第9話


 道路の脇にバイクを停め、光と一緒に脇道へと入っていく。舗装などされていないけれど、人が何度も通ったことで小道ができている。


「足元に気をつけて」

「大丈夫だよ。……私は慣れてるから」


 久しぶりに訪れた光とは違う。

 歩き進めると、小川へとたどり着いた。


「変わらないな。水も綺麗なままだ」


 しゃがみこんで、光は川に手を伸ばした。

 昔は迷うことなく飛び込んでいたことを思い出した。


「服をびしょ濡れにして、よくばあちゃんに怒られてたよな」


 目を伏せた横顔が、どこか悲しげに見えた。


「……顔を合わさずに帰ろうと思ったのに。じいちゃんが千鳥がいないって言い出して焦った」

「……」

「黙っていなくなるな。俺が言えたことじゃないけど」

「本当だよ」

「……ごめん」


 私は隣にしゃがみこんだ。

 穏やかに流れていく水を眺めながら、小さく息を吐く。

 こうして肩を並べても光は逃げなかった。


「何から話せばいいか分からないな……」

「じゃあ、昨日の私の質問から答えて」


 少し棘のある言い方になる。


「五年前、どうして魔が差したの?」


 光の眉間に力が入る。


「……魔なんて差してない。差したけど、ずっと千鳥とキスしてみたかった」


 思わぬ告白に、喉がひきつった。

 ……いつから? どうして?


「逃げなくていいじゃん」

「それは……。無理だと思ったんだ」

「え?」

「いとこ同士で付き合うとか、無理だろう。……ヒロ兄が怒られたんだろ?」


 私の肩が揺れる。

 あの告白の時、光はいなかったはずだ。


「俺の父さんが従姉妹と付き合ってた。噂では聞いていたけど、本当に拒絶されると思わなかった」

「……そんなの、関係ないじゃん」


 本人の気持ちを蔑ろにされるなんておかしい。


「関係あるよ。俺は……千鳥には笑っていて欲しかったから」

「……どういうこと?」


 光は一瞬言葉に詰まり、苦しそうに続けた。


「最悪の場合、親戚連中と縁を切る。お前にそんなことさせたくない」

「……。ちょっと大袈裟に考えすぎじゃない?」

「そんなことあるか。伯母さんは親戚の中心みたいな人だろう? あの人に嫌われたら、今までみたいに顔も出せなくなるんだぞ」


 上流から葉っぱが流れてきた。ゆらゆらと揺れながら目の前を通り過ぎていった。


「なにそれ。そんなこと考えてたの?」

「そんなことって……」

「そんなことだよ! 光のいない五年間のほうが私は辛かった!」


 拳を光の肩に振り下ろす。二度、三度と繰り返して。


「私は、光と一緒にいたかった」

「……千鳥」

「キスしといて逃げんな、バカッ!」


 光は瞳を揺らして、黙り込んだ。

 またごちゃごちゃ考えているのかもしれない。


「ちゃんと話してくれるんじゃなかったの? なんで黙るの」

「……ごめん」

「謝らないで」

「……」

「ちゃんと話してよ。思ってることを全部」


 光は隠すように手のひらで顔を覆い、ぽつりと漏らした。


「千鳥と会いたくてたまらなかった。……ずっと、心だけあの夏に置き去りにしてきた」

「そんなの私もだよ」

「昨日、キスされて、心が震えた自分が許せなかった」


 指先が震えている。光が怯えているように見えた。


「ごめん」

「何が?」

「いまさら何を言っても呆れられるだろうけど、今でも好きなんだ。お前の幸せを考えていたはずなのに、バカみたいだろう」

「うん、バカみたい」


 私は呆れてしまった。


「そこまで思うなら、もう逃げないで」


 どうして想い合っているのに、すれ違う必要があるの。

 光って本当にバカ。


「私の幸せは私が決める。たとえ失うものがあったとしても、それでいい」

「……いつか後悔しないか?」

「しないよ。……それに、簡単に諦めるつもりなんてないし」


 私は立ち上がり、迷うことなく川へと飛び込んだ。


「千鳥!?」

「せっかくだし、遊ぼうよ。昔みたいに光とはしゃぎたい」


 目を丸くしていた光は、表情を崩した。


「お前もバカだな」

「光ほどじゃないよ」

「バカすぎて、どうでもよくなってきた」


 追いかけるように光もずぶ濡れになって、水を掛け合う私たちは昔みたいに笑い転げた。

 自分が幾つになったかとか、そんなの今はどうでもいい。


 目の前で光が笑っている。

 その事実だけでいい。


 風が吹く。

 きっと、縁側では変わらずにあの波千鳥が鳴いているだろうと思った。

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波千鳥が鳴く頃に 音央とお @if0202

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