第12話 笑顔

翌日、定時を少し過ぎた頃。

部署の空気は少しずつ静かになり始めていた。


現場組も戻り、デスクでは報告書をまとめるキーボードの音だけが響いている。


「咲夜さん。」


コピー機の前から涼子が声を掛けた。

「これ、主任に渡す資料ってこっちでしたっけ?」


さくやが顔を上げる。

「どれですか?」


「このチェック表です。」


一枚の紙を受け取る。

目を通したさくやは、すぐに頷いた。


「あ、それで合うてるで。」


言い終えてから、小さく笑う。


「……また出ました。」


「ええやないですか。」

涼子も笑う。


「標準語の方が珍しいくらいですよ。」


「いや、仕事中は一応気を付けてるんです。」


「今もう仕事終わりですやん。」


「それもそうか。」

二人は顔を見合わせて笑った。


その笑い声に、近くの先輩社員もつられて笑う。

「また関西チーム始まったな。」


「すみません。」


「いやいや、聞いてる方も面白いからいいよ。」


誰かがそう言うと、部署の空気がふっと和らいだ。

それだけのことだった。

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さくらは、自分の席で書類を閉じる。


何気なく顔を上げると、二人はまだ話していた。


特別な話ではない。


昼食の店。


実家の話。


テレビ番組の話。


同じ土地で育った人同士だから分かる、ほんの小さな共通点。


楽しそうだな。

そう思う。


その気持ちは、本心だった。



同時に。

仕事中には見せない表情を、自分はまだあまり知らないことにも気づく。

それだけだった。

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「さくらさん。」


帰り支度をしていた涼子が声を掛ける。

「今日もお疲れさまでした!」


「お疲れさま。」


「また明日よろしくお願いします。」


「うん、こちらこそ。」


涼子はいつもの笑顔で手を振り、そのまま廊下を歩いていく。


その後ろを、さくやも歩いていった。

「お疲れさまです。」


「お疲れ。」


二人の会話は、もう仕事の話に戻っていた。

「明日の搬入、八時でしたっけ?」


「そうそう。」


「ちょっと早いなぁ。」


「寝坊したらあかんで。」


「それ、一番言われたくないです(笑)」


笑い声が少しずつ遠ざかる。


さくらは、その背中を見送った。


胸が苦しくなるわけではない。


嫌な気持ちになるわけでもない。


ただ、ふと思う。

あんなふうに笑う時間を、自分も少しずつ知っていけたらいいな。

その願いは、とても静かだった。


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帰る前。

さくらはパソコンの電源を落とそうとして、ふと共有スケジュールを開いた。


翌日の現場配置。

翌週の収録予定。

機材点検の日程。

いつもの確認だった。


自分の担当を見る。


その流れで、視線が少しだけ下へ動く。


橘 咲夜


明日は別の現場。


「……そうなんだ。」


小さく息をつき、画面を閉じる。


それ以上、何も考えなかった。

そう思っていた。


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会社を出ると、夕暮れの空は茜色に染まっていた。


雨の続いた季節が終わり、少しずつ夏の気配が近づいている。


さくらは駅へ向かって歩きながら、空を見上げる。

明日も仕事。

忙しい一日になるだろう。


そう思いながらも、心のどこかで、次にさくやと同じ現場になる日を、

ほんの少しだけ楽しみにしている自分がいた。



その気持ちは、まだ誰にも言葉にできないほど小さかった。



けれど確かに、昨日より今日、今日より明日へと、静かに積み重なっていた。

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