第6話

 向こうは私に気づいていない。

 ヘルメットを取った後ろ姿は、五年前よりもしっかりしていた。どう見ても『大人』で、月日の流れを感じさせる。


「光」


 私の口は彼の名前をこぼした。

 勢い良く、光は振り向いた。


「……千鳥?」


 目を見開いたのは一瞬で、光は笑顔になる。


「びっくりした。そんなところにいると思わなかった。元気か?」

「うん、元気だけど……」


 拍子抜けする。あまりにも光が普通すぎて。

 まるで、あの夏なんて最初からなかったみたいだった。


「見た目はちょっと成長したか? ほんのちょっとだけ」

「……中身だって変わったもん」

「カブトムシを幼虫から育てたりしてないのか?」

「……。あとで見せる」


 光はケラケラと笑う。

 夢の続きを見ているのだろうか。

 そっと手を伸ばそうとして、空振りになる。


「汗かいたからシャワー貸して」

「……あ……うん……」


 避けられた?

 気のせい?

 何も掴めなかった指先が冷たくなった。


*   *   *


 法要はつつがなく終わり、すぐに帰る人やもう一泊していくという人に分かれた。

 ヒロちゃんが光の肩を叩いた。


「休日なんだから泊まっていけ。じいちゃんと酒飲もうぜ」

「そうは言うけど、ヒロ兄。何も準備して来てないんだけど……」

「多めに着替えは持ってきてるから貸す。下着も新品だから」

「それ、逃がす気ないじゃん……」

「付き合え。朝まで飲むぞ」


 それはさすがに飲み過ぎだと思うよ、ヒロちゃん。


「逃げんなよ」


 念を押すように言う。光は眉を下げて笑っていた。


 *   *   *


 ヒロちゃんの婚約者は、伯母さんやうちの母と温泉に泊まるという。私も誘われたけれど断った。

 光がここにいるのに、行く理由がない。


「一緒に飲むって言っても、じいちゃんは疲れてるから途中で寝るぞー」


 おじいちゃんはそう言って、イカの刺身を静かに食べている。ヒロちゃんは昔のアルバムを見つけて一人盛り上がっているし、光はスポーツニュースを見ていて喋らない。

 あまりにも自由な空気だった。


 私だけがそわそわして、意味もなく部屋の中を見回してしまう。


「千鳥。言いたいことがあるなら言え」


 呆れたようにおじいちゃんに促されて、私は混乱した。

 言いたいことは山ほどあるけど、ここで話すようなことじゃない。


「あの……みんなですごろくでもしない?」


 無理やり絞り出したのは、遊びのお誘いだった。


「それいいじゃん。トランプでも何でも付き合うぜ」


 ほんのり酔っ払っているヒロちゃんは乗り気だった。押し入れの中からすごろくを取り出してきて準備を始める。


「まだ置いてあったんだな。探せば、歌留多や花札も出てくるかなー」

「おばあちゃんが取っておいてくれたの。何でもあると思う」

「さすが、ばあちゃん!」


 三人で盤面を覗き込む。

 ヒロちゃんの肩が私に触れた。


「あ、ごめん。千鳥はもっと光のほうに寄れば?」

「……えっ」

「そのほうが見やすくないか?」


 光のほうに……。

 そっと近づくと、光は盤面を見つめたまま視線を動かさない。……昔なら、こっちを見て笑ってくれたのにな。


「千鳥、振れよ」


 サイコロを持つ指先が震える。

 胸の奥がざわついて落ち着かなかった。


「千鳥、さっきから一とか二しか出てないじゃん」

「……うん。ヒロちゃんは六ばっかり。ズルしてる?」

「俺の人徳だよ」

「それは関係ないと思う」


 進みの遅いコマは、今の私みたい。

 一人だけ取り残されている。


 光が五を出す。また距離は広がるばかりだった。


「……待ってよ。置いてかないで」


 目の奥が熱くなるのを、うつむいたまま誤魔化す。

 私の振るサイコロはやっぱり一しか出なかった。


 二人が先にゴールして、次は何で遊ぶかとヒロちゃんが押し入れを物色した。


「トランプがあった。ジジ抜きとページワン、どっちにする?」

「ジジ抜きとは、嫌な名前だな」

「じいちゃん、ただのゲームだから」


 和やかな空気を私は壊した。


「待って」


 もうこれ以上は耐えられなかった。

 顔を上げて、光を見る。光は静かに目を伏せたままだった。


「ちょっと、光と二人で話してきていい?」


 ヒロちゃん達がいる前でそういえば、光も逃げられない。

 おじいちゃんが呟いた。


「ジジは邪魔だな。ちと酔っ払いすぎたな。部屋まで付き合ってくれ、ヒロキ」

「うん。子守唄でも歌おうか、じいちゃん」

「……今日くらい、それも悪くねぇな」


 二人は居間から出ていった。

 残された私たちの耳に、ちりんと風鈴の音が届く。

 私は光の口元を見つめた。


「……五年間」


 声が震えそうになる。


「五年間、待ってた。なんで……キスしたの?」

「……」

「なんで謝っていなくなったの?」


 光は何も言わない。

 表情からも何も読み取れない。


「教えてよ、光」


 答えて。

 私を見て!


「……魔が差しただけだよ。いつまで覚えてるんだよ」


 やっと返された声は冷たい。


「お互い大人なんだから、もう忘れろ」


 一度だけ目が合う。その視線はすぐに逸らされた。


「俺は、言われるまで忘れてたよ」


 しんっと静まり返る。

 風鈴すら鳴らない。

 私は肩を震わせ、振り上げた拳を光の胸にぶつけた。


「……ふざけんなっ。忘れられるわけがないじゃない!」


 光にとって何でもないことだとしても。

 私はそうじゃなかった。


 逸らしたままの光の顔を両手で掴む。

 逃がしたくないと、噛みつくように唇を重ねた。


「……千鳥っ!」


 すぐに突き飛ばされて、悔しかった。

 光は、呆然としていた。自分の手と私を見比べている。


「魔が差したの。ごめんね」


 口角を上げるけど、頬に涙が伝った。

 光は視線をさまよわせ、口を開きかけたけど、きつく結んだ。


 それを見てしまった私は、逃げるように部屋を飛び出した。



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