第4章 ポチゾンビと友情の骨タグ(一)

 三沢おばけ社の夜は、いつもちょっとにぎやかだ。ただし、下駄の音もすすり泣きもない。響くのは、もっと生活感のある声たち。


 「こらぷるりん! また俺のプリン食べただろ!」

 ソファの上でスポーツ新聞をめくっていたマモルが、鬼の形相で立ち上がる。その指先の先、畳の上で「ぷる〜ん」ととろけているのは、件のぷるりん。口元には、見覚えのあるカラメルのあと。


 「ぷるる……ごめんなさいぷる。マモルさんのプリン、とってもおいしかったぷる……」

 「感想は聞いてない!」

 怒鳴るマモル。ぺしゃんこになるぷるりん。ちゃぶ台の横で将棋を指していたゲン爺がつぶやく。

 「謝るだけじゃ腹はふくれんが、一緒に笑えば虫もおさまるもんじゃ」

 そこへ、帳場のそろばんを弾くセンの声が飛ぶ。

 「ぷるりんの食費は経費だ。つまり、プリンは会社の資産。マモル、私物化するな」

 「俺の名前書いたんだぞ!?」

 「備品への記名は許可していない」

 正論のフルコンボにマモルは脱力し、場がしんと静まった。

 櫻子は湯呑みを手に、そんな騒ぎをくすくすと眺めていた。ケンカのようで、どこか温かい――おばけ社の日常だ。

 「でも……仲直りって、難しいですよね」

 ぽつりと、櫻子がつぶやく。

 「『ごめんね』って言っても、『うん』って返しても、すぐには元どおりにならない。心の中に、小さなトゲが残っちゃう」

 その一言に、誰もが一瞬だけ、言葉を失った。おばけでも、人間でも、きっと同じ。


 そして次の瞬間。


 ジリリリリリリリリリリ……!

 事務所の隅の黒電話が、けたたましく鳴り出した。



 「ええ、はい。お孫さんたちが……」

 櫻子は、受話器を肩に挟みながらメモを取っていた。電話の主は、事務所近くに住むおじいさん。その声は穏やかだが、どこか沈んでいる。

 「わんぱくな兄弟でのう。三日前にケンカして、それっきり口もきかん。無理に仲直りさせようとしても、かえって意固地になるばかりじゃ」

 受話器越しに、ため息がふう、とこぼれた。

 「おばけ社の噂は昔から聞いとる。……どうか、あの子たちが、また笑い合える『きっかけ』を、作ってやってくれんか」

 櫻子の胸に、小さな痛みが走る。わかる。ケンカのあとの、あの気まずくて、苦しい静けさ。

 「お任せください。全力でやらせていただきます」

 そう言って受話器をセンに渡すと、センはすっと背筋を伸ばした。


 「三沢おばけ社。契約内容を確認します」

 帳場の上で、台帳が開かれる。

 「依頼内容は『仲直りのきっかけ創出』。象徴的対価として、対象者であるお孫さん二人の『沈黙の十五分間』を、当社が預かります」

 「……沈黙を、預かる?」

 おじいさんの声に、少しだけ戸惑いがにじむ。

 「ええ。ケンカの中で生まれた、重たい『間(ま)』です。言葉が出ないあの時間を、こちらで引き受ける。かわりに、子どもたちがふたたび言葉を交わせば、その瞬間に沈黙はご返却。契約は、そこで完了です」

 沈黙が流れた。受話器の向こうで、おじいさんがじっくりと考えている気配が伝わってくる。

 やがて、ゆっくりとした声が返ってきた。

 「……その条件で、お願いします」

 センが、静かに台帳に名を記す。その筆が止まった瞬間――


 チリン

 誰も触れていないのに、櫻子の机の引き出しの中で、小さな鈴がひとりでに鳴った。それは、この社において「契約成立」を告げる、たった一度きりの音。

 「交渉成立だ」

 センがスタンプを打ち下ろすと、ガチャンという音が静かに事務所に響いた。


 その音とともに、物語が静かに動き出す。

 「さて」

 センが腕を組み、帳場の前に立った。

 「問題は――誰を派遣するか、だ」

 櫻子は、小さくうなずいた。

 「がんばりましょうね、みんな」

 その声に、事務所のおばけたちの目がキラリと光った。

 「仲直りのきっかけ、ねぇ……」

 マモルが腕を組んで唸る。

 「脅かすのが一番手っ取り早いとは思うが、オレの説教スタイルじゃ余計にこじれるか」

 「恐怖は扱いを誤ると逆効果だ」

 センが冷静に言う。

 「ここは、わしの古典芸を……」

 ゲン爺が立ち上がる。が、

 「前フリが長いから飽きられるって」

 くるみがスマホをいじりながら、ズバリ言い切った。

 「じゃ、SNSで『兄弟ゲンカなう』とか実況して、『いいね』の数で仲直りさせようよ」

 「却下だ。プライバシー軽視が過ぎる。貴様、SNS一週間禁止」

 「サーセン……」

 「ぷるる〜ん! ぷるりんが行くぷる〜!」

 「ダメだ。食べ物で釣るのは論外」

 「それ以前にお前が全部食べるだろうが!」

 議論は迷走していた。誰もが優秀だが、どこか噛み合わない。


 そのとき、センがふと視線を向けた。

 カウンターの下。つぎはぎだらけの小さな体が、尻尾をそわそわ揺らしている。

 「ポチゾンビ」

 「わんっ!?」

 「お前が行け」

 「ええええええ!?」

 事務所中に驚きの声が広がる。

 「せ、センさん正気ですかい? あいつ、ぷるりん事件の主犯ですよ?」

 「癒し枠でしょ、こいつ」

 だが、センは静かに言った。

 「今回の依頼は「仲直りのきっかけ」だ。恐怖でも説教でもない」

 彼はポチゾンビをまっすぐに見つめる。

 「友情を揺さぶるなら――犬が一番だ。理屈じゃない」


 その言葉に、誰もが言葉を失った。反論の余地など、どこにもなかった。

 指名されたポチゾンビは、きょとんとした顔でセンを見つめていたが――

 やがて何かを理解したように、むくりと立ち上がった。どこからともなく赤いスカーフを取り出し、ぐるりと首に巻く。


 「任せるんだワン!」

 ドン、と胸を張り、得意げにくるくる回って吠えてみせた。

 「おれは三沢おばけ社いちばんの、怖がらせ役だ! ぐるるる……わんっわんっ!」

 その姿はどう見ても、ただはしゃいでいるようにしか見えない。だが、瞳は真っ直ぐに輝いていた。


 「……本当に、大丈夫かな」

 くるみがぽつりとつぶやく。

 櫻子はそっとしゃがみ込み、ポチゾンビの頭を撫でた。

 「ポチちゃんなら、きっとできるよ。怖がらせようとしなくても、そばにいるだけで――何かが変わるから」

 その言葉に、ポチゾンビは「わんっ!」と力強くうなずいた。

 そして、小さな体に大きな決意をのせて、裏口から飛び出していった。

 その背中は、ほんの少しだけ、いつもより大きく見えた。


 三沢市の夜。住宅街の窓には明かりがともり、テレビの音が遠くから漂ってくる。 空には満月に近い月。地面に伸びた影を、米軍基地からのジェット音がゴウ、とゆらす。この街の子どもにとって、それはもう子守唄みたいなものだった。

 その夜道を、二人の少年が並んで歩いていた。小学四年の健太と、二年の弟・翔。いつもなら、じゃれ合いながら帰るはずの道を、今夜は一言も交わさない。


 三日前にケンカをした。それっきり、沈黙が続いている。

 原因は、泥水に落ちたサッカーボール。

 「お前のせいだ!」

 「そっちこそ、変なとこにいたから!」

 言い合いはヒートアップし、いつしか「謝ったら負け」の空気になっていた。 以来、ふたりの間には、分厚くて透明な壁ができてしまった。同じ家で、同じ道を歩いていても――声は届かない。


 「…………」

 「…………」


 健太は、ちらっと翔の横顔を見る。前だけを見ているあいつに、声をかけたい気持ちと、まだムカついてる気持ちが、ぐちゃぐちゃに混じっていた。翔も、黙っている兄に気づいていた。でも、今さら話しかけるなんて、絶対にできない。

 ジェット音が一度だけ強く響き、また遠ざかる。残されたのは、ただただ重い沈黙と、虫の声だけだった。

 ――どうして、こんなことになっちゃったんだろう。

 そんな気持ちが、二人の胸に、ほんの少しだけ灯っていた。


 十字路の角で、二人は足を止めた。

 ザザッ。

 ツツジの茂みが、不自然に揺れる。風はない。

 「猫?」

 「いや、でかい……」


 次の瞬間。


 「ぐるるるる……!」

 低い唸り声。月明かりの下から、影が姿を現す。ボタンの目。つぎはぎの体。異様な犬――ポチゾンビだった。


 「ワンッ!!」

 鋭い吠え声とともに、猛然と飛び出してくる!

 「うわああああっ!!」

 思わずそろった悲鳴とともに、二人はその場にしりもちをついた。

 が――突撃は、ぴたりと止まった。

 そして次の瞬間。

 ベロベロベロベロッ!

 「ひっ!?」

 ポチゾンビの舌が、健太の頬に襲いかかる。ぬるくてザラザラで、ちょっとヨダレくさい。

 「ちょっ……やめろって!」「くすぐったいって!」

 舌のターゲットは翔のランドセルにも向かい、ベロベロガジガジが止まらない。

 二人は、笑いながら転げ回った。

 ――氷のようだった空気が、ふっとゆるむ。

 一方、ポチゾンビは焦っていた。

 (ちがう! おれは! 怖がらせるために来たんだワン!)

 目の前の兄弟があまりにも可愛くて、美味しそうで、つい舌が……出る。

 (しっかりしろ! 俺! もう一回だワン!)

 距離をとり、改めて唸ってみせる。

 「ぐるるる……わんっ!」

 ――が、顔中よだれまみれでは迫力ゼロ。

 二人は、笑い涙をぬぐいながら見つめ合う。

 「なにあれ」

 「へんな犬」

 交わした言葉はそれだけ。でも、それでじゅうぶんだった。

 二人の間の氷が、ひとひら――音を立てて、溶けていった。


 (手強い奴らだな! 今のは、小手調べだワン……!)

 ポチゾンビは、自分に言い聞かせるように体を震わせた。

 (まだ終わってない……! 櫻子さんとの約束、果たすんだワン!)

 再び唸り声をあげながら、ポチゾンビは作戦を練る。

 (今度は顔じゃない。舌が出ちゃうから……よし、足元を狙う!)

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