうか。


 そんな事を言ったら、リゼに怒られてしまうだろうな。


 …サボりはするけど、仕事が出来る、そんな評価だった私が、

もう、仕事すら出来なくなったのだ。


 嗚呼、リゼ。


 もう、リゼに会えない。そんな気持ちになった。

きっと会えば、怒られるだろうから。


 涙が、止まらなかった。


 気が付けば、夜だった。

もう、こんな生活も…いつからなんだろうか。

朝に侍女から起こされ、起きなきゃと焦燥感に煽られ、

気が付けば、夜。

そんな毎日だ。



 …誰も、何も私に期待などしていないんだ。


 リゼ、父上、母上、…こんな出来の悪い王子で、ごめんなさい。




 もう、なにもかも、終わりにしよう。





 …いつの間にか、部屋の中央には、ロープが垂れさがっていた。


 先端には、輪っかが結ばれている。


 …自由について、考えたのは…、これが初めてじゃない。


 王子を辞める方法について考えたのは、これが初めてじゃない。


 王子として責任を体よく押し付けられる、

ただのハンコを押す機械になるぐらいなら…私はいらない。

 

 …そう考えたのも、これが初めてじゃない。


 …いつ終わるんだろう、と考えたのも、初めてじゃない。




 リゼになら、任せられる。


 

 僕じゃなくていい。

 




 ゆっくりと、椅子に足をかけた。





 …その椅子に立った時、何故か、心が軽くなった。

「やっと、王子を辞められる」

飛び立てば、王子を辞められる。

そんな自分が、ますます嫌になった。



 ごめん。リゼ。



 そんな時、ドアがノックされる。リゼだ。


「…レオン?」


 そうだ。今日は、リゼが公務を代わりにやってくれた。

リゼなら心配ない。…ああそうだ、…せっかくだから…

王子を辞めることぐらいは相談しよう。


 最期に聞くのは、リゼの声がよかった。


 そう思って、椅子を降りようとした。

…だけど、足は…踏みとどまってしまった。

もし、…怒られたら?

辞めるのがダメだと言われたら?国民のためと言われたら?

汗が止まらなかった。


 リゼは、扉の向こうにいた。


 何度も安心させるように、

「…レオン…大丈夫だよ」としきりに言った。


 何が、大丈夫なんだろうか。

王子は、辞めちゃだめなんだろうか。

…ダメって言ってたっけな。


「…私が支えるから。…私も一緒だから…一緒に、頑張ろう」


 支えるって、何を…?


 …わかっている、君が支えたいのは。


「…レオンなら、立派な王子になれるよ」







 …、なんだろう。


 また、椅子に上って、首に輪をかける。





 嗚呼、リゼ、






 僕が王子を辞めたら……君はどう思うだろう。

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