第3話

中学一年生になった夏、光はお盆にしか顔を出さなかった。

 勉強があるからって二年生になっても、三年生になっても長く滞在しない。私だけが変わらずに山奥で夏を過ごしていた。


「光がいないから暇!」


 思い切って本音をぶつければ、すっかり背が伸びた光が面倒くさそうに言った。


「……成長したのは見た目だけなのか?」


 バカにされているようで、少し腹立たしい。


「光がいない間に釣りもうまくなったし、かき氷も上手に削れるようになったんだよ?」

「お前、同い年のはずだよな?」

「ちゃんと中学三年生だよ!」


 受験勉強だってしている。昔の私とは違うとアピールしたつもりだった。


「……色気はどこに置いてきたんだ?」

「そんなの中学生にあるはずないでしょう」


 光は猫を撫でるように、わしゃわしゃと私の髪を乱した。


「まあ、千鳥が変わってなくて安心した」

「どういう意味?」

「……そのまんまのお前でいるなら、来年は長く遊びに来てやるよ」


 思わぬ提案に、私は光に抱きついた。


「本当に? 約束だよ! 花火とかラジオ体操とか一緒にしようね!」

「……。まあ、それで満足するなら」


 一年後がすごく楽しみだ。


*   *   *


 そして高校一年の六月。今から五年前のことだ。

 夏休みを指折り数えて待っていた私に、初めての彼氏ができた。


「千鳥ちゃん」


 私をそう呼ぶのは中学の頃から顔馴染みの先輩で、なぜか告白されたから、そのまま付き合ってみた。

 先輩は人気者で、宝くじを当てた気分だった。


 何度目かに先輩の家に遊びに行った時、今日はみんな留守なんだと言われた。

 先輩はいつもの優しい顔じゃなくて、どこか緊張しているようだった。


「そろそろ……キスとかしてみない?」

「キスですか?」


 付き合ってるんだから、そういうこともあると思う。

 でも、私はしたい気分になっていなかった。


「早くないですか?」

「全然。そう思うなら、練習と思えばいい」


 あんまり納得はいかなかった。

 でも、先輩のことは嫌いじゃないし……お試しならいいかなって。


 軽く触れ合うだけのキスは、何の感情も湧かなかった。

 先輩は嬉しそうに笑っていた。その顔を見た瞬間、初めて罪悪感がこみ上げてきた。

 私は先輩のこと、そんなふうに見られないや……。


 夏休み目前にお別れを告げて、逃げるように私はおじいちゃんの家にやって来た。

 ここなら、学校の知り合いは誰もいなくて……私はちょっとずるいのかも。


「ねぇ、千鳥ちゃん。新しく買った風鈴があるの。縁側に付けてくれない?」


 おばあちゃんが小さな箱を差し出してきた。

 中に入っていたのは、涼しげな青い模様の風鈴。


「鳥?」

「そう、波千鳥。夫婦円満や家内安全の意味があってね、縁起がいいのよ。千鳥ちゃんが遊びに来てくれるからぴったりでしょう?」


 目尻の皺を深くして、おばあちゃんは笑った。

 私は脚立の代わりに椅子を持ち出して、引っ掛けられそうな場所を探した。

 どこがいいかな。


「おいおい、危なっかしいな」


 いつの間にか、お店を手伝っていたはずの光がやって来て、椅子を押さえた。


「貸して。代わるから」

「……うん」


 昨年よりもさらに伸びた身長は、光を大人に近づけていると思った。

 少し後ろから、光の作業を見守る。


「どうかした? いつもより元気がないんじゃないか?」


 そんなふうに指摘されて、私は視線を逸らした。

 足元には張り替えたばかりだという畳が色鮮やかに見えた。


「……そんなことないよ。もう高校生だし、おとなしくもなるよ」

「悪いキノコでも食べたか?」

「それは失礼じゃないかな、光さんよ」


 びっくりした。

 軽くごまかそうとしても、光にはお見通しなんだ……。


 椅子から降りた光は、体勢を崩して私の体にぶつかった。

 その距離の近さに肩が跳ねる。


「ごめん、痛かった?」

「……大丈夫」


 先輩とキスした時のことが、一瞬だけ頭をよぎった。

 目の前にいるのは光なのに、男の人みたい。


「釣りに行こーぜ。千鳥の腕前を見せてもらおうじゃないか」


 白い歯を見せて、屈託なく笑うところは昔と変わらなくて……ホッとした。


*   *   *


 通い慣れた穴場の川は、今日も静かだった。


「千鳥さんよ、ちっとも釣れないけど?」

「……そんな日もあるよ」


 全然反応がない。

 唇を尖らせた私は、釣り竿をそっと横に置いた。


「遊ぶよ、光!」

「ん?」

「水遊びだ!」


 光はどこか呆れた目を向けてきた。


「お前、またかよ」


 その態度が面白くなくて、私は顔面に水をかけてやった。

 光も火をつけられたように浅瀬に飛び込んで、私の全身に水をかけてくる。

 ばしゃばしゃと揺れる水面、二人の笑い声が辺りにこだまする。


「おばあちゃんに怒られちゃうかな?」


 濡れた髪を掻き上げて、岩場に腰掛ける。


「そう思うならやめろよ」


 光は私を直視しない。……あれ?


「光は楽しくなかった?」

「そうじゃなくて……。なんか上着とか持ってきてないのか?」

「上着?」


 ふと視線を下に向ければ、Tシャツが肌に貼り付いて下着の色をくっきりと浮かび上がらせていた。


「光のエッチ!!」

「はあ!?」

「帰るよ!」


 私は背を向けて、見えないようにしながら家まで急いだ。


 順番でシャワーを済ませて、冷蔵庫から取り出した西瓜を並んで食べる。おじいちゃんがつけっぱなしにしていたテレビは、高校生たちが優勝をかけて野球の試合をしていた。


「不思議だね。昔はすごくお兄さんたちだと思っていたのに、同い年の人もいるんだよね」

「成長してるんだから当たり前だろう」

「そうなんだけど……」


 うまく伝わらなかったようで、もどかしい。

 西瓜にかぶりつく。光はそれを見ておかしそうに笑う。


「どうやったら、顔に種が貼り付くんだよ!」

「知らないよ。わざとじゃないもん」

「ほら、取ってやるから動くな」


 光の大きな手が伸びてくる。

 先輩と近づいた時のことがまた頭をよぎり、胸の奥に微かに焼け焦げるような感覚が宿る。


 ……変だ。先輩が相手だと、こんなのなかった。


「世話が焼けるところ、千鳥は千鳥のままだよな」

「……そうかな」

「またカブトムシを探しに行くか? ラジオ体操もできていないな」

「花火もお祭りも、全部やるに決まってるでしょう」

「千鳥らしい」


 私らしいってなんだろう。

 やりたい気持ちは本当だけど、昨年まではなかった焦燥を感じた。

 消さずにいたテレビでは、高校球児たちが白球を追い続けていた。


 

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