第8話  大都市へ

翌日の昼過ぎ。

二人は長い丘を登り切った。

その先に広がっていた景色を見て、少女は足を止めた。

「……あれが。」

地平線の向こうに、無数の塔が立っていた。

かつて日本最大級の人口を抱えていた大都市。

空を突き刺すような摩天楼は、遠目には今も威厳を保っているように見えた。

しかし近づくにつれ、その姿が少しずつ明らかになる。

窓ガラスの大半は失われ、黒い空洞となっていた。

建物の壁面には蔦が這い、屋上から育った樹木が風に揺れている。

何本もの高層塔が途中から折れ、隣の建物へもたれかかっていた。

まるで疲れ果てた巨人たちが、互いの身体を支え合いながら眠っているようだった。

少女は都市を見上げたまま、しばらく動かなかった。

「記録では見たことがあります。」

「映像でか。」

「はい。でも、こんなに大きいとは思いませんでした。」

男は目を細める。

「昔は、この建物一つに何千人もいた。」

「一つの建物に?」

「住む奴、働く奴、買い物する奴。朝から晩まで人だらけだった。」

少女は並び立つ摩天楼を見渡す。

「全員、どこへ行ったのでしょう。」

男は空を見上げた。

都市の遥か上空を、軌道エレベーターから伸びた細い輸送索が横切っている。

「上へ行った。」

その言葉は、思っていたより軽く口から出た。

人類は空を目指した。

やがて宇宙へ。

もっと遠くへ。

地上にあるものを、古いものとして置き去りにしながら。

二人は都市へ続く高速道路を歩いた。

道路には放置された車が列を作っていた。

どの車も同じ方向を向いている。

都市の外へ。

「避難しようとしていたのでしょうか。」

少女が尋ねる。

男は車内を覗き込んだ。

座席には埃が積もり、ハンドルの隙間から小さな草が生えていた。

「さあな。」

「災害の記録は残っていません。」

「記録に残らない終わり方もある。」

少女は男を見る。

「誰もいなくなるだけ、とか。」

男はゆっくり歩き出した。

戦争もなかった。

巨大な天災もなかった。

ただ人々が少しずつ地上を離れた。

店が閉まり。

電車が止まり。

灯りが消えた。

都市は破壊されたのではない。

忘れられたのだ。

高速道路を降りると、かつての繁華街へ出た。

巨大な広告塔が、通りの上に傾いている。

少女が近づくと、突然その表面に光が走った。

ノイズ混じりの映像が浮かび上がる。

『あなたの人生を、永遠に。』

若い男女が笑っていた。

その背後には、青い海と宇宙都市が映っている。

『肉体から自由になろう。記憶保存サービス、新規登録受付中』

何百年も前の広告だった。

少女は立ち止まり、自分の胸へ手を当てる。

「私と同じです。」

男は広告を見上げる。

「永遠を売ってたのか。」

「当時は、多くの人が望んでいました。」

少女の声が少しだけ沈む。

「老いないこと。病まないこと。死なないこと。」

映像の中の人々は、変わらず笑い続けていた。

同じ笑顔。

同じ動き。

何百年も繰り返してきたのだろう。

男は道端の瓦礫から石を拾い、広告塔の制御盤へ投げた。

乾いた音が響く。

映像が一度大きく乱れ、消えた。

「よかったんですか。」

「うるさかった。」

少女は少し驚いた顔をしたあと、小さく笑った。

静けさが戻る。

誰もいない交差点。

折れた信号。

建物の隙間を吹き抜ける風。

少女は交差点の中央へ進み、ゆっくり一周した。

「ここには、どれくらいの人がいたのですか。」

「最盛期なら、一千万人近く。」

「一千万人……。」

少女はもう一度、周囲を見渡す。

今聞こえるのは、二人の足音だけだった。

その時。

遠くで低い音が響いた。

ゴォン……。

男は顔を上げる。

一本の高層ビルから、外壁の一部が崩れ落ちていた。

土煙が街路へ広がる。

数秒遅れて、巨大な音が都市を駆け抜けた。

少女が身構える。

男は片手を上げて制した。

「大丈夫だ。」

「崩壊が進んでいます。」

「ああ。」

摩天楼は永遠ではない。

鋼鉄も。

ガラスも。

都市も。

人類が空へ向かって積み上げた夢も。

すべてはいつか地上へ還る。

男は再び歩き始める。

少女が隣へ並ぶ。

「この都市にも、神社はあったのでしょうか。」

「いくつもあった。」

「残っていますか。」

男は遠くを見る。

ビルの谷間。

その奥に、わずかに朱色が見えた。

高層建築に囲まれた、小さな鳥居。

蔦に覆われながらも、まだ倒れずに立っている。

男はそれを指差した。

「あそこだ。」

少女の瞳が静かに輝く。

二人は摩天楼の間を歩き出した。

かつて一千万人が暮らした都市で。

たった二人の巡礼者が、忘れられた神社を目指していた。

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