No.27 九日目・執事「二人で後片付け」

スマホのアラームが鳴り、目が覚めた。

大きく伸びをしようと足首を動かすと激痛が走り、昨日のことを思い出す。


キングサイズのベッドにミカ様の姿はなく、私、ユニ、秘書の二人プラス一匹が横たわっている。

手元にあるスマホは、画面が割れ、一筋のひびが入っていた。


私はゆっくりと身体を起こし、サポーターが巻かれた自分の足と、近くに置かれた松葉杖を見て、深いため息をつく。

昨日は秘書のスマホのGPSを頼りに、私が落ちた沢まで警察の方々が駆けつけてくださった。

大げさに担架に乗せて運ぶというので固辞したが、担架かおんぶという二択だと聞き、結局は担架を選んだ。


私がお屋敷に戻った段階で、すでに父親は連行されており姿はなかった。

もし顔を合わせていたら、汚い言葉で罵ってしまったかもしれない。

だとしたら、もう二度と顔を見ないままでいいだろう。


暑い中、危ない森を単身で探しにきてくれた秘書には、もちろん深く感謝をしていたが、きちんとお礼を言うタイミングがないままになっている。

昨日は警察に事情を訊かれたりで、慌しかったからだ。

夏季休暇が終わるまでにはお礼を述べたいが、大声で坊ちゃんの歌を合唱したことについては、一生触れないでおこう。


その後、警察の方に病院まで連れていっていただき、捻挫だと診断され、処置をしてもらう。

秘書の頬にできた一文字の傷も、一緒に消毒してもらったのだが、「痛い!染みる!」と叫ぶ声はなかなかに無様だった。

ただ「顔に傷が残ることはないだろう」という話で、私も心底安堵する。


(坊ちゃんの秘書が、頬に不穏な傷跡があったのでは、あらぬ誤解を受けかねませんからね)


ミカ様も、お元気になられたそうだ。

ただ念のため、一晩だけ入院されることに。

マドカさんは警察に出向き事情を聞かれたりもしたようだが、昨晩はミカ様に付き添って病院に泊まっている。

二人とも、もう何の不安もない環境で、熟睡できているといいのだが。


一時はトップアイドルだったムッチが絡んだ事件ゆえに、何らかの報道が出てしまうのではと私は、少なからず心配だった。

『ハリーの姪っ子を、元メンバーのムッチが誘拐。主犯はハリーの元義理の兄!』となれば、あることないこと詮索されてしまいそうだ。

皆が傷つき、皆が辛い思いをするだろう……。


しかし、秘書が仕事の伝手を使ってマスコミを抑えてくれたらしい。

その素早い仕事ぶりは素直に尊敬できたし、ありがたいと思えた。



松葉杖を抱え、手摺に掴まりながら階段を下りて一階へ行く。

そもそも松葉杖などなくても歩けるのだが、無理をすると長引くと言われた。

早く治すためには、医師の指示に従わなければなるまい。


私を追い抜くように、ユニとタンクトップの秘書も階段を下りてきた。


「あー、改めて見ると居間はひでぇ有様だな」


父親が侵入するために割ったらしい掃き出し窓の一部は、テープで補強されたままだが、これは後日業者が来てくれることになっている。


そんな居間のソファで、私はサポーターの下の湿布を、秘書は頬の絆創膏を取り替えた。

私の足の腫れはまだ引いていないが、秘書の頬の傷は少し良くなっているような気がする。

ユニはキョロキョロとミカ様を探すような素振りをしながらも、秘書が用意してくれた水と、規定量のフードにガッツいていた。


お屋敷の中は、父親に家探しされ、その後警察が多数出入りし、鑑識作業が進められたままの状態になっていて、居間以外も落ち着かない。

私たちは簡単に朝食を取り、早速片付けを始めた。


最初に手を付けたのは、ミカ様の朝顔だった。

テラスに出ると、支柱が外れ、土がこぼれた状態なのに、今朝もコバルトブルーの花を三つも咲かせていた。

その美しさはこの夏を象徴しているようで、私はしばらく見惚れてしまう。


(ミカ様の丹精込めて育てた朝顔。茎が折れて枯れてしまうようなことがなくて、本当によかった)


「ユニが散歩に連れてけってうるさいから、ちょっと行ってくるよ。大きな場所は俺がやるから、アンタは細かいところを片づけていてくれ」


足を気遣ってくれる秘書の言葉に甘え、私は椅子に腰掛け作業できる場所から、片づける。

大きく破損しているような物はなく、ミカ様が違和感を抱かない程度には、原状復帰できそうだ。


しばらくして散歩から戻った秘書が、私にブリーフケースを差し出してきた。


「ノウゼンカズラの根元に置いてあったけど、アンタのだろ?散歩から帰ってきて見つけたんだ。夜露に濡れちゃってたぜ」


「あぁ!そうでした。私としたことがすっかり忘れておりました。昨日両手を空けるために隠したのです。濡れたところシミになっていますね……。どうしましょう。まずは拭いて、日陰に干して……。それで元通りに直るでしょうか?」


鞄の心配をする私を、秘書は複雑そうな顔をして見ている。


「どうされました?」


「あのさ、もしかしてその鞄、CEOにプレゼントされたのか?」


「えぇ。実はそうなんです。私が執事に就任した年の誕生日にいただきました」


ちょっとマウントを取ってしまうような、弾んだ声で自慢げに言ってしまった。


「お揃いだ、俺と……。俺も秘書になった年の誕生日に、CEOから同じブリーフケースをいただいた」


それは、互いにとって素直には喜べない事実だった。



片付けは順調に進んでいった。

散らかったものがあるべき場所へ戻り、こびりついた汚れが拭き取られていくと、昨日一日で溜まった心の澱のようなものも、消えてなくなるように感じる。


「だいたい片付いたな。俺はテラスの汚れが気になるから、次は外をやるよ。アンタはデキャンタを並べてくれるか?」


「承知しました。ではテラスをよろしくお願いします」


デキャンタは鑑識さんが撮影するために、全て食堂のテーブルの上に並べられていた。

私はそれを一つ一つ居間へと運び、クロスで磨いてから並べていく。

元々どういう構図で並んでいたか、全て頭に入っており、迷いなく置いていけた。

バカラのデキャンタコレクションは、お祖父様がこの家の主人だった頃と変わらない美しい輝きを放っている。


「あのさ、倉庫前に置いてあったデッキブラシ、知らないか?汚れが酷いから、あれで擦ろうと思うんだけど見当たらないんだ」


消えたと思った心の澱が再び浮上し、昨日の記憶がブワッと蘇る。

なぜ私はあれを装備して森へ入ったのか。

森ではあの長さが武器として適していないということは、少し考えればわかっただろうに。


「デッキブラシですか?さぁ、心当たりはないですね」


私はシレっと嘘をつく。

彼に、今もデッキブラシが沢の近くに落ちていることを伝えるのは、あまりにも面倒だったから。


「プール掃除のときみたいに、高圧洗浄機をお使いになればいいのに」


ただそう伝えた。


居間の絨毯の上では、ユニが退屈そうに寝そべっている。

私は一人、このサモエドに近づき、初めて犬の頭の上を、ほんの少しだけ触った。

想像していたよりも、さらにフワフワとしている。


(犬、苦手なんですけどね。アナタのことは可愛く思えるようになりましたよ)


「もうすぐミカ様が戻ってこられますからね」


そう伝えると、ユニはうれしそうに「ワン!」と鳴いた。

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