第23話 歪み

大型案件まで、一週間。

部署全体が慌ただしくなり始めていた。


電話が鳴る。


営業が走る。


プリンターは休むことなく資料を吐き出し続ける。


そんな中でも、さくらは以前とは比べものにならないほど落ち着いていた。

確認を怠らない。

分からないことは聞く。


主任からも評価されてきた。

「橘さん。」


「はい。」


「この前の系統図、助かったよ。」


「いえ、お役に立てて良かったです。」


その笑顔は、以前よりずっと自然だった。


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昼休み。

涼子は翌週の現場資料を机に広げていた。


その横に、付箋を貼っていく。

「ここ注意。」

「ここ確認。」


いつもの準備だ。


昼食へ行こうと席を立ち、三十分ほどして戻る。


資料を閉じようとした、その時だった。


「あれ……?」


貼ったはずの付箋が、一枚ない。


机の周りを探す。

床も見る。

見当たらない。


「飛んだんかな。」


そう思いながら資料をめくると、付箋は別のページに貼られていた。

しかも、内容に合わせて貼り直されている。


「……。」


しばらく、その付箋を見つめる。


確かに、自分が貼った字だ。

でも、この位置ではない。


「誰か、貼り替えた……?」


小さく呟く。

その時、後ろから声がした。


「どうしたんですか?」


さくらだった。


「いえ。」

涼子は笑顔を作る。


「付箋の場所、間違えたみたいです。」


「そうですか。」


さくらも資料を見て微笑む。


「でも、この方が見やすいですね。」


「……そうですね。」


涼子はそう返した。


それ以上は何も言わなかった。

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午後。

現場準備をしながら、涼子はそのことを思い返していた。


誰かが貼り替えた。


そう考える方が自然だ。


でも。

誰が?

なんのために?

悪戯とは思えない。

嫌がらせでもない。

むしろ、見やすくなっている。


「……考えすぎか。」


頭を振る。


忙しい時期だ。

疲れているだけかもしれない。

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その日の夕方。

さくらは一人、資料棚の前に立っていた。


――昼休み――


涼子の机に置かれた資料が目に入った。

付箋の位置が少しだけ分かりづらいと感じた。


だから貼り直した。

それだけだった。


涼子なら、きっと見やすい方が仕事もしやすい。


そう思っただけだった。

悪いことをしたつもりは、まったくない。


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帰り道。

駅までの道を、涼子とさくやが並んで歩く。


「咲夜さん。」


「はい?」


「変なこと聞いてええですか。」


「なんです?」


少し間を置いてから、涼子が言う。

「人の机のもんって、勝手に触ります?」


さくやは少し驚いたように笑う。

「いや、基本触らないですね。」


「ですよね。」


「何かあったんですか?」


涼子は少し迷う。


そして、小さく首を振った。


「……ううん。」

「私の勘違いやと思います。」


そう言って笑った。


笑ったはずなのに、その表情はどこか硬かった。



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駅のホーム。

電車を待っているとスマホが鳴る。

ロック画面には【お父ちゃん】と表示されていた。


珍しいな、と思いながら電話に出る。

「もしもし?」


「おぉ、涼子か。」


「どないしたん?」


父は少し笑いながら言う。

「そんな大したことちゃう。」

「母ちゃんがちょっと体調崩してな。」


涼子の表情が少し曇る。

「え、大丈夫なん?」


「大丈夫や。」

「病院も行った。」

「先生にも『少し休めば大丈夫』言われとる。」


「ほな安心や。」


「せやけど。」


父は少し間を置く。

「年やからなぁ。」

「前みたいにはいかんわ。」


涼子は空を見上げる。

「……そっか。」


「まぁ、気にせんでええ。」


「仕事あるやろ。」


「こっちは何とかやっとる。」

「一応の報告や。」


「うん。」

「ありがとう。」


電話はすぐ終わる。



ホームに電車が入ってくる。

涼子はスマホをバッグへしまう。


そして小さく笑う。


「今度帰ろかな。」

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夜。

自宅に戻った涼子は、鞄から資料を取り出す。


付箋を見つめる。

綺麗に貼り直された一枚。

しばらく見つめたあと、小さくため息をついた。


「親切なんやろうけど……。」


その言葉の続きを、口にはできなかった。

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