第30話 感謝

翌日。

午前中から、部屋の中は慌ただしかった。


電話が鳴る。

誰かが席を立つ。

午後から現場へ出る人間も多く、いつもより人の出入りが激しい。


その中で、さくやは何度も呼ばれていた。

「咲夜君、これ確認お願い。」


「はい。」


「咲夜君、午後の資料って――」


「もう共有してあります。」


「咲夜さん、ちょっといいですか?」


「はい。どうしました?」


呼ばれる。

戻る。

また呼ばれる。

それでも、さくやはいつも通りだった。

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昼前。

主任が数枚の資料を持ってきた。

「咲夜君。」


「はい。」


「悪い。これ、今日の現場用にまとめてもらえる?」


さくやが資料を受け取る。

「何時までですか?」


「できれば二時。」


壁の時計を見る。

十二時前。

「分かりました。」


「厳しそうなら言って。」


「大丈夫です。」


主任が離れていく。


机の上には、別の作業途中のファイル。

画面には未読のメール。

そこへ新しい資料が加わった。


さくらは、

少し離れた席からそれを見ていた。

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昼休み。

さくやは席を立たなかった。

「今日もお昼まだ?」


「ああ、これだけ先に形にしようかなって。」


「二時までのやつ?」


「そうです。」


「大変そうだね。」


「そんなでもないですよ。」


さくやは笑った。

「ある程度まとまれば早いんで。」


「そっか。」


さくらは自分の席へ戻った。

弁当を食べながら、


さくやの机を見る。

現場用の機材リスト。


見覚えがあった。

以前、さくらも同じ形式のものを作ったことがある。


しばらくして、

さくやがスマートフォンを持って席を立った。

「ちょっと電話してきます。」


部屋を出ていく。

さくらは共有フォルダを開いた。

必要な資料を探す。


型番。

数量。

持ち出し先。


自分にもできる作業だった。

だったら、

やっておけばいい。


さくらは必要な情報を拾い始めた。

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午後。

電話を終えたさくやが戻ってきた。


「さくや君。」


「はい?」


「これ。」


さくらが紙を渡す。

「今日の機材リスト。必要なところだけ拾っておいたよ。」


「え?」


さくやが資料を見る。

「これ、さくらさんが?」


「うん。前に私もやったことあったから。」


ページをめくり確認する。

「あ……ここまでやってくれたんですか。」


「うん。」


「これなら、あと確認するだけでいけます。」


さくやの表情が少し緩んだ。

「ありがとうございます。」


そして、

もう一度資料を見る。

「本当に助かりました。」


その言葉が、

さくらの中に残った。




しばらくして。

「よし。」


さくやが小さく声を上げた。

「終わった?」


「はい。間に合いました。」


まだ二時前だった。


「よかったね。」


「いや、本当に助かりました。」


さくやは椅子の背にもたれ、

少しだけ肩の力を抜いた。


そこへ同僚が声をかける。

「咲夜さん、今いいですか?」


「はい。」


さくやが振り返った。

今度は、

返事までに間がなかった。


「どうしました?」


いつもの声だった。

さくらは、その様子を見ていた。

昨日まで気になっていた、

ほんの小さな違和感。


今は、

いつものさくやに見える。


そして、

ふと思った。


やっぱり。


何に対してそう思ったのか、

自分でもはっきりとは分からなかった。


ただ、

やってよかった。

それだけは確かだった。

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夕方。

帰り支度をしていると、

さくやが声をかけてきた。

「さくらさん。」


「ん?」


「今日、ありがとうございました。」


「もういいって。」


「いや、結構助かったんで。」


「私も分かる作業だったから。」


「それでもですよ。」


さくやは笑った。

「一人でやってたら、たぶん昼飯食べ損ねてました。」


「ちゃんと食べたの?」


「食べました。」


「ならよかった。」


何でもない会話だった。


けれど、

その笑顔と、

助かりました

という言葉だけは、

妙に残った。

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帰り道。

さくらは今日のことを思い返していた。


自分がやったことは、

大したことではない。

できる仕事を、

少し手伝っただけ。


それでも、

さくやは喜んでくれた。


主任からも、

最近は「助かっている」と言われた。

以前は、自分から動くことが怖かった。


余計なことをして、

誰かに迷惑をかけるかもしれないと思っていた。


でも。

今日みたいに、

自分にできることなら。

頼まれるまで待たなくても、

やっていいのかもしれない。


その方が、

相手も楽なのだから。



その夜。

ふと、さくやの声を思い出した。


「本当に助かりました。」


昼間より、

少しだけ軽くなったように見えた表情も。


それが本当に、

自分のおかげだったのかは分からない。


でも、

さくらにはそう見えた。


だから。

やっぱり、やってよかった。

そう思った。


それはまだ、

誰が見ても、

間違いとは言えないことだった。

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