第8話

 慌ただしい足音にうっすらと目を開いた。

 窓から強い陽射しが差し込んでくる。


「……え? 今、何時?」


 見慣れた朝の色ではなかった。


「もう! やっと起きたの? 何度も起こしたのよ。あと三十分でチェックアウトだからね」


 母が鞄に衣類を詰め込みながら怒った。


「……十時過ぎてるんだ」


 二日酔いはないけど、ちょっと飲み過ぎたのかもしれない。今日はお店も休みだからいいけど、寝坊しすぎだ。


「家まで千鳥のことを送ったら、お母さんたちは帰るからね」

「わざわざいいよ。一人で帰れるし」

「荷物一つ持たずに?」

「……あっ」


 そうだった。スマホすら家に置いたままだ。

 あのまま飛び出したから、おじいちゃんも心配しているかもしれない。


「ねぇ、おじいちゃんから連絡が来てたりしない?」

「来てないけど、どうかした?」

「……いや」


 そもそも、私が母たちと一緒にいることを知らないのか。

 これは帰ったら説教コースかな……。


 母に急かされて私は身支度をする。

 きっともう光は帰ったあとだろう。 もう一目だけ、大人になった姿を見ておけばよかった。


 伯母さんの運転する車にみんなで乗り込んで、家へと続く山中を登っていく。

 対向車の少ない道なのに、不意に見覚えのあるバイクが見えた。私は後部座席から身を乗り出すようにして、目を細める。


「……光?」


 間違いない。光だ。

 正面からバイクを走らせて近づいてくる。伯母さんは車を止めて、窓を開けた。

 こちらに気づいた光は、バイクを止め、飛び降りるようにして駆け寄ってきた。


「光くん、もう帰るのね。ヒロキはもう起――」

「千鳥は!?」


 ヘルメットを脱ぐと、光は叫んだ。


「千鳥を知らない? 昨夜ゆうべから家にいない! スマホも持ってなくて」


 私は息を呑んだ。

 昨夜の冷たい様子が嘘みたいに、必死の形相だった。

 どうして、そんな顔をするの……。


「え……千鳥ちゃんなら……」


 戸惑いながら伯母さんがバックミラーに視線を向ける。

 助手席の母もこちらに振り返る。


「……っ」


 私は小さく首を横に振る。

 嫌だ。気付かないで欲しかった。


 ハッとした様子で光は後部座席のドアに手をかけた。

 ドアが開き、光の青ざめた顔を直視する。

 ……思わず胸が痛んだ。


「千鳥……」

「……」

「なんだよ、こんなところにいたのかよ……」


 腰を抜かしたかのように、光はうずくまった。

 ドアを持つ指が震えている。


「お前、俺じゃなくていいから、誰かにひと言くらい残していけよ」

「……えっと、ごめん」


 それはそう。

 まさか光に心配されるとは思わなかったけど……。


 伯母さん達の探るような視線が刺さる。

 それに気づいた光は立ち上がり、頭を深く下げた。


「すみません。実は千鳥と喧嘩をして……」

「もう! あなたたち、いくつになったの? 子どもじゃないんだから~」

「本当にすみません」


 小言を向けられても、光はただ謝っていた。

 まるで自分に責任があるかのようにして。


「千鳥と話をしてもいいですか。ちゃんと送り届けるので、伯母さんたちは先に帰ってもらって大丈夫です」

「いいわよ。次に会うのはヒロキくんたちの結婚式だろうし、ちゃんと仲直りしなさい」


 母は光に微笑んだ。


「……そうですね」


 私は膝の上に乗せた手を握りしめた。

 光のことが分からない。私と話すことなんてないんじゃないの?

 動かずにいる私の手を、温かいものが包んだ。


「千鳥さん。後悔しないように向き合ってください。……二人で」


 アユミさんの目は、こちらがたじろぐほど真剣だった。


「ヒロキも、二人のことを心配しています。そろそろ、みんなで前に進みませんか」

「……どういう意味ですか」


 戸惑っていると、光が私を呼んだ。


「千鳥」


 アユミさんから光へと視線を移すと、光の顔は強張っていた。


「ちゃんと話をしよう」

「……」

「……ちゃんと、話すから」


 私は唇を噛んだ。


「……なにそれ。逃げたのは光のほうなのに」

「今さらどの面下げてって思うよな。……でも、やっと腹を括れたから」

「……。分かった」


 ここまで言われて無下にはできない。

 ずるいと思う。いつだって、私は光に振り回されてしまう。



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