第5章 雨音
第17話 善意
六月。
梅雨入りが発表された朝。
会社の窓には、小さな雨粒が絶え間なく流れていた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
部署にはいつも通りの朝が流れる。
さくらはデスクに座ると、パソコンを立ち上げた。
メールを確認し、その日の現場表に目を通す。
今日もさくやとは別の現場だった。
少しだけ残念に思う。
けれど、それも仕事だ。
そう割り切って、資料を開いた。
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午前十時。
営業担当の女性社員が、小さく声を上げた。
「えっ?」
周囲が振り向く。
「どうしたの?」
「昨日なくしたUSBメモリが……。」
女性は机の上を指差した。
そこには、小さな黒いUSBメモリが置かれていた。
「昨日あんなに探したのに。」
「見落としてたんじゃない?」
「そうかなぁ。」
笑いながら受け取る。
「助かった。」
「これ、お客様のデータ入ってたから焦ったんですよ。」
周囲も「よかったね」と笑う。
それだけの出来事だった。
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少し離れた席で、さくらはその様子を見ていた。
誰にも気付かれないように、小さく息をつく。
よかった。
本当に、それだけだった。
昨日、帰り際に床へ落ちているのを見つけた。
届けようと思った。
でも営業はもう帰っていた。
朝、机へ戻しておけば困らない。
そう思っただけだった。
何も特別なことではない。
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昼休み。
さくやが営業へ声を掛ける。
「USB見つかったんですね。」
「そうなの。」
「誰か置いてくれてたみたい!」
「優しい人ですね。」
さくやは自然に笑った。
「見つかってよかったです。」
その言葉を聞いて、さくらは少しだけ胸が温かくなる。
誰も困らなかった。
それでいい。
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午後。
資料整理をしていると、主任が棚を見ながら首をかしげた。
「あれ?」
「予備のLANケーブル。」
「補充されてる。」
「注文したっけ?」
周囲も首を振る。
「いや。」
「してないです。」
「じゃあ誰が?」
少しだけ考える。
でもすぐに、
「誰か気付いた人がやってくれたんだろ。」
その一言で終わった。
「助かるな。」
主任は笑って棚を閉めた。
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さくらは画面から目を離さない。
胸の奥で、小さく安心する。
先週。
在庫が一本少ないことに気付いた。
倉庫から持ってきて補充しただけ。
現場で足りなくなったら困る。
だから、置いておいた。
ただ、それだけだった。
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夕方。
雨脚が強くなる。
窓の外を眺めながら、さくやがつぶやく。
「今日すごい雨ですね。」
「ほんまやなぁ。」
涼子が関西弁で返す。
「駅まででびしょ濡れや。」
「傘持ってきました?」
「持ってきましたよ。」
「今日はちゃんと。」
「珍しいですねぇ。」
「失礼やな(笑)」
二人が笑う。
部署にも笑い声が広がる。
その様子を見ながら、さくらも少しだけ微笑んだ。
その笑顔は、以前より自然だった。
仕事で失敗したあの日から少しずつ勉強を続け、
主任にも
「最近、確認が丁寧になったね」
と声をかけられるようになっていた。
自分も前に進めている。
そう思える日が増えていた。
そして、誰かが困る前に気付いて動くことも、きっと悪いことではない。
そう信じていた。
雨は静かに降り続ける。
誰も知らない。
今日、この部署で起きた二つの「親切」が、同じ一人の手によるものだったことを。
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