No.28 九日目・秘書「ただいまの声」

インターホンが鳴り、眼鏡執事が待ち構えていたように対応し、遠隔で門扉を開ける。

ユニも定位置の絨毯から立ち上がり、スタスタと玄関ホールへと移動していった。


「ユニーーーーー!ただいまぁ!」


聞こえてきたその声の明るさで、顔を見る前に俺の心配が全て払拭できた。

もう大丈夫、ミカは元気になったのだ。


「おかえり、ミカ」

「おかえりなさい、ミカ様」


彼女は俺たちの顔を見て、はにかむ。

横に立つマドカさんが、彼女のことを肘で突き、「ほら、何て言うの?」と促した。


「執事のおじさんも、秘書のおじさんも、ごめんなさい」


ぴょこんと頭を下げると、ポニーテールの髪がパサリと揺れた。


「ミカ、おじさんたちに黙ってムッチとお出かけしたこと、反省しています。麦わら帽子を持っていかなかったことも、ムッチにお水を飲みたいって自分から言わなかったことも、ごめんなさい」


執事はその言葉に胸を詰まらせながら、返事をする。


「本当ですよ。とても心配しました。でも、元気になってよかったです」


ミカは自分が誘拐されたという認識は、ないようだ。

もちろん、自分の父親がこの事件に関わっているということも知らない。

マドカさんは、ミカがもう少し年齢を重ねたら、きちんと話すつもりだという。


「秘書のおじさん、ゲンくんの万華鏡を届けてくれてありがとう。ねぇ、それどうしたの?お怪我?」


ミカは、絆創膏を貼られた俺の頬を指差す。


「執事のおじさんもだ!足、痛いの?折れちゃったの?」


「執事の足は折れてないし、俺のほっぺも縫うほどの傷じゃない。実はミカがいなくて退屈だったから、二人で森でかくれんぼをしてたんだ。ハリーの歌を歌いながら。で、はしゃいでいたら二人して怪我をしてしまった」


「えっ」


ミカは驚いた顔で俺たちを交互に見る。


「えぇ、森は危険でした。私も秘書も、もう二度と森でふざけたりしません」


彼女は俺たちのそばに近づいてくる。

手を伸ばして俺には絆創膏の上から、執事にはサポーターの上から、ヒーラーのようにそっと患部を撫でてくれた。


(ミカはやさしくていい子だ。今回の事件がよい教訓となって、自分の身をちゃんと守れる子になるといい)


「私、ちょっとお隣の山本さんにご挨拶してくるわ」


俺たちからは、事件の全貌をペラペラと喋りにくく、山本さんには曖昧な説明しかしていない。

マドカさん自らが話しに行ってくれれば、山本さんも安心するだろう。


「ミカ。朝顔もちゃんと咲いてるぞ。今日は三つだ」


「三つかぁ」と言いながら彼女がテラスへ移動すると、まるで警護するようにユニがその後ろをついていった。



マドカさんは、山本さんのお宅の庭で採れたばかりだというトウモロコシを、四本も貰って帰ってきた。

そういえばこの休暇中、素麺、スイカ、かき氷と夏らしい食べ物を色々食べたが、トウモロコシはまだだった。


「山本さんが「ハリーの執事さんと秘書さんはとても優秀で、本当にお世話になったから」って、くださったのよ。すごく褒めてらして、私も鼻が高かったわ。夏祭りでも随分と活躍したらしいわね。ご近所の奥様方と写真撮影にまで応じてあげたんですって?」


執事がタキシードを着たり、俺が麦わら帽子をかぶって焼きそばを焼いたりしたのが、遥か遠くの出来事のように感じる。

通常、執事も秘書も、主人のために存在する裏方だ。

どちらもトラブルなく物事を回すことが大前提で、第三者に「よくやった」と褒めてもらうような華々しい機会はない。


こうして、感謝されるのは歯がゆくもあるが、やはりうれしかった。

執事も同じように思っているのか、採れたてのトウモロコシを見つめながら、眼鏡の奥で微笑んでいる。


「私もアナタたちにはお世話になりっぱなしだったから、せめてものお礼にお昼ご飯を作らせて。冷蔵庫のものを適当に使っていいかしら?」


彼女はテキパキと炊飯器をセットし、冷蔵庫を覗き込んで思案したあと、親子丼を作ってくれた。

キッチンには麺つゆを使ったとは思えないほど、出汁のいい香りが漂っている。

大きな鍋でトウモロコシも茹でてくれ、さすが主婦の手際の良さだと賞賛を送りたくなった。


「いただきます!」


親子丼は卵もトロッと半熟で、味付けもちょうどよく、家庭料理として最高に美味しかった。

ミカもやはり母親の作るご飯が大好きなのだろう。

「おかわり!」と、大きな声で告げている。


トウモロコシは、マドカさんの半分がユニにお裾分けされていた。

口の周りの白い毛に、黄色い粒がつくことも気にせず、ほぐしてもらった実を夢中に食べている。

甘くて瑞々しいトウモロコシで、これで夏を全て味わいつくしたような気分になった。


(そういえばこの夏季休暇中、プロテインを飲むのを忘れていたな。休みが明けたらまたボディメイクを頑張らなくては。でも明日までは、好きなものを食べまくろう……)


「ミカ、昨日は病院でお風呂入れなかったから、シャワー浴びてきちゃいなさい」


「はーい」


食後にそう言われたミカは、「お風呂が怖い」だの「一人じゃ無理」だの言わずに、素直にバスルームへ行く。

昼間だから大丈夫なのか、屋敷内に母親がいるから安心なのか、小さなレディの気持ちはおじさんには分からない。

ただ、すっかり心配性になってしまったかのように、ユニだけがミカの後ろを歩きバスルームまで付き添っていた。



俺がアイスフルーツティーを作り、マドカさんと執事の三人で、居間へ移動する。


「イベント最終日に予定されていた大きな商談は、どうなったんですか?」


気になっていたことを訊ねる。


「もちろん上手く行ったわ。私にもね、アナタたちのような優秀な部下がいるのよ。でもアナタたちほど頼れる人はいない。この十日間、本当にお世話になりました。何度でもお礼を言うわ。こんな執事と秘書がいて、弟も幸せだと思う」


「あの、坊ちゃんには今回のことは……」


「えぇ、明日、豪華客船が帰港したら、私から全て報告しておく。ムッチのこともあるしね」


ムッチは、まだ動物園近くの警察に拘留されているそうだ。

それでも彼自身は誘拐だという自覚がなく、ミカを意図的には傷つけていないため、不起訴になる可能性が高いという。

一方父親は、ミカを連れ去らせた首謀者として、さらに屋敷への侵入、強盗未遂、執事へのスタンガンによる傷害など、重い罪に問われる見込みらしい。


(CEOも自分の元義兄と、元メンバーが関わっていた事件だけに、心を痛められるだろう……)


「実刑判決が出るとしても、油断はできないわ。今後ミカへ勝手に近づけないよう、弁護士とぬかりなく法的な手続きを進めることにしたわ」


マドカさんは迷いのない声で、事の顛末を詳しく話してくれた。


「それからこれ。使わずに済んだから。ありがとう」


ATM備え付けのペラペラの封筒に入った50万円も、使われることなく執事へと返却される。

執事はそれを、まるでミカが無事であったことの証しであるかのように、両手で恭しく受け取っていた。

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