第4話 雨傘

午後一時。

昼休みが終わると、副調整室は再び規則正しい時間を刻み始めた。

モニターに並ぶ映像。


一定のリズムで回り続けるタイムコード。

インカムから聞こえる短い確認。

誰も無駄なことは話さない。


だからこそ、小さな会話がよく聞こえた。


「午後の担当、確認します。」

主任が運行表を見ながら名前を呼ぶ。


「編集対応は咲夜君。」


「はい。」


「素材確認は……馬場さん。」


「はい!」

元気な返事だけが部屋へ響く。


「橘さん。」


「はい。」


「運行資料の修正、お願いします。」


「……はい。」


それだけだった。


誰も不思議には思わない。

誰も気にも留めない。


部署の誰もが、それぞれ得意な仕事を任されているだけ。

さくらも、そう理解していた。



理解していたからこそ、胸の奥が少しだけ痛んだ。

現場へ出る機会は、少しずつ減っている。

理由も分かっていた。


自分は、人より覚えるのに時間が掛かる。

確認も、人より多い。


だから自然と、周りは待たなくなる。

責められたことは一度もない。

怒鳴られたこともない。


それでも。

「こっちは先に進めるね。」

その一言だけで、自分だけ時間が止まってしまったような気持ちになる日があった。


________________________________________

資料を一枚ずつ確認していると、時計は思っていたより早く進んでいた。


「……あと一枚。」


そう呟いた時だった。

机の横へ、もう一つ影が落ちる。


「終わりました?」


顔を上げると、さくやが立っていた。

「もう少し。」


「じゃあ、一緒に確認します。」


「え?」


「二人で見た方が安心ですから。」


そう言うと、返事を待つこともなく隣の椅子へ腰を下ろした。


「僕、こういう確認好きなんですよ。」


資料を手に取り、自然な手つきでページをめくる。


「あ、この素材番号だけ昨日変わってます。」


「あ、本当だ……。」


「危なかったですね。」


笑いながら赤ペンで印を付ける。



その笑顔には、「手伝ってあげている」という空気がまったくなかった。



まるで、自分の仕事をしているだけのように自然だった。

さくらは思う。


――この人は、誰にでもこうなんだろうな。

困っている人を見つけたら、隣へ座る。

それが当たり前。


だから誰からも好かれる。

だから誰からも頼られる。

そんな人だった。



「終わりました。」


資料を閉じる。



「ありがとうございます。」


「いえ。」


さくやは照れくさそうに笑った。

「僕、一人で確認すると不安なんです。」


「だから付き合ってもらいました。」


思わず、さくらは笑ってしまう。


きっと気を遣わせないための言葉なのだろう。

でも、その優しさに気付かないほど鈍くはなかった。

「ありがとう。」


その一言だけは、素直に伝えた。

「どういたしまして。」

さくやはいつもと同じ笑顔で立ち上がる。


特別なことをしたという顔は、少しもしていなかった。



________________________________________

窓の外では、朝から降り続く雨がまだ止まない。


さくらはコーヒーカップへ砂糖を二本入れながら、小さく息をつく。

今日も思うようにはいかなかった。


それでも。


今日という一日は、昨日より少しだけ好きになれそうだった。


それは、隣で「手伝います」と言った人がいたからではない。

何も言わず、当たり前のように隣へ座ってくれた人がいたからだった。

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