第2話 横顔

始業から二時間。

副調整室は、朝とは別の静けさに包まれていた。


静かと言っても、音がないわけではない。


映像ルーターの動作音。

モニターを切り替えるスイッチのクリック音。

インカム越しに飛び交う短い確認。



「映像一系統、問題ありません。」


「送出待機します。」


「了解。」


その一つひとつが重なり、部署の日常を作っていた。



さくらは送出表とモニターを何度も見比べながら、小さく首を傾げる。


「あれ……。」


予定では、十時十分から素材Bへ切り替わるはずだった。


けれど、運行表に記されたファイル名と、サーバーに登録されている素材名が微妙に違っている。


ほんの一文字。


慣れていない人なら見落とす程度の違いだった。


「どうしたんですか?」


隣から、さくやが画面を覗き込む。


「ちょっと確認したくて。」


「これですか?」

さくやは画面を見つめると、すぐに頷いた。


「多分、昨日の差し替えですね。」


「差し替え?」


「こっちが旧データで、今使うのはこっちです。」


手元の端末を操作すると、別のフォルダが開く。


「昨日、営業から急に修正依頼が入ったみたいで。」


「なるほど……。」

さくらは安堵したように息をついた。


「ありがとう。」


「いえ。」


「助かった。」


「僕も去年、同じところで迷いましたから。」


その言葉に、さくらは少し驚いた。


「さくや君でも?」


「もちろんですよ。」

苦笑しながら肩をすくめる。


「異動したばかりの頃は、毎日怒られてました。」


「そんなふうには見えない。」


「見せないようにしてるだけです。」


照れくさそうに笑う。


その笑顔には、自慢も見栄もなかった。

失敗した経験を隠さず話せる人。

だから相談しやすいのだろう、とさくらは思う。


その時、インカムから声が響いた。

「副調整、五分後スタンバイお願いします。」



「了解です。」

さくやの返事は落ち着いていた。


必要以上に大きな声を出さない。

それでいて、相手にはきちんと伝わる。

さくらは密かに、その話し方が好きだった。


「じゃあ、準備しましょう。」


「はい。」


二人はそれぞれの席へ戻る。



カウントダウンが始まる。

モニターに映る映像。

秒針のように進むタイムコード。

インカム越しの「3・2・1」の合図。


映像は予定どおり切り替わった。

何事もなかったように。


それが、この仕事では一番良い結果だった。



「お疲れさまでした。」


「お疲れさまです。」

隣でさくやが小さく息を吐く。

その横顔を見て、さくらは少しだけ笑った。


派手な仕事ではない。

拍手をもらえる仕事でもない。


けれど、誰にも気付かれずに一日が終わることが、この仕事の成功なのだ。

そのことを、さくやも同じように考えている気がした。


だから、一緒に仕事をしていて心地よい。


この気持ちは恋ではない。


ただ、「この人となら安心して働ける」。

その気持ちは、雨音のように静かに、さくらの中へ積もり始めていた。


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