第21話 正しさ
七月。
梅雨明けはまだ発表されていなかったが、雨の降る日は少しずつ減っていた。
この日も部署では翌週の大型案件に向けた準備が進んでいる。
機材リスト。
系統図。
進行表。
デスクの上には大量の資料が並んでいた。
主任がホワイトボードを見ながら声を掛ける。
「橘さん。」
「はい。」
「この系統、一回確認お願いできる?」
「はい。」
さくらは資料を受け取り、一つひとつ丁寧に確認していく。
以前なら不安ばかりが先に立っていた。
しかし今は違う。
分からない部分は資料を見直す。
迷ったら主任へ確認する。
それを繰り返してきた。
しばらくして顔を上げる。
「主任。」
「こちら、一か所だけ入力番号が古いままになっています。」
主任が資料を受け取る。
「あ、本当だ。」
「助かった。」
「このまま現場へ持っていったら危なかったな。」
周囲のスタッフも資料を覗き込む。
「気付きませんでした。」
「ありがとうございます。」
さくらは少し照れたように笑った。
「いえ。」
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昼休み。
主任がコーヒーを片手に近付いてくる。
「橘さん。」
「はい。」
「最近、本当に変わったね。」
さくらは少し驚く。
「確認も丁寧になったし。」
「質問もちゃんとできるようになった。」
「現場でも落ち着いてる。」
主任は穏やかに笑った。
「努力してるの、ちゃんと見えてるよ。」
「これからも、その調子で。」
一瞬、言葉が出なかった。
「……ありがとうございます。」
小さく頭を下げる。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
仕事を続けてきて良かった。
そう思えた瞬間だった。
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午後。
大型案件へ持ち込むラックケースの最終確認が始まる。
「予備バッテリー。」
「OK。」
「変換アダプター。」
「OK。」
「LANケーブル。」
「OK。」
すべて揃っている。
主任は満足そうに頷いた。
「最近、準備が本当に安定してきたな。」
「安心して現場へ行ける。」
部署の誰もが頷く。
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その少し離れた場所で、涼子がラックケースを閉じながら、小さく目を細めた。
「あれ……。」
ケースの内側。
新しく貼られたラベル。
以前より分かりやすく、取り出しやすい位置へ貼り直されている。
誰が貼り直したのだろう。
周囲へ目を向ける。
誰もその話をしていない。
「……まあ。」
「見やすいし、ええか。」
そう呟いてケースを閉じた。
けれど。
その"ええか"という言葉とは裏腹に、小さな違和感だけが胸の奥へ残る。
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帰り際。
さくらは最後に倉庫の照明を消そうとして立ち止まる。
棚を見回す。
備品は揃っている。
ケーブルも整っている。
予備品も補充されている。
誰も困らない。
誰も慌てない。
その光景を見て、小さく微笑む。
「これで大丈夫。」
静かな声だった。
その言葉を聞いた者はいない。
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その夜。
さくらは机の引き出しから、小さなノートを取り出した。
技術メモを書き留めるために使っている、ごく普通のリングノート。
今日も新しく覚えたことを書こうとしてページを開く。
そこには、
・変換アダプター補充
・LANケーブル確認
・ラックラベル貼り直し
そんな簡単な走り書きが並んでいた。
どれも、自分が忘れないためのメモ。
誰かに見せるものではない。
さくらはその横へ、小さく丸印を付ける。
「完了」
満足そうにノートを閉じる。
窓の外では、雨上がりの夜風が静かにカーテンを揺らしていた。
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