13.sideルシアン 泣き言
ウェスノール王城のとある一室にて。
「ルシアン様っ! 公務がこんなに大変だなんて聞いてないわ! もうやってられない!」
ミランダはそう叫ぶと、不機嫌を隠そうともせず、肩を怒らせながら部屋を出て行った。
開け放たれた扉を力なく見つめながら、ルシアンは嘆く。
「ティナはこんな膨大な仕事量を、たった一人でこなしていたというのか……」
ルシアンの目の前には、書類の山がいくつも積まれている。ルシアンが貯め込んだ三、四か月分の仕事と、ティナが去ってからミランダがさばききれなかった分だ。
こんな量、終わるわけがない。弱気になったルシアンの目に、じわりと涙が滲む。
「ティナ、今どこにいるんだ……」
力なくつぶやくも、答えてくれる者は誰もいない。
婚約破棄を言い渡したあの日から、ティナは行方不明となった。己の専属騎士と共に。
無粋な連中は「二人は元々好き合っており駆け落ちしたのではないか」と噂していたが、その噂を耳にするたび、ルシアンは言いようもない感情に苛まれた。
彼女は昔から、恐ろしく頭のいい子供だった。また同時に、美しい女性だった。
両親やティナの父は彼女の外見を「まるで魔女のようだ」と忌避していたが、ルシアンは純粋に美しいと思っていた。艶やかな黒髪は神秘的で、黄金色の瞳は王家を照らす太陽に見えた。
そんな彼女が自分の婚約者となり、最初は誇らしかった。頼もしい彼女がこの先も隣にいてくれるなら安心して王になれると、そう思っていた。
しかし、周囲の目が、周囲の言葉が、ルシアンを歪めていった。
『ルシアン様。ティナ様を見習って、もう少し頑張ってください。このままでは、立派な王にはなれませんよ』
『ルシアン様は、ティナ様よりも物事を理解されるのに時間がかかるようですね。今はティナ様と同じ教育を受けていらっしゃいますが、専属の家庭教師をつけた方がよいでしょう』
明確にティナと比較され、出来が悪い王子と揶揄される。どれだけ努力しても彼女の足元にも及ばず、得意なことは乗馬と狩りくらいだ。王としての素質もなく、圧倒的な才能の前に打ちのめされた。
王族としての矜持を保てず、ルシアンは勉学から、そしてティナから逃げ出した。
両親からはちゃんと向き合えと叱責されたが、適当に言い訳をして逃げ続けた。いつしか、「俺だってやればできる」が口癖になっていた。
正式に王太子となってからは、公務を全て彼女に押し付けた。頭のいい君なら、これくらいできるだろう、と。
ただの当てつけだったが、半ば想像通り、ティナは二人分の公務を完璧にこなしてみせた。
それだけでなく、ルシアンが外交で他国の王族や貴族と話す際、会話に困っているとティナが必ずフォローを入れてくれた。しかしそれがプライドに障り、ルシアンは彼女と二人きりになってから、決まって彼女を叱責した。いい気になるなよ、そんなに賢いアピールをしたいのか、と怒鳴った回数は片手では収まらない。
何度も助けてもらったのに、なんて愚かなことをしていたのだろうと、今になって痛感する。
ルシアンがミランダに出会ったのは、彼女がティナの義妹となってからだ。
ミランダはティナに会うために、しきりに王城に訪れていた。当時は随分と仲の良い姉妹だなと感じたくらいだったが、今になって思えば、ミランダは義姉ではなく自分に会いに来ていたのだろうと、ルシアンは思う。
その後、ミランダもルシアンたちと同じ貴族学校に入学し、そこから一気に距離が縮まった。
美しいティナとは違うかわいらしさと、一歩引いて男を立てる慎ましさ。ミランダのそんなところに惹かれていき、いつしか密会を重ね、恋人関係になった。
そしてルシアンは、最終的にティナではなくミランダを選んだ。
「この選択は、間違っていたのだろうな……」
婚約してからというもの、ミランダは徐々にその本性を現した。
初めこそ真面目に公務に取り組んでいたものの、今では五分も机に座っていられない。次第に態度が横柄になり、趣味の買い物に明け暮れるようになった。
頭脳は言わずもがな、ティナの足元にも及ばない。ティナに勉強を教えてもらっているから、自分も賢いと言っていたミランダの言葉に、完全に騙された。
これまで勉学から逃げてきたルシアンが言えたものではないが、ミランダは王太子妃としての素養が全く感じられなかった。そのうち、元男爵家のご令嬢は未来の王妃として相応しくないという声や、今回の婚約破棄騒動の責任を追及する声も上がるようになった。
ルシアンもすべての関係を元通りにしたかったが、王族が何度も婚約破棄を繰り返すことは望ましくなく、ミランダとの関係を断ち切るのは絶望的だった。王家の体裁というものがあるのだ。
そもそも、ティナを取り戻そうにも行方がわからない。元通りになど、なるはずがなかった。
全てがうまくいかなくなって初めて、ルシアンは己の選択を激しく悔いた。しかし、後悔してももう遅い。
先の見えない未来に絶望するルシアンだったが、意外にも父王は怒らなかった。「これからのことを思えば追い出して正解か」とか「あれは真面目過ぎたからな」とか言っていたが、正直なんのことかよくわからなかった。
怒られはしなかったが、当然ながら公務は降ってきた。
元々はルシアンの無能さが露呈しないよう、一部の仕事を父王が片付けていたようだが、民衆にまで王太子の無能さが知れ渡った今となっては、すべて自分でこなせと言われている。
その上、ミランダの分もなんとかしろと命じられた。無理に決まっている。
「ティナ、お願いだ。帰ってきてくれ……」
ルシアンは鼻をすすりながら、情けなくつぶやくのだった。
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