第3話

 王家は多忙だ。私含め、王子も。

そして、国王や王妃も、スケジュールの密度は計り知れない。

しかし、そんな王家には1つ約束事がある。


 週に1度は、家族そろって食事をすることだ。


 もちろん、諸外国への出張や貴族家への訪問等

穴が空けられない仕事が無ければ、の条件は付き物だが。


 …ここ最近のレオンは、この食事会にすら、顔を出さなかった。

サボり癖があるとはいえ、家族団らんの機会すら放棄するのは、

いささかどうか、とは考えていたが…

その日の夕食は、久しぶりに家族揃ってのものだった。


 国王陛下 ―アルベルト・フォン・アルヴェリア。


 王妃殿下 ―エレノア・フォン・アルヴェリア。


 上手席からアルベルト陛下、エレノア様、

そして私と、レオンが座る。


 アルベルト陛下は、恰幅の良い体格で、50代には見えない筋肉質な体だ。

昔は立派な船乗りで、今でも剣を握っては振るらしい。

城を守るべき王が船乗りだったのは眉唾だが、この筋肉を見ると事実かと思ってしまう。

そんな彼も、立派な白髭と白髪を蓄え、年相応の顔つきになってきていた。


 エレノア様は、アルベルト様と並ぶとやはり細く見える。

こちらも50代の女性。皺が目立つ顔つきではあるが、気品と元の器量の良さがにじみ出ている。

…私も、歳を取るならこうなりたいものだ。


 アルベルト陛下の、白く蓄えた口ひげが揺れる。


「久しぶりの家族団らんだな、ゆっくりするといい。」

「はい、義父様」

「…」


 私が笑顔で答えるが、レオンの顔色は優れない。

叱られる前の子供のような顔つきだった。


 執事が支度完了のベルを鳴らすと食事が運ばれてくる。

カトラリーを手に取り、それぞれ食事を始める。

この国は海に面しており、食事は基本魚が多い。


 …王族の食卓というのは静かだ。

食器の触れ合う音さえ、どこか緊張を孕んでいるようにも見える。

今日ばかりは、その緊張もどこか強い。

理由はなんとなく…察しはつく。


 重い緊張感の中、アルベルト陛下が水を一口飲み、口を開いた。


「レオン」


「……はい」


「…体の具合はどうだ」


 陛下はナイフで、白身魚の香草焼きを切り分けながら訊いた。

レオンはといえば、ただフォークで魚をつつくばかり、食べようとしない。


「…大丈夫」


 レオンの調子は相変わらずだ。

公務をサボりがち、たまに出てきては言葉を交わすが、

しばらく休んで、を繰り返していた。


「先日も茶会をリゼットが開いたそうだな、レオンは出たのか」


「…出席した」


「数日前の茶会にて…来て頂いた令嬢に、何を質問した。」


 レオンの手が止まった。

私も、ついナイフとフォークを動かす手が止まる。


「……何かって?」


とぼけているのか、本当に理解していないのか、

ただ皿の上の魚を眺めたままのレオンが訊き返した。


「言い寄ってきた令嬢に対し、

 『自分が王子でなくても、傍にいてくれるか』…と問うたそうだな」


 思わず、息を飲んだ。

その質問の意味ではなく、その質問をしたことに対する外聞。


 『王子は王族をやめたい』、そう捉えられるだけでも

王家の信用に傷がつく。

その責任を、陛下は問うたのだ。


 レオンは少しだけ目を逸らした。


「……言いました」


「なぜだ」


 低い声だった。

言葉の圧が、重い。

私だけでなく、エレノア様も、額に汗が滲んでいる。


「…なんとなく」


「なんとなく、だと!?」


 食堂に陛下の声が響いた。

レオンが肩を震わせる。カトラリーを皿に音もなく置き

机の下に手をしまった。


 まるで子供が怒られる姿勢だった。


「お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?」


「……はい」


「その質問が、王家の信頼に傷をつけるかまで、理解しているのか!?」


 陛下の額はみるみる赤くなる、血圧が上がっているようだ。

エレノア様は止めた方がいいのか、どうなのかと迷っているようだ。

オロオロと私と陛下を交互に見る。


「…」


 レオンは黙ったまま、俯いてしまった。

話にならないと感じたのか、アルベルト陛下はこちらを向いた。


「リゼット、お前も聞いていたのか、その場にいなかったのか?」


「はい、おりました…ですが、…止められませんでした」


「………」


 悔しそうに、陛下は俯いた。

やがてテーブルに肘をつき、額を指で抑えた。


「リゼットはその後、どうした?」


「もちろん、咎めました。王位を継ぐ意思が無いと広まれば

王家の信頼に傷がつく、と…二度とそんな質問をしないでくださいとも」


「…そうか」


 やがて陛下は額から手を離し、レオンに向き直った。


「……」


 レオンは、まだ俯いたままだった。


 諭すように、陛下は言葉を紡いだ。


「レオン…王族の言葉は、お前が思っている以上に重い。

冗談でも、仮の話でも、もしもの話でもない。

口にした時点で誰かが意味を付けるものだ」


「……ごめん」


「…謝れば済む問題ではない」


 レオンは抑揚無く、謝った。いつもの謝り方だ。


 私は黙ってその様子を見ていた。

…レオンも立派な大人であり、次期王なのはほぼ確定だ。

それは他の貴族達も周知の事実であり、

その言葉は王の言葉と違わない影響力を持つ。


 …王子という立場なら、自分の言葉に責任を持たなければならない。


「お前は王子だ。いずれこの国を背負う者だということを忘れるな」


「…はい」


 陛下も、強く叱責する。

親子ではなく、まるで上司と部下だ。


「…二度と、そのようなことを口にするな」


「……はい」


 …やがて食事は再開された。

私と、アルベルト陛下、エレノア様と会話は弾む。


「狩猟大会は存じていましたが、こちらでは海での釣り大会なんですね」

「あなどってはいかんぞ、大の男が6人がかりで大きなウミヘビを釣り上げるのだ」

「味も絶品なんですよ、栄養豊富で、肌にもいいんだとか」


 三人での会話、笑い声が絶えないような…そんな空気。


 けれど、レオンは会話にまったく参加できず、

料理も、ほとんど食べる事は無かった。

出てくる皿の上の魚をフォークで少しつついて、それだけ。


 私は気になったが、ここで言うのもどうかと思い、口を閉じた。

代わりにアルベルト陛下が口を開いた。


「レオン、食事が進んでおらぬぞ」


「…大丈夫」


 いつものやり取りだ。

食の細いレオンを誰もが気遣うが、

出てくる言葉は、「大丈夫」

…もう、見慣れた光景だった。


陛下も、「そうか」と頷いて食事に眼を戻した。


 …しばらくして。

レオンがぽつりと言った。


「父上」


「なんだ」


「僕は、いつになれば自由になれるのかな」


 その質問に、フォークに刺そうとしていた魚から

レオンの方に眼を向ける。


 その時、顔から覗いた目が、

黒く、濁っていたような気がした。


 茶会の時でも、そうだった。

その眼は、黒く、澄んでいるようにも見える漆黒。

親譲りの赤い眼が、見えなくなるほど、暗い色。

…何を考えているのかわからないけれど、

自由になりたい、というのが垣間見えていた。


 …本当にわからない。


 今のレオンは、サボっても公務が動くほどには、自由だ。

何かに縛られていても、貴方はベッドで寝ているだけだろう。

…眉間に力が入りそうになるのを、必死に堪えた。


 陛下は少しだけ考えるように黙った。

そして一言。


「国王になればいい」


「……国王に?」


「ああ」


 陛下は静かに答えた。

レオンの瞳を見つめ、また、上司と部下のような、そんな構図に見える。


「国王になれば、お前が国をどうするかは、お前自身が決めることになる」


「……」


「だが、覚えておけ」


 陛下の声が少しだけ柔らかくなる。


「自由には責任が伴う」


「……責任」


 優しく微笑む陛下。

距離さえ近ければ、きっと頭でも撫でたであろう、そんな笑顔。


「そうだ。自分で決めるということは、その結果を自分で背負うということだ」


 私は、なるほどと思った。

それは、国王としての言葉だった。

自由の意味をはき違えれば、愚王にも賢王にもなる。

どこかでそんな言葉を聞いたことがある。


 王国は、大臣や貴族が分担して責任を負っているとはいえ、

最終的には王の一存で決めることもある。

何を言おうと自由、しかし、その下にいる者を考えると

その肩に伸し掛かる責任も重い。


王妃になる身として、その言葉は、引き締まる想いで聞いていた。


 …けれど。


「……そっか」


 レオンは小さく笑った。

…隣にいる私には、それが、寂しそうな笑顔にも見れた。


「じゃあ、国王にならないと自由にはなれないんだ」


「そういうことだ」


「……そうなんだ」


 …レオンはそう言って俯いた。

 そして、私にしか聞こえなかったであろう声が、ぽつ、と聞こえる。


「…産まれた時から自由なんて無かったんだ」


 …私は、その言葉の意味が分からなかった。


 この時、意味を尋ねるのが…怖かった。

…そっとしておこう。レオンは立派な人だ。

レオンには、レオンの考えがある。


 …そう信頼することにした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 食事が終わり、私はエレノア様に呼び止められた。


「リゼットさん。少し、お話ししませんか?」


「はい」


 柔らかく優しい笑顔。

この人は、王子の婚約者になってから知り合ったが

初めから娘として、私を迎えてくれた。

それ以来、こうやって会食の時は、

2人きりでこっそり内緒話をする。


 王妃殿下と二人、庭園へ出る。

少し酒を飲んだこの夜、火照った体に夜風が心地よかった。


「今日のことですが」


「はい」


「レオンのことを、どう思いましたか?」


 私は少し言葉に迷った。

目の前で夫が説教される、という光景に戸惑ったのは事実だ。

それでも叱責された理由は、ちゃんと理解している。

私も、…レオンも。…そう思いたい。


「……正直に申し上げますと」


「ええ」


 笑顔でエレノア様は頷く。

きっと、次に出る台詞も、読めているんだろうな。


「少し、困っています」


 王妃殿下は苦笑した。

でしょうね、と言わんばかりだ。


「あの子は昔から、少し不器用なところがありますから」


「……そうなのですか?」


「ええ。何でも一人で抱え込むくせに、助けてほしいとは言えない子でした」


 2人で月明りが照らす庭園をのんびりと歩く。

強い責任感、それは小さな頃から健在だったという。

…恐らく今も、と。


 …私は苦心した。

であれば、なぜ…今のような、サボり癖がついてしまったのか。

味を締めてしまったのか。それとも、子供のように構って欲しいだけなのか。

未だに、わからない。


 私は意を決して、エレノア様に打ち明ける事にした。


「…義母様…実は、最近のレオンは…あまり働きたがりません」


「まぁ」


 笑顔で驚く義母様。思った反応とは違った。


「良い事じゃないですか」


「良い事?」


 優しく微笑みながら、義母様は語る。


「昔から、あの子はなかなか休むことなく勉強漬けでしたからね

 休むのも仕事と昔から言っていたのよ」


「…」


 私は、最近のレオンを思い出す。


 何かを聞けば、『ごめん』と答える。


 怒れば、『ごめん』と答える。


 謝ってくれはする。理解しているのかは、もうわからない。

そのぐらい、いつも反応が同じ。


 …考えすぎかもしれないが、

まるで、自分が存在することそのものを…申し訳なく思っているような――。


 …いいや、きっと違う。

お茶会でも、あれほど求められ、貴族達から慕われているレオンだ。

…少し、疲れているだけだ。


「リゼットさん」


「はい」


 エレノア様が、私の手を取った。

細く、骨と皮ばかりの手、それでも温もりがある。


「あの子を支えてあげてね」


「…」


「あの子は、あまり人に頼る事を知らないから」


 私は迷わず頷いた。


「もちろんです」


 エレノア様は、ほっとしたように微笑んだ。


「ありがとう」


 その時の私は、その言葉を…

ただ王妃になる身分としての、責任だと思っていた。


 王子を支える。


 未来の国王を支える。


 王妃になる者として、それは当然のことだと。


 …その言葉の意味をはき違えていたと知るのは、

すぐそこに迫っていた。

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