第3章 ぷるりん分裂! アメリカンデーは大騒ぎ(一)
「はい、はい……ええ、そうですね。報酬はジュース引換券五十枚と、実行委員会からの感謝状、撤収一時間の但し書き……承りました。はい、はいはい!」
三沢おばけ社の受付カウンターで、小比類巻櫻子は受話器をしっかり握りしめ、頭をペコペコと下げていた。受話器の向こうからは、アメリカンデー実行委員会の役員たちの声が重なり、まるで合唱のように響いてくる。
櫻子が受話器を置いた瞬間、机の引き出しの中で、古びた鈴が――チリン、と鳴った。
誰も触れていないのに鳴るその音は、契約成立のしるしだった。
「というわけで、明日のアメリカンデー、行列整理と熱中症対策を頼まれました。但し書きも追記済み。契約完了です」
櫻子は少し誇らしげに言った。三沢市が一年でいちばんにぎやかになる祭りに、自分たちも関われるのだ。
そのとき、奥から経理担当のセンが現れ、分厚い帳簿をぱんと広げる。
「報酬、安すぎるぞ。ジュース券は去年より減っているし、感謝状なんて紙切れ同然だ。これじゃまた赤字まっしぐらだ」
「そ、そんなこと言わないでください、センさん。地域とのつながりは大切なんですから……」
櫻子が困ったように笑ったとき、畳スペースから「ぷるぅ〜……」と気の抜けた声がした。
まるで炭酸の泡がしゅわしゅわと消えていくような音色だ。声の主はぷるりん。夏の暑さにぐにゃりと溶け、眉(?)までだらしなく垂れ下がっている。
「ぷる……日差しが、つよすぎるぷる。お肌のてきぷる……」
「明日、猛暑日だって! ニュースで言ってたよ」
元気な声とともに、銀髪のボブを揺らしたくるみが入ってきた。手には涼しげなピーチソーダのボトル。キャップを軽くひねると、プシュッと泡が弾け、しゅわしゅわと音を立てた。
「くるみちゃん、そのシュワシュワ、ぷるりんに分けてくれたらどうぷる〜?」
「いやいや、ちょっとでも飲ませたら、ぷるりんが二体に増える未来しか見えないんだけど」
くるみの軽口に、事務所の空気が少し和み、ソーダの泡の音が小さな涼しい風のように広がった。ぷるりんは羨ましそうにぷるぷると体を揺らしていた。
「じゃあ、ぷるりんには明日の現地で冷たいものを調達してあげようかな」
櫻子がポンと手を打ち、にっこり笑いかける。
「ぷる……でも、暑いのやだぷる。人混みもいやぷる。行きたくないぷる……」
ぷるりんはしょんぼりとした声でつぶやく。
「大丈夫だ、今日は準備までだ。本番は明日だからな」
センが帳簿を閉じ、みんなに鋭い目を向けた。
――アメリカンデー当日。
街全体がシュワシュワと泡立つような熱気に包まれる中、本当の騒動が待ち構えていた。
三沢の街は、赤・白・青の星条旗と日の丸の小旗で彩られていた。基地のゲートからは陽気なブラスバンドの音が響き、英語と日本語のアナウンスが交互に流れている。
グリルでじゅうじゅう焼ける肉の香ばしい匂い。タコスやホットドッグのスパイシーな香り。通りのあちこちで缶を開ける「プシュッ!」という炭酸の音が弾け、熱気に包まれた空気をさらにざわめかせていた。
迷彩服の兵士と浴衣姿の子どもたちが同じ列に並び、手にはドル札と円。お祭りの喧騒は、まるで街全体が一つの大きな縁日になったようだった。
「ぐぅぅ……ぷるるる〜……溶けるぷる……」
ぷるりんが屋台の影で、ぺしゃんこになっていた。背中からは汗というより、もはや「ぷるぷるの汁」が染み出している。
「ぷるりん、もう少しだけ、がんばって!」
櫻子がうちわで仰ぎながら、心配そうに声をかける。
「むりぷる〜……気化するぷる……」
ぷるりんは白目をむいて、ぐったりと溶けかけたゼリーのように床に広がった。
その横で、センは氷入りの麦茶をぐい、と一口。
「自己冷却スキル、使用許可。契約書にも書いてある」
「ぷるりんのスキル……それ、保冷材扱いじゃないぷるか!?」
「用途に応じた物理特性の変化は、基本機能に含まれる。経費は出ない」
センの冷酷な言葉に、ぷるりんがぷるぷると震えた。
櫻子はそのやりとりを聞きながら、空を見上げてぽつり。
「……せめて、冷たいものでもあげられたらいいのに」
その一言に、カウンター下でぐったりしていたポチゾンビの耳が、ピクッと立った。
「冷たいもの……わん?」
次の瞬間、ポチゾンビはスッと立ち上がった。そのつぎはぎの身体に、まるで使命に目覚めた戦士のような緊張が走る。
「冷たいもの……まかせるワン!」
「え、ちょ、どこ行くの!?」
櫻子の声も聞かず、ポチゾンビはそのまま縁日の喧騒の中へ、ずどどどどどっ!と突進していった。
迷彩服の兵士とすれ違い、浴衣の女の子にしっぽを踏まれながらも、
「わん!冷たいもの!冷たいものはどこワン!?」
目指すは、ぷるりんを救う「究極の冷たい一品――!」
つぎはぎの体で駆け出したポチゾンビは、人混みのアメリカンデーをすり抜けながら、まっすぐ屋台の奥へと進んでいく。迷彩服のアメリカ兵たちが集う、冷却ゾーン。
「Yo! You lost, zombie dog!? (おい!道に迷ったのか、ゾンビ犬!?)」
「He lookin’ for ice, maybe! (アイスでも探してるんじゃねーのか?)」
兵士たちは笑いながら、手にしていた缶をひとつ差し出した。
銀色に光る缶には、「BEAST DREAM」のロゴと、やたらと目を光らせた虎の顔。
その横にでかでかと――
「AMERICA’S #1 FIZZ BLAST! TOO STRONG, TOO LOUD, TOO AWESOME! (全米No.1シュワ爆発! 強すぎて、うるさすぎて、ヤバすぎ!)」
ポチゾンビは意味不明な英語の羅列をじっと見つめたが、すぐに首をかしげた。
「ワン? なに書いてあるのかわからないワン……」
ただ、虎のイラストだけははっきりと目に焼きついた。そのギラギラした目が、まるで「おまえならやれる」と言っているようだった。
「いただくワン!」 ポチゾンビは深々とお辞儀し、缶をくわえると、くるりとUターン。そして全速力で駆け出した。
兵士たちは「Zombie got style! (ゾンビ、イケてんじゃん!)」と笑いながら、手を振った。
そのときぷるりんは曲がり角の先で、頭にタオルを乗せて日陰でへばっていた。
「ぷる〜……まだ冷たくならないぷる……」
自己冷却スキルの発動には思いの外時間がかかるようだ。
「待ってよぷるりん! 今行くワン! とても冷たいやつワン!」
ポチゾンビが勢いよく角を曲がった、そのとき――
「わっ!?」
ラーメン屋の出前帰りのおじさんと、ポチゾンビが正面衝突!
「わんっ!!」
ガシャーン!
ポチの口から放たれた銀色の缶が宙を舞い、くるくると回転しながら――
ぷしゅうぅぅ!
炭酸がはじけ、ぷるりんの上にドシャーッと泡がふりそそいだ。
「ぷ、ぷるるっ!? つ、つめたいぷるーっ!!」
ビリビリと震えながら起き上がった拍子に、泡がぴゅっと口に入った。その瞬間、ぷるりんの身体が内側からぽかぽかと熱くなり――
「ぷちゅん!」
白いぷるりんが二匹に増えた。
「ぷる……おまえ、わたし?」「ぷる〜ん、たぶん!」
二匹は見つめ合ったかと思うと、また「ぷちゅん!」「ぷちゅん!」。
あっという間に四匹、八匹……炭酸の泡が触れるたび、ぷるりんは増殖していく。
「わわっ! 止まらないワン!」
ポチゾンビが慌てる間に、裏通りはぷるりんだらけになっていた。
事務所のドアが、けたたましく開いた。
「たいへんだワン!!」
ポチゾンビが転がり込んでくる。舌は出っぱなし、しっぽは全開、泡と汗でずぶ濡れだった。
「ぷるりんが……ぷるりんがっ……いっぱい増えてるワン! 裏通りそこの角、ぷるるん地獄ワン!!」
「ぷるりんが増えてる……?」
櫻子が怪訝な顔をする。
「ねえ、それって比喩じゃなくて?」
「リアルに! 物理的に!」「しかもすごい勢いで増えてるっぽいワン!!」
センが帳簿を閉じて立ち上がる。
「何体だ? だいたいでいいから!」
「ひ、ひゃっぴきは超えてたワン……いや、二百、三百、もうわからないワン!」
ゲン爺の顔が引きつる。
「なんじゃと? それは、会場全域がぷるぷるで埋め尽くされる勢いじゃないか……!」
「それは困ります〜!!」と櫻子が叫ぶ。
「これはバズる予感しかしない! 現場行って撮ります! いっそげー!」くるみはスマホを手に玄関へと走り出す。
「全員出動!」センが低く叫んだ。
その声に押されるように、全員が玄関から飛び出していく。
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