No.26 八日目・秘書「蝉の鳴く森」

助手席にユニを乗せた愛車が辿り着いたとき、屋敷前にはパトカーやパトランプをつけた乗用車が数台止まっていた。

山本さんやご近所の方々が遠巻きに様子を窺っていて、俺の顔を見るなり近づいてくる。


「どうかしたの?ミカちゃんは大丈夫?」


「ご心配お掛けしています。ミカは今、マドカさんと居ますので」


「そう、よかった……」


山本さんは心底ほっとした顔をした。


「俺、ちょっと中で話を訊いてきます」


「えぇ、そうして。引き止めてごめんなさいね」


ユニと一緒に門扉より中に入ろうとすると、すぐに制服の警官が近寄ってくる。


「この家の関係者です。動物園の誘拐現場から戻ったのですが、こちらの状況は?」


警官は事情を把握しており、俺をテラスへと誘導してくれた。

玄関ホールではなく、皆ここから出入りしているようで、多数の靴が入り乱れている。

居間を覗くと、泥棒が入ったのだと一目で分かるように、家具が荒らされていた。


ユニはそんな人込みをすり抜けて屋敷の中へ入っていき、逃げるように階段を上がっていく。

白い犬なりに、動物園での出来事と、今この状況が怖いのかもしれない。

きっと、ミカの匂いのするベッドにもぐり込み、丸くなって眠るつもりなのだろう。


居間を抜け食堂へ行くと、黒い服を着た男が、後ろ手に手錠をかけられ、佇んでいた。

プロレスラーのように背が高く、肩幅もあり体格がいい。

……こう言ってはなんだが、目元がミカに少し似ている。

俺は男を鋭く睨みつけたが、アチラは目を合わせようともしない。

ふてぶてしくそっぽを向いているだけだ。


私服の刑事が俺のところへ来て、状況を説明してくれた。

動物園に来てくれた警察から、こちらの管轄に連絡が入り、まずは警邏中の警官が自転車で屋敷へ立ち寄ってくれたそうだ。

警官が門扉を乗り越え中へ入ると、いかにも物取りに合ったと思われる居間の惨状が目にとまる。

彼は本部へ連絡後、まだ犯人が屋敷の中にいる可能性を考え、気配を消して一部屋一部屋見て回ったという。

そうして、二階奥の部屋で、バカラのデキャンタを一つ一つ丁寧に梱包し、スーツケースに詰め込んでいる犯人を見つけ、現行犯逮捕に至ったという流れらしい。


「持ち運ぶためにスーツケースも梱包材も用意されていて、かなり用意周到だったようですな」


「でも、もう安心です」とでも言いたげな刑事に俺は問う。


「白いシャツに黒いスラックスを履いて、眼鏡をかけた男は今、どこにいますか?警察に事情を説明しに行ったりしているのでしょうか?」


「眼鏡の男?いや、私は把握しておりませんが、その人物は?」


(てっきり、犯人逮捕に一役かって、どこかで労われているのかと思ったが、どこにいるんだ?まさか、ユニのようにベッドで丸まっているわけでもあるまい……)


「私と一緒にこの家を守っている者です。おそらく警察官が自転車で来てくれたより前に、この屋敷へ戻っていると思うのですが……」


ククッと低く笑うような声が、耳に届いた。

手錠をかけられた男が、先ほどとは違い、俺を見据えている。


「執事と秘書、二人じゃなく、どちらか一人だったらこの計画も成功していたはずだ。全く忌々しいぜ」


小さな声で俺に語りかけてきた。


「おい!執事は?アイツはどこだ!」


男はアゴをしゃくるようにして裏庭のほうを、示す。


「今頃、泣き叫んでるんじゃないか」


耳元でそう言われ、俺は執事に何かあったのだと、ようやく気が付く。

テラスから庭へ飛び出すと、背後からさっきの刑事が「このスマホはどなたの物でしょう?」ととぼけた声で訊いてきた。

振り向いた俺の目の端に映った黒いスマホカバーは、執事の物だ。

さらに、テラスの端で倒れている朝顔の植木鉢も目に入る。


俺は返事ができぬほど慌てて裏庭へ回るが、倉庫やプールの辺りには異変がない。


「森か……」


一旦引き返して警察官に助けを乞おうか、僅かに迷った。

もしくは二階からユニを連れてくるべきか……。

しかし焦るあまり冷静な判断ができず、「とにかく少しでも早く見つけてやらねば」と、一人で森へつながる柵を乗り越えた。



森は少し進むだけで、庭の樹々とはまるで違う景色を見せてくる。

奥が深く高低差があるから、CEOだって絵日記に「あぶないから入りません」と書いていたわけだ。


これは闇雲に探しても見つからないだろう。

俺は獣道のような心もとない道を、凝視する。

踏みしめた跡があったり、折れた小枝があったりする方を選びながら、進んでいく。

ところどころ、まるでデッキブラシかなにかを、引きずったような形跡もある。

これは一体、何の跡だろうか?


「おーい、どこにいる。聞こえたら返事をしろ!」


大きな声を出すが、庭の比ではない大量の蝉が鳴き喚く音で、全てがかき消されてしまう。

ある程度進んだところで、俺はふと立ち止まる。

人が歩いたような痕跡が、全て途切れたのだ。

おそらく、どこかの分岐で進む方向を間違えたのだろう……。


上空を見上げても、樹々が重なり合い青空は見えない。

屋敷の屋根も見えず、方向感覚も怪しくなっている。

それでも俺は、止まっていられずまた走り出した。

きっと執事は、俺が探しにくると信じて疑っていないだろうから。

見つけてやらなければ、ならないから。


突然、カラスの羽音がバサッバサッと聞こえ、「カー!」と甲高い声が響いた。

蝉は一斉に鳴き止み、一瞬だけ森に静寂が訪れる。


そのとき、微かに聞こえたのだ。

下手くそな歌が。

ミカが風呂に入っているときに一緒に歌ったあの歌、盆踊りで踊ったあの歌だ。


再び蝉が一斉に鳴き始めれば、もう聞こえない。


(俺がこんな真剣に探してやってるのに、お歌を練習とは、いい気なものだな)


もちろん本当は分かっている。

アイツなりに、必死に自分の居場所を俺に伝えようとしていることは。


「おい!もっともっと、大きな声で歌え!」


腹の底から声を出し、森に向かってそう叫んだ。



俺は走りながら考える。

歌は歌えるが、その場所から移動できないのだとしたら、足を踏み外し、どこかへ落ちているということだろうか。

だとしたら、怪しいのは沢だ。

大きな落差があるから、落ちて足でも挫けば、自力では上がれないだろう。

もし、落ちた沢を下ろうと考えたとしても、岩がゴロゴロとしている。

執事は状況を悪化させないため、落ちた場所で待機している可能性が高い。


俺は沢へ出る道を必死に探す。

そして、見つけた沢を覗き込みながら、ゆっくりとそれに沿って歩く。


ついに、蝉の鳴き声に負けず、俺の耳に下手くそな歌が届いた。

この先に執事がいる。


微かに聞こえるメロディに合わせて、俺も大声で歌い始めた。

二人で声を合わせ、森の中で合唱している。

もし、CEOがこの場面をご覧になったら何というだろう。

腹を抱えてケラケラと笑い「最高!」と褒めてくれる姿が、思い浮かんだ。


「おい。そんなところで何をやってる」


やっと見つけた執事に、俺は沢の上から声をかける。

ミカはマドカさんと一緒にいるし、犯人も警察に捕まった。

そして、執事の無事も確認できたのだ。

あとはこの男を連れ帰ればいいだけだと、肩の力が抜けていく。


「ミカ様は、ご無事ですか?」


執事は歌うのをやめ、そう尋ねてきた。

大声を出し過ぎたのか、彼の声は掠れている。


「あぁ。熱中症でグッタリしていたが、今頃は病院で点滴を打ち、きっと回復している。父親も屋敷で警察に確保されていた。バカラも無事だ」


「そうですか。よかった……」


執事は微笑んだ。

俺は、「ちょっと待ってろ」と伝え、沢に降りれる場所を探し五メートル下へ救助に向かった。


辿り着いた先で、すっかり安心しきった顔をして大木に凭れ掛かっていた執事を見て、俺は腹が立ってしまう。

俺がどれだけ心配したか、分かっているのかコイツは。


「オマエに、オマエに何かあったらCEOが悲しむだろ!無茶しやがってバカか!」


そう怒鳴ってしまった。

執事は怒っている俺の顔を覗き込んでくる。


「アナタこそ、頬にそんな傷を作って……バカじゃないですか?坊ちゃんが心配するでしょう。気を付けてくださいよ」


「バカとはなんだ!」


「アナタが先に言ったのでしょう!」


罵りあったら、少し気持ちがスッとして、俺は冷静になれた。


(執事にミカを連れ出したのがムッチだったと伝えたら、どれだけ驚くだろうか。見ものだな)


スマホを取り出してみると、意外なことにギリギリ電波が届いている。

俺は警察へ電話をかけ、二人で救助を待つことにした。

もう疲労困憊で、とてもじゃないがこの男を背負って屋敷まで戻るのは効率的ではない。

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