第4話

 八月に入った。

 午睡の時間を壊したのは蝉の鳴き声だった。


「ものすごいね。何百匹といそう……」


 むくりと起き上がり、耳を押さえる。

 お腹を冷やさないようにおばあちゃんが掛けてくれたのか、私と光のお腹の上にはタオルケットがあった。


「何百匹は言い過ぎ。……想像したら、気持ち悪くなってきた」


 光は欠伸を噛み殺したかと思えば、テーブルの上に残されたメモを見つけた。


「じいちゃんたち、急な寄合で出かけたみたいだな」

「えー、晩ごはんどうしよう?」

「戸棚にインスタントラーメンでもあるだろう」


 二人で何かないか台所を探し回った。

 ご近所さんに貰った新鮮な野菜が見つかった。


「どうせなら、この野菜でカレーでも作るか?」

「光って料理できるの?」

「カレーだぞ?」

「難しくない?」


 目を丸くして、首を傾げる。

 野菜って皮を剥いたら半分くらいになるよね?


「千鳥は米を洗って。……出来るよな?」

「任せて! それは何度も手伝ったから!」


 二人並んで、それぞれの作業を始める。

 光は手際良く、にんじんやナスを切っていく。


「あれ? にんじんの皮は剥かないの?」

「よく洗えば食べられる。カロテンとかここに含まれてるから」

「急に学者みたいなこと言うじゃん」


 明らかに慣れた手つきに、光の新しい一面を知った。


「肉はどうする? 千鳥はチキンカレーが好きだったよな?」

「正解! よく覚えてるね」


 おばあちゃんの作るチキンカレーが最高なんだ。

 お米を洗い終わった私は、そわそわと光の周りをうろついた。


「ねえ、他にやることある?」

「そこの計量カップを使って水を測って」

「あとは?」

「カレールウ割っといて」

「あとは?」

「テーブル拭いといて」


 言われるがまま従うけど、疑問が生まれる。


「違う! もっと料理らしいこと!」

「じゃあ、サラダ用にレタスを洗って千切っといて」


 肉を炒めている光はこっちを見ない。

 私は包丁へと手を伸ばす。


「千鳥。まさかと思うけど……千切るって千回切るとか思ってないよな?」

「思ってないよ。……え? 見てたの?」

「見なくても分かる」


 なぜか宙を見つめた後、光はお手本を見せてくれた。

 思ったよりも細かくしなくていいらしい。


「お前、ばあちゃんの側にいるならもっと料理も手伝ったほうがいい」

「光みたいになれる?」

「……なんで俺?」

「料理ができるの知らなかった」


 同い年なのに悔しい。

 もしかして、光はもっとできることがいっぱいある?


 レタスを千切る手は止めずに、その横顔を盗み見る。

 大きく育ったからキッチンの高さが不便そう。額の汗を拭う姿は、年上のように見えた。

 私だけ置いていかれているみたいで、面白くないと思った。


「光」


 小さく呼んだだけなのに、光はすぐに振り向いた。


「どうかした?」

「一人で大人にならないで」


 変なことを言っちゃった。でも、偽りのない本心だった。


*   *   *


 もうすぐお盆がやってくる。

 今年は数年ぶりにやってくる親戚もいて、おばあちゃんは準備に忙しそうだった。


「ちらし寿司と手巻き寿司、どっちがいいかね?」

「うーん。おばあちゃんの特製ちらしのほうが嬉しいんじゃない?」


 手巻き寿司となると、人数分の具材を買ってくるのも大変だ。客間を整える準備を手伝いながら、今年もあっという間に夏が過ぎていくと思った。


 光ももうすぐ帰ってしまうのかな。久しぶりにゆっくり遊んで、居心地の良さを再び確認した。

 もっと、ずっと一緒にいられたらいいのに。


「そういえば、真菜ちゃんたちが一足先にやってくるみたいよ」


 思い出したようにおばあちゃんが告げる。

 その名前を聞いて、私は首を傾げる。


「真菜さんってよく知らないや。法事くらいでしか会ったことないから」

「あんまり顔を出さないからね。……ヒロキのお母さんが昔、怒鳴ったせいもあるんだろうけど……」

「え?」


 数年前の夏を思い出す。

 普段は優しいヒロちゃんのお母さんが、怖かった日のこと。

 今でも鳥肌が立ちそうになる。


「千鳥ももう大きくなったから隠すのはやめるね。光のお父さんと真菜ちゃんは付き合っていたことがあるんだよ」


 おばあちゃんの告白に、動かしていた手が止まる。


「光のお父さんと真菜さんって、いとこだったよね?」

「そう。姉弟みたいに育った子たちだったからね。それをヒロキのお母さんは『気持ち悪い』って……」


 布団にシーツを敷きながら、淡々とおばあちゃんは語り続けた。


「ちょっと過剰だと思うけど、あの子の中では本当にあり得ないことだったんだと思う。それが理由になったのかは分からないけど、暫くして二人は別れたようだ」

「……そう、なんだね」


 ヒロちゃんと私もそうなるって思ってた?

 やっと、あの日のことがわかった気がした。


「いとこ同士って、気持ち悪いのかな」


 気づけば、そんなことを口にしていた。

 その瞬間、なぜか頭によぎったのは光の顔だった。


 *   *   *


 相変わらず集まった大人たちはどんちゃん騒ぎだった。

 昨夜の宴会の名残で、お昼が近づいてもまだ誰も起きてこない。

 私と光は縁側に座って、スマホを使って対戦をしていた。


「……また負けた。光が強すぎない?」

「千鳥は昔からゲームはからっきしだったもんな。ターザンみたいに野山を駆け回るほうが得意だろ?」

「ターザンって……」


 いくらなんでも野性的すぎる。

 スカートだって履くし、先輩と付き合い始めてからメイクをするようにだってなったよ。……すぐ飽きたけど。


「学校はどう? 楽しい?」


 急にそんなことを聞かれて、スマホから上へと目線をずらす。光は私のことを真っ直ぐに見つめていた。


「なんで?」

「今年は全然話さないから。いつもなら、友達のこと飽きるまで話すだろ?」

「……」


 先輩のことを思い出すから、自然と避けてしまったかも。

 高校の友達はみんな、なぜ別れたんだとうるさいくらいだった。でも、私は自分でも整理しきれなくて、何も言えなくなる。


「光はさ、彼女ってできた?」

「なんだよ急に」

「そんな話をしたことがないなって思って。もしかして、何人か付き合ったことがあった?」


 一緒に過ごしてこなかった季節に、そういう出来事があっても不思議じゃない。現に私がそうだったんだから。


「ないよ。……俺は一筋だから」

「えっ」


 その時、気づいた。

 光の目の奥に知らない色が宿っていることを。


「千鳥」


 さっきまでゲームのことで笑い合っていたのに、光は探るように私を見て、そっと近づいてきた。

 触れ合った唇が熱い。

 風鈴の音が頭の中に響く。


「ごめん」


 光の表情がわずかに曇った。


「なんで謝るの?」

「……魔が差した」


 静かに立ち上がった光は、伸ばした私の手を振り払うように、踵を返した。

 何度名前を呼んでも私を見ることがない。


 光は黙って、一人で帰ってしまった。

 次の約束も何もないのは初めてのことだった。


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